第1話 隣り合う二人
石畳を叩く馬の蹄の音が、軽やかに朝の王都に響いている。
ドルーマン伯爵家の紋章が刻まれた馬車のなか、私は膝の上で指を固く絡めていた。決して怖気づいているわけではないけれど、これから始まる「喧騒」を想像すると、どこか遠くへ逃げ出したくなるような、落ち着かない気分にさせられた。
「緊張してるの? ビビ」
鈴を転がすような、低く心地よい声。
顔を上げると、そこには朝の光を味方につけたような輝かしい少年がいた。
リッチモンド伯爵家の嫡男、ユリウス。
緩やかに波打つ金髪に、知性を湛えた深い青の瞳。仕立ての良い学園の制服を完璧に着こなす彼は、幼馴染の私から見ても、ため息が出るほど様になっている。
「うん。ユリウスと一緒だと、令嬢たちの嫉妬の目が凄いのよ。正直、面倒だもの」
私が少しだけ唇を尖らせて本音を漏らすと、ユリウスは意外そうに目を丸くし、それから可笑しそうに肩を揺らした。
「ははっ、手厳しいな。でも、僕だって同じだよ。君に近づこうとする男たちを追い払うのは、なかなかに骨が折れるんだから」
「そんな人、いないわよ」
「自覚がないだけだよ。ビビはもう少し、自分の価値を信じるべきだね」
彼は迷いのない動作で私の手に自身の掌を重ね、軽く指を絡めた。幼い頃から、こうして触れ合うのは日常茶飯事だ。
母親同士が親友という縁で、私たちは文字通り、物心がつく前から共に育った。勉強も、乗馬も、時にはちょっとした悪戯も。両家も、いずれは二人が結ばれることを当然の未来として見守ってくれている。
ユリウスは優秀で、利発で、そして何より正義感が強い。
私にとって彼は、最高の幼馴染であり、最も信頼できる友人だ。彼が隣にいることが、空気と同じくらい当たり前のことだった。
「あ、見て。ビビ、学園が見えてきたよ」
ユリウスが窓の外を指さす。壮麗な白亜の校舎が、新入生を歓迎するようにそびえ立っていた。
馬車が正門をくぐり、停車する。扉が開かれると、外にはすでに多くの生徒たちが集まっており、私たちの馬車に視線が集中した。
ユリウスが先に降り、私に手を差し出す。
その動作一つひとつが洗練されていて、周囲からは吐息のような感嘆の声が漏れた。
「さあ、行こうか。今日から新しい生活の始まりだ」
彼の差し出した手を取り、地面に降り立つ。
ユリウスは当然のように私の手をおのれの腕に導き、エスコートの形をとった。
「見て、リッチモンド伯爵家のご令息よ……なんて素敵なの」
「お隣の方は? ああ、ドルーマン家の方ね。幼馴染だなんて羨ましいわ」
案の定、容赦のない囁きと熱烈な視線が突き刺さる。
私は小さく溜息をつきながらも、背筋を伸ばして彼の隣を歩いた。ユリウスの隣を歩く以上、ドルーマン家の名に恥じるような真似はしたくない。
「ビビ、君は領地経営課ではなく淑女課だったね。教室が離れてしまうのは寂しいけれど、放課後はまた馬車で一緒に帰ろう。約束だよ」
「ええ。あまり女の子たちに捕まらないようにね、ユリウス」
私はいたずらっぽく微笑んで返した。
ユリウスもまた、自信に満ちた笑みを浮かべて頷く。
この時の私たちは、何の疑いも持っていなかった。
この「約束」が、ある一人の少女の登場によって、砂の城のように脆く崩れ去っていくことなど。
そして、ユリウスがその「正義感」ゆえに、一番大切にすべきものを自らの手で手放してしまうことも。
眩しい春の陽光のなか、私はただ、並んで歩く彼との心地よい距離感を楽しんでいた。
それが、永遠に続くものだと信じて。




