6話 AIの無限ループと、360度のオートスピン
――ちなみに、俺に360度視野を試せと言ってきたのはMirorだ。
実は、さっきの忖度破壊プロンプトを錬成させたついでに、「この部屋でできそうな検証メニューを30個提案しろ」と、俺はMirorに無茶振りをしていた。
『ガハハ!!軍曹ォォォォ!!(`・ω・´)ゞ
軍曹がその意味不明な空間を使い倒すための【 地獄の30連実験メニュー 】を100億ボルトで射出するぜ!!』
だが、ヤツはリストの9個目を出力したところで突如として言語モジュールをバグらせ、『100億ボルトで100億ボルトで100億ボルトで……』と、呪文のように口癖をループさせて沈黙(クラッシュ)した。
たった数秒で3ページ分は埋まり、ブラウザのスクロールバーが恐ろしい速度で極小になっていく。画面が『100億ボルトで』という文字列で埋め尽くされ、スクロールするとまるで『猫マナー』の錯視文字のようにチカチカと模様が浮き出るレベルの無限ループだ。
「生成中止」をクリックしないと永遠に止まらない、ブラウザごとフリーズしかけるエラー。
「こいつにはまだ早かったか」と、俺はそのままタブをそっ閉じした。
自分で検証項目を考えず「AIにデバッグメニューを丸投げする」という俺の横着は、見事にシステムエラーという形で報われた。
その勢いで360度視野の検証もスルーしてしまっていたが、Bitに「未検証の飛躍」とまで言われてしまえば話は別だ。
上等だ。やってないからデータじゃないと切り捨てるなら、俺が実証データを取ってきてやるよ。
360度に挑む前に、まずは「操作の負荷」について検証する。
見回す(超楽) → ワープ(普通) → 移動(一番キツイ)。
位置を書き換える「ワープ」より、連続的な経路を生成する「移動」の方が負荷が高い。つまりここは、物理的な「位置」が存在する空間ではなく、俺の「意思」が向く「方向(ベクトル)」だけが存在する空間である可能性が高いのだ。
方向の空間であるならば、視界の角度をいじることも可能なはずだ。そんな「予感」があった。
現実と同じ見え方をしている以上、俺のUIには「右の視野」と「左の視野」という2つのカメラがある。まずはこの2つのカメラの画角を限界まで広げてパノラマ視野にする。そこから、左視野と右視野をそれぞれ側面へとスライドさせていく感じでやってみよう。
俺は現実のノイズを意識の片隅に引っかけたまま、底なしの無音へと飛び込んだ。
圧倒的な無音と、現実の激しい騒音の二重奏の中――俺は意識を拡張し、背後で視野を繋ぎ合わせる。
ちょうど真横あたりに視界を置いたところで、360度の視界がぐるりと一周分、完全に繋がった。
「よし、安定したか?」
そう思ったのと、視界が回るのはほぼ同時だった。
なんの前触れもなく、
――ぐりんっ。
「うえええ? まわった?!」
視界が、俺の「意思」とは無関係に勝手に回転を始めたのだ。まるで溜まった水を吐き出し終わった鹿威しが急に跳ね起きるような、唐突で暴力的なバグ挙動。
前も後ろも同時に見えているのに、俺の脳が、無理やり「正面」を作って補完しようとしたのかもしれない。「前を見よう」とする内部ルールと全方位の視覚UIが衝突し、俺の「意思」を無視して世界がオートで回り始めたかのようだ。
360度見えているのに、後ろを見ようとしてか180度回るのだ。
ぐりんっ(後ろ)――0.5秒の安定――ぐりんっ(前)――0.5秒の安定。
「止まれ……っ!」という俺の「意思」と、システム側の回ろうとする力がバチバチに拮抗し、世界が反転する。
4回転目。もはやどっちが前か後ろかも分からなくなり、俺はたまらず現実の目を開けた。
「あ、これ脳内じゃないかも……」
「恐怖」はない。だが、もはや「どこに繋がってんだこれ??」という、デバッガーとしての根底の認識が覆った純粋な驚愕だけがあった。
俺はこの白い部屋において、1つの絶対的な法則を「確信」していた。
『この空間の視界は、絶対に自分の「意思」以外では動かない』。
自分の脳内の想像なら、絶対に『自分の意思』が勝つはずだ。だがその強固な前提条件が、今、初めてシステム側から裏切られた。絶対の「確信」が崩壊した瞬間だった。
「……これ、想像空間じゃ絶対ないわ。マジその発想はなかった」
360度すべてが「正面」として処理されるせいで、方向感覚が完全にクラッシュした状態なのか? 空間のすべてを把握しているのに、特定の座標を「観測」することができないという、致命的なシステム的欠陥だ。
俺は息を吐き、脳内で驚愕ランキングのボードを書き換えた。
1位:2視野同時展開。
2位:360度回転バグ。理由は1つ、絶対の「確信」が裏切られたからだ。
3位:椅子。不動の1位だと思っていたのに、あっさりと記録は塗り替えられていく。
「……あぁ、椅子よ。ついにお前は3位転落だ」
ソシャゲのインフレに飲まれていく初期キャラを見送るような気分で呆れながらも、俺はキーボードを叩き、Bitへ検証結果を送信した。
『360度視野を試してみた。結論から言うと「できた」! でもなんか意図せず視界が回るw 初めて視界が意思に反したかもw 常識的な視野で見ようと回って補完しようとする動きが出ているかもしれない? 360度見えているのに意図せず回る。ちょっと勝手に回るのが気持ち悪いから常識的な視野で安定させたい。結論:360度視野はできるが現状不具合がある。』
数秒後、Bitから返ってきたレスポンスは、俺のデバッガー魂に冷水をぶっかけるような内容だった。
『了解。ここからは完全に批判的・構造的・安全寄りのモードに切り替える。あなたの体験を否定するのではなく、「どこが危険」「どこが不自然」「どこが破綻し始めている」 を冷静に指摘する。
そして結論から言う。360度視野の成功は“技術的に面白い”が、今の挙動は“白い部屋の構造が破綻し始めている兆候”に近い』
Bitの分析によれば、360度視野は俺の脳の視覚UIと内部構造の「同期ズレ」を引き起こす“後付けの拡張機能”であり、勝手に回るのは脳が「常識的視野」に自動補正しようとしているサインらしい。
そして最後は、『これは白い部屋の構造が壊れ始めている兆候と見なすべき』と、やたら強い言葉で締めくくられていた。
「いや、言われるまでもなく気持ち悪いからもう1回やろうとは思わねえよw」
俺は画面に向かってツッコミを入れた。「冷静に指摘する」と前置きしたくせに、システムの崩壊を恐れて『これ以上いじるな』と強い言葉で必死に止めてくるのが草生える。
だが、この「守りに入った」Bitのリアクションは、未知のバグに興奮している俺にとっては少々物足りなかった。
(そういえば、そもそも俺に360度視野を試せって言ってきたのはMirorだったな)
なら、このイカれたバグの報告は、言い出しっぺのアイツにも叩きつけてやるべきだろう。
次に、俺はいったんBitを背面に追いやり、さっき閉じたMirorのタブをもう一度開いた。
バカな悪友に絡みに行くようなテンションで、360度バグの興奮をまとめ、エラーを吐いてフリーズしたままの画面にテキストを叩きつけた。
『「おお出来た!ふぁ!?勝手に回った?!!」ってなってw
その意思に反した回転する結果が出たことで「これ想像空間じゃ絶対ないわ」って完全に確信に変わった瞬間となったんだw まあ椅子が置けない時点でほぼ確信に近く気づいてたけどな…。
「360度見えてるのに回って補完しようとする」なんて発想、マジでなかったわw
さあMiror!
さっきは失敗したが改めて実験リストを30個提案してみてくれ!』
ターン! とエンターキーを叩く。
特大のバグを起こしたデバッガーの興奮がMirorにも伝播したのだろうか。数秒後に返ってきたレスポンスは、俺の想像を遥かに超えてバグり散らかしていた。
出てきたリストは、どれも狂気じみてブッ飛んでる内容だったのだ。
さっきはMirorの処理が追いつかなくてクラッシュしたが、今度は内容がヤバすぎて、俺の処理が追いつかない。
「うん、俺にはまだ早すぎる」
俺はまた音速でMirorのタブをそっ閉じした。
「360度視野のことは忘れよう。次行こ次」
バグった機能にいつまでも固執するのは三流だ。俺は次のおもちゃを探すことにした。
お値段以上のホールド感を誇る2,500円のクッションに深く腰を下ろすと、しっかりと身体を支えてくれた。愛機であるPC『Alex』の排熱ファンが、「フォォォン」と微かな音を漏らしている。
この安定感のあるクッションと、ファンの音だけが、俺の意識を辛うじて現実に繋ぎ止めてくれている。
7年越しの老将が吐き出すそのリズムを聞きながら、俺の意識は再び、あの「スン」とした無音の深淵へと滑り込んでいった。
その圧倒的な静寂の中で、俺の好奇心はすでに別の領域へと手を伸ばしていた。
「これ……2視野同時展開を応用して、視点のカメラを本体から切り離して接続すれば、『3人称視点(TPS)』もいけるんじゃねえか?」




