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君がいなくなって、ようやく恋だと知った 〜幼馴染を失った彼の後悔〜  作者: 恋せよ恋


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第2話 孤独な男爵令嬢ジャネット

  学園生活が始まって一週間。王立学園の空気は、僕が思っていたよりもずっと保守的で、古臭い特権意識に満ちていた。



 僕が籍を置く「領地経営課」は、将来、自領を治める立場にある嫡男たちが集う場所だ。ここでは伝統という名のもとに、いまだに前時代的な価値観が幅を利かせている。



「おいおい、見てろよ。またあいつ、一人で必死になってるぜ」


「男爵家の分際で、この領地経営課に入るなんてな。婚約者でも探して、女は大人しく淑女課で刺繍でもしていればいいのにな」


 教室の隅で、数人の取り巻きを連れた伯爵家の三男が下品な笑い声を上げている。



 彼らの視線の先にいるのは、一人の少女だった。


 シシリー男爵家の嫡子、ジャネット。


 艶やかな黒髪を簡素なリボンで一つにまとめ、使い古された教科書を広げている彼女は、この華やかな教室内で明らかに浮いていた。


 彼女がこの課にいる理由は、学園内でも有名な噂になっていた。没落寸前の実家を立て直すため、並大抵ではない努力で試験を突破し、女子禁制に近いこの課に潜り込んだのだという。



「……あの、そこをどいていただけますか。次の講義の資料を取りに行かなければならないのです」


 ジャネットが、進路を塞いでいる男たちに毅然とした声を上げた。



 だが、男たちは鼻で笑い、わざとらしく彼女の足元にインク瓶を落とした。


「おっと、手が滑った。男爵令嬢、君が片付けてくれるんだろ? 女の仕事は掃除だろうからな」


 飛び散ったインクが、ジャネットの制服の裾を汚す。



 周囲の生徒たちは、見て見ぬふりをするか、あるいは面白そうに観察している。


 僕の隣に座っている友人も、「関わらないほうがいいぞ」と小声で忠告してきた。



 その瞬間、僕のなかで何かが弾けた。



 幼い頃から母に教えられてきたこと、そして僕自身が信条としている「高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュ」。弱きを助け、不当な扱いに立ち向かうことこそが、リッチモンド家の嫡男としての誇りではないのか。



「――そこまでにしておけ。見苦しいぞ」


 椅子を引く音が、静まり返った教室に響いた。



 僕が歩み寄ると、男たちは気圧されたように後退りした。リッチモンド伯爵家は、彼らとは格が違う。



「ユリウス様……! いえ、これはその、教育というか……」


「教育? 未来の領主たる者が、学友を貶めることが教育だと言うのか。君たちの領民が今の醜態を見たら、さぞ嘆くだろうね」



 僕が冷徹に言い放つと、男たちは顔を真っ赤にして逃げ出すように去っていった。


 僕は膝をつき、インクで汚れたジャネットの足元を自分のハンカチで拭った。



「大丈夫かい、シシリー男爵令嬢」


 顔を上げた彼女の瞳は、潤んでいた。しかし、その奥には折れない意志の光がある。


 今まで出会ってきた令嬢たちは、皆、僕の家柄や容姿を見て微笑んできた。だが、彼女は違う。ただの「一人の人間」として、必死に戦っていた。



「……あ、ありがとうございます。リッチモンド伯爵令息様。でも、私は平気です。これくらい、慣れていますから」


 震える声で、それでも彼女は微笑もうとした。



 その儚げな、けれど芯の強い微笑みを見た瞬間、僕の胸の奥が激しく脈打った。



(なんだ、この感覚は……)



 これまでに感じたことのない、突き上げるような衝動。



 この少女を、僕が守らなければならない。彼女の戦いを、僕が支えてあげなければ。


 ビビのように、放っておいても凛としていられる女性とは違う。ジャネット嬢には、僕が必要なのだ。



「……君が望むなら、僕が力になる。もう一人で戦う必要はない」


「そんな、畏れ多いです。私のような者が、あなた様に……」


「家柄なんて関係ない。君の努力を、僕は尊敬している」



 僕の言葉に、彼女の目から大粒の涙が溢れ落ちた。


 あどけない少女のように泣きじゃくる彼女を見て、僕は確信した。これこそが、本物の「恋」というものなのだと。



 放課後、いつものように校門でビビアンが待っていた。


 ドルーマン家の馬車の前で、彼女はいつもと変わらない、穏やかで知的な笑みを浮かべている。



「何かあったの? ユリウス、今日は少し遅かったのね」


「ああ、ビビ。ごめん、少し用事があってね」



 僕は彼女の隣に座りながら、ジャネットのことが頭から離れなかった。

 彼女の汚れた制服、震える声、そして僕に向けられた感謝の眼差し。



 隣に座るビビは、いつも通り完璧だ。僕が助けなくても、彼女は自分一人で学園生活を謳歌している。



「ユリウス? 何か考え事?」


「……いや。ただ、この学園には、僕たちが知らないほど過酷な環境で頑張っている人がいるんだと気づかされただけだよ」



 僕が熱を込めて語ると、ビビは一瞬、不思議そうに瞬きをした。


 彼女なら分かってくれるはずだ。僕のこの正義感を、そしてこの新しい「使命」を。



「そう。……ユリウスがそこまで言うなんて、珍しいわね」



 ビビはそれ以上何も聞かなかった。


 ただ、窓の外を見つめる彼女の横顔が、少しだけ遠く感じたのは気のせいだろうか。



 僕は決めた。


 明日から、ジャネット嬢を助けよう。彼女がこの学園で正当に評価されるまで、僕が隣にいてあげよう。



 ビビは理解のある女性だ。僕たちが積み上げてきた時間は、これくらいのことで揺らぐはずがないのだから。


 その確信が、傲慢な「甘え」であったことに気づく日は、まだ遠い。

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