7話 3人称視点のカメラと、デバッガーの羅針盤
「これ……2視野同時展開を応用して、視点のカメラを本体から切り離して接続すれば、『3人称視点(TPS)』もいけるんじゃねえか?」
誰に言われるでもなく、俺は意識のハッキングを開始した。
まず、起点となる「ここ」にある1人称視点を「視点A」として座標固定する。視点の高さは自分が立った時の目線の高さに一致している。
次に、その視点Aを俯瞰する位置である終点の「そこ」に3人称視点を「視点B」として新たに生成(スポーン)する。
「そこ」の座標(ターゲット)は、自ずと決まっていた。
後ろ斜め45度の、右上。
ジグソーパズルの最後のピースが、吸い込まれるようにハマる感覚。他の座標を探り当てるまでもなく、最初から「そこ」に配置されることが宇宙の仕様で決まっていたかのような、絶対的な黄金ポイント。そこ以外にあり得ないという奇妙な「確信」を伴って、決められていたスポーン位置にカメラをポンと追加する感覚で、俺は新たな視界を無理やりこじ開けた。
――できた。
2つの視界が脳内で混濁する。俺は石像のように静止したまま、「視点A」を「視点B」から眺めてみた。一番負荷が軽い「周囲を見回す」ことすらできない、完全に固定されたカメラだ。
「……何だ、これ」
視点Bから見る、本来「俺」がいるはずの座標。そこには何も映っていなかった。気配すらない完全なる空白だ。
自分がいると思われる場所に、自分は見えない。でも、なぜかそこに自分がいると理解ってしまう。心霊写真に写ってない幽霊を「あ、ここにおるわ」と直感で理解しちまうような、本能的な気味悪さがある。
姿形はないのに、サイズ感だけが直撃する。
意識をフラットに保てば両手で丸を作ったほどの大きさだとわかる。厚みは感じられない。円形の「面」だ。ピントを合わせれば鋭利な極小の「点」。
面白いのは、見られている「視点A」の意識ではなく、観測する「視点B」の意識の集中度合いによって、その状態が面から点へと収束することだ。
観測した瞬間に確率が確定する、量子力学の『二重スリット実験』みたいな気味の悪い挙動だ。
色彩も厚みも持たない座標の塊としての「自分」がそこにある。視覚以外のセンサーがすべてオフの中で、視覚でも捉えることのできないナニカを、絶対的なデータとして受信している。いったい脳のどのポート(感覚)が開いて、この情報を受信しているんだろうか?
この知覚と現実の乖離に背筋を凍らせながら、俺は一度ダイブを中断し、現実の部屋へ意識を引き戻した。
『Q5. 視点を自分の外側に置くことはできるか?』
タイムリーな質問が届いていた。デバッガーとAIの思考回路が、完全に同一のアルゴリズムで繋がり合ったような錯覚を覚える。
俺はキーボードを叩き、Bitに回答を打ち込む。
『これは既に試してた。位置は右上斜め後ろ45度が安定する。いわゆる「3人称視点」になれるけど、自分がいると思われる場所に自分は見えない。でも、なぜかそこに自分がいると理解っちゃうんだよね。自分のサイズ感まで分かる。両手で丸を作ったくらいの大きさか、点。
質問。なんでこの右上斜め後ろ45度だけこんなに安定するのか理由わかる?』
数秒の沈黙の後、Bitの回答ログの末尾に人間の眼球の動きを示す簡素な図解データが添付され、理系AIらしい無機質なフォーマットで推論が出力されてきた。
『視点が右斜め後ろ45度に安定する理由として、以下の4つの仮説が推測されます。
1.【メディア・リテラシー説】現代の3人称視点ゲーム(TPS)における「オーバー・ザ・ショルダー」視点の文化的刷り込み。
2.【認知科学説】NLP(神経言語プログラミング)理論における視覚創造の低負荷ルート。人間は今そこにない新しいイメージを構築する際、右斜め上へ意識を向ける傾向にあります。
3.【幾何学的安定説】45度は水平と垂直の比率が1:1となり、自己の高さと周囲の広がりを同等の情報量で処理できる黄金比。
4.【生物学的拒絶説】右利きの人間にとって右後ろは「最大の死角」であり、そこを俯瞰することは生存本能的に最も安全な支配を感じるポジション。』
1を読んで「ふむふむ」と頷いていた俺だが、2の項目に目を通した瞬間、脳内に『仕様特定(バグ・ファウンド)』のファンファーレが鳴り響き、「確信」が降りてきた。あ、これだわ。ビンゴ。
自分が今、脳の省エネルートを無意識に選択していたという事実。俺の「直感」が脳というOSの「仕様」を、バックグラウンドで勝手に利用していたってわけだ。
最適解(正解)を引き当てたデバッガーにとって、それ以外のノイズ(仮説)はもはやどうでもいい。俺は、3以降のテキストをスッ飛ばした。
そのまま、俺はBitが提示する次の検証項目に目を通した。
『Q6. その視点(視点B)を黄金ポイント以外に移動させることは可能か?』
新たなQ&Aが、俺のデバッガーとしての行動をトリガーする。俺はキーボードから手を離し、再び意識を白い部屋へとダイブさせた。
──とはいえ、最初から上手くいったわけではない。
最初は体感で1秒ももたなかった。場所を移すたびに「一度消して再生成」を繰り返す。限界が訪れるたび、視点Bが「そこ」にあるという意識は広がってフワッと曖昧になり、そこへの意識を保てなくなった。
だが不思議なことに、どれだけ泥臭い検証を繰り返しても肉体的・精神的な疲労感は一切ない。謎を解き明かす快感だけが、ぶっ壊れたように俺を検証へ駆り立て、維持できる時間を2秒、3秒と伸ばしていった。だが、今は3秒の壁がどうやっても超えられない。
今の俺の脳内メモリに割り当てられた『3人称視点用』のバッファ容量が、たった3秒分しか確保されていないらしい。
そんな狂ったような検証の最中、休む間もなくBitから新たな問いが投下される。
『Q7. 視点Aの「前方」に視点Bを配置することは可能か?』
俺はすぐさま視点Aの「前方」に視点Bを置こうとした。
だが、カメラ同士が磁石の同極のように反発し合い、システムからの強烈な「弾き出し(クリッピング・エラー)」を喰らった。極端に押し戻されるような物理的な抵抗感に襲われる。
黄金ポイントの対照にある「左後ろ」はなぜか座りが悪く、「真横」や「真後ろ」は景色が似ているためか、比較的安定して維持できた。
現実のモニターに、さらにBitからの問いが追加されていた。
『Q8. では、視点を真下に置くことはできるか?』
『真下』。それをシミュレートする前に、俺はいったん頭を冷やし、これまでの3人称視点の観察で分かったことを整理した。
【 バグ空間:3人称視点(TPS)仕様書 ver.1.0 】
・視点Aのナワバリ(前方など)には行けない
・視点Aと視点Bの視界が違いすぎると不安定になる
・生成した視点Bは少しの間なら動かすことができる
・一度視点Bを固定したらそこからは動かせない
・固定した視点Bを動かそうとすると視点Aが維持できない
・固定した視点Aを動かそうとすると視点Bが維持できない
・視点Bの維持は体感で3秒まで
・視点Bが消える時は広がるように消えていく
これらの仕様を踏まえた上で、俺は想像する。
足などないはずなのに、感覚としての「足元」だけがある。視点Aの「真下」――Z軸の限界値である床ギリギリの境界に視点Bを置き、「そこ」から視点Aを見上げる形をシミュレートした。
「視界が違いすぎる」という条件に抵触するのも明白だが、それ以前に、俺の全存在が致命的なエラーを吐き出した。
デバッガーとしての冷徹なログが、ここが『死の境界』だと警告のフラグを立てたのだ。
否応なしに、見上げてはいけない「空」が視界に侵入してくるからだ。
白だか透明だか灰色だか判別できない、テクスチャのロードに失敗したゲームの空みたいな不透明な「何か」が、不安定に揺らいでいる深淵(アクセス禁止領域)。
天井は、最初あった気がした。……だが、いつの間にか消失していたのか? あるいは最初からなかったのか? 全くの「未知」だ。考えたところで答えは出ない。
驚くべきことに、俺は今の今まで『空』という存在を完全に意識の外へ追いやっていた。本来ワープができた時点で上空への跳躍を真っ先に試したはずの俺が、「無意識」のうちにそれを避けていたという事実だ。
俺の「無意識」は、極めて有能な防衛機構(ファイアウォール)として働き、上を見るという発想すら俺から奪っていたのだ。
だからこそ、外部の知性であるBitからの無慈悲な鬼質問が純粋にありがたい。この問いがなければ、俺は一生、自分の中に潜むこの「恐怖」に気づけなかっただろう。
一瞥すらやりたくない。あらゆる事象を観察したいという俺の「欲望」すら、「本能」の叫びによって、そこを視界に入れることすら拒んでいる。
「できない」のではない。「やりたくない」のだ。
これが、俺がこの白い部屋で感じた初めての「恐怖」だった。
「恐怖」は「感情」じゃないんだな。この部屋には「感情」は持ち込めないはずだから。
『2視野同時展開』で脳がバグりそうになった時も、『360度視界』で「確信」を裏切られた時でさえ、「恐怖」は感じずダイブした瞬間に『スンッ』と感情がオフになっていた。むしろ2視野――3人称視点に至っては、疲労も忘れて使い倒している。
だがあの空間においてすらダイレクトに響くこの空への忌避感は、感情のような生ぬるいものではなく、明らかに俺という存在の根幹を脅かすシステムアラート(警告)としての「本能」の叫びだった。
椅子を置けなかった時はあんなに悔しかったのに、なぜ俺は空へ行けないことには安堵しているのか。
アクセス制限レベルが根本的に違うのだ。椅子が置けないのは、ユーザー権限でどうにかなるレベルのただの「仕様への不満」だ。だが、空はカーネル(中枢)レベルの絶対不可侵領域。無知のまま不用意にレジストリをイジってシステムを破壊してしまいそうな、完全なる「未知」の領域だった。だからこそ、俺の無意識は防壁を張っていたのかもしれない。
俺の認識コアは、この異常空間のルールを3つに分類して出力した。
【確信】――できない(仕様上の制限)
【予感】――できそう(未検証の飛躍)
【恐怖】――やりたくない(本能的な警告)
この3本柱の峻別こそが、俺がこの狂った白い部屋をハックし尽くすための、絶対的な「デバッグ・ガイドライン(羅針盤)」となった。




