第7話 重なる誤解
学園の春の祝宴。
大広間は、煌びやかなシャンデリアの光と、香水の匂い、そして若者たちの浮き足立った熱気に包まれていた。
私は、ドルーマン伯爵家の令嬢として、淑女課の友人と共に会場の隅に立っていた。今夜の私は、壁に馴染むような落ち着いた色調のドレスを纏っている。派手さはないが、生地の質と仕立てにはこだわった、私なりの矜持が詰まった一着だ。
けれど、広間の入り口が騒がしくなった瞬間、私の矜持は音を立てて崩れ去った。
「リッチモンド伯爵令息だわ。なんてお美しい……」
「お隣のあの方は? ……まあ、信じられない。シシリー男爵令嬢じゃないの?」
現れたのは、光り輝くようなユリウスと、その腕に可憐に縋り付くジャネットだった。
ジャネットが纏っているのは、夜空を溶かしたような深い紺青のシルクに、繊細な銀糸の刺繍が施された見事なドレス。彼女の儚げな美しさを、これ以上なく完璧に引き立てていた。
そのドレスを見つめながら、私は数日前のユリウスとの会話を思い出し、奥歯を噛み締めた。
『ねえ、ビビ。相談があるんだ』
いつものように図書室で勉強していた私に、ユリウスは無邪気な顔で話しかけてきた。
『ジャネット嬢のことなんだけど、彼女、パーティーに着ていくドレスがないそうなんだ。男爵家は今、大変だろう? せっかくの祝宴なのに、彼女一人が惨めな思いをするのは忍びない。リッチモンド家から、お祝いとして一着贈りたいと思っているんだ』
私はペンを握る手に力を込めた。
『……ユリウス。それは、誤解を招くのではないかしら。男性が女性にドレスを贈るのは、特別な意味を持つわ』
『だから「リッチモンド家から」という形にするよ。僕はただ、気の毒な彼女に、少しでも笑顔になってほしいだけなんだ。……ねえ、ビビ。君はセンスがいいから、どんな色や形が彼女に似合うか、意見を聞かせてくれないかな?』
君はセンスがいいから。
彼女に似合うものを教えて。
あの日、彼は本気で、私が喜んで協力すると思っていたのだ。
幼馴染であり、もっとも信頼するパートナーである私が、彼の「善行」を手伝うことを疑いもしなかった。
私は、喉まで出かかった叫びを呑み込み、事務的に答えた。
『……彼女は色が白くて儚げだから、淡い色より、深い青の方が映えるのではないかしら』
『なるほど! さすがビビだ。ジャネット嬢もきっと喜んでくれるよ。ありがとう、助かった!』
そう言って笑った彼の顔を、私は一生忘れないだろう。
自分の婚約者候補である女性に、別の女性への贈り物の相談をする。それがどれほど残酷な仕打ちか、彼は一ミリも理解していなかった。彼にとって私は、共に正義を行う「同志」であって、愛を囁く「対象」ではなかったのだ。
「……ビビアン様。大丈夫ですか?」
隣にいた友人が、心配そうに私の顔を覗き込む。
「ユリウス様、いくらなんでも……今夜のエスコートまで、あの方になさるなんて」
「……彼は正義感が強いのよ。彼女が会場で無視されないよう、自分が盾になるつもりなのね。ユリウスらしいわ」
私は、自分でも驚くほど冷めた声で答えた。
会場の中央では、ユリウスがジャネットをエスコートし、優雅にダンスのステップを踏んでいた。
ジャネットは夢を見るような心地でユリウスを見上げ、ユリウスは彼女が転ばないよう、その腰をしっかりと支えている。
二人の周囲には、まるで魔法がかかったような輝きがあった。
美しい。本当に、絵画のように美しい二人。
ユリウスの隣にいるべきなのは、私のように、自分一人でドレスを選び、自分一人で壁際に立てる女ではない。
彼が贈ったドレスを纏い、彼の腕に縋り、彼がいなければ消えてしまいそうな、あの可憐な少女なのだ。
(ああ……胸が痛い)
圧倒的な敗北感。
けれどそれは、容姿や身分のせいではない。
ユリウスの中に眠る「ヒーローになりたい」という欲望を、私は一度も満たしてあげられなかった。私は彼に「相談」はしても、「依存」はしなかったから。
ユリウスは一度も、私のドレスを褒めてくれなかった。
私がどんな思いで今夜の衣装を選んだか、気にも留めていない。
今の彼にとって、ビビアン・ドルーマンは「放っておいても勝手に美しく咲いている花」であり、ジャネットは「自分が水をやらなければ枯れてしまう一輪の蕾」なのだ。
ダンスを終えたユリウスが、こちらに気づいて手を振った。
彼はジャネットを連れて、私の方へ歩いてくる。その顔には、「どうだい、ビビ。君のアドバイス通り、彼女にぴったりのドレスだろう?」という、誇らしげな笑顔が浮かんでいた。
私は、逃げ出したくなる衝動を抑え、貴族令嬢としての完璧な微笑みを顔に貼り付けた。
もう、限界だった。
彼の無自覚なナイフで、私の心はもう、切り刻まれてボロボロだ。
この日、私は初めて、彼のいない未来を、真剣に夢想し始めた。




