096 常識と非常識と
相馬は私服で出社した。
集合的無意識の層、夢の中にある会社。
不良社員になったわけではないが、少しばかりの面白さがある。
しかし、これからここで起こるであろう事を思えば、楽しんでいる場合では無かった。
いつもなら自由をくれる、自分の居場所とも思える世界だったが、今はこの世界そのものに憎しみすら感じる。
座り慣れた椅子ですら、居心地が悪い。
何度も落ち着ける姿勢を探るも、しっくりと来ない。諦めて腕組みをして思考に耽っていると、部屋のドアが開いた音が聞こえた。
ドアを開けた人物は、そのまま流れるような所作で、自然と相馬の隣の席へ座る。
「おはよう相馬、お疲れー」
「よう・・・石上」
何度も繰り返した光景だったが、これもまた居心地の悪さを感じる。
横にいるのは確かによく知る同僚のはずだったが、本当に自分が知るあの同僚なのかと疑問すら感じる。
なんと名を呼んだらいいものかと、一瞬悩んだほどだ。
相馬はまだ、この人物が何者なのか理解ができていないのだ。
(変わったのは俺か、こいつか、世界の方か)
しばらくは無言の時間が続いた。
須藤の部屋で流れていたような落ち着きのある時間ではない。
他の同僚の姿は無く、世界は静寂に包まれている。
沈黙を破ったのは相馬の声だった。
「石上、俺はどうしたらハウザーに勝てる」
「意外だな、初めにその質問をするなんて。この世界の謎とか、俺の事とか、色々気になるんじゃないのか?」
「気にならないわけねえだろ。それでも、必要な物を取りこぼしたくない。こっちはお前に殴りかかりたいところを、我慢して聞いてんだぞ」
「ふっ、やっぱりお前は期待通りだな」
相馬にとって、石上が口にした疑問が気になるのは当然。
しかしそれは今聞いたところで、好奇心を満たす事はあっても、明日へと繋がるための答えには成り得ない。
そもそも、口にした石上自身、世界の核心について話すつもりはないはずだ。
我慢したつもりが、苛立ちが反射的に舌打ちとなって出た。
「いいから答えろよ、勝てる方法はあるのか?」
「怒るなって、まあ待て。俺の予定では、初めの質問は『お前は何者なんだ?』だったし、その上で会話をするつもりだったんだ。それだけ先に答えさせろよ」
「意味がわからん。今はそれどころじゃー」
「相馬、俺はお前の味方では無いよ」
「・・・そうかよ」
「ああ。それでもお前を生かしたのは、俺の目的にも必要だったからだ。それで、さっきの質問の答えだけど、あー・・・」
「もったいぶるなよ」
どうしても口調が荒っぽくなってしまう。
この世界の理不尽に晒されたばかりだ。それに目の前にあるのは、気の置けない同僚だと思っていたはずの正体不明の男。おまけに「味方ではない」と必要もない釘を刺された。
心穏やかでいられるわけがない。
それでも、理性で精一杯自分の感情を押し殺し、必要な会話だけするようにと心がける。
「もったいぶるとかじゃなくてよ、今のままでも勝てるよ、お前なら。たぶんだけど」
「はあ?俺が何度あれに負けてると」
「いや聞けよ。そして思い出せ、お前の力ってかなりムラあるだろ。西岡と戦った時を思い出せ」
期待していた内容とは異なる、意味の分からない答えに抗議しようとして、止めた。
まずは、言われた通りに思い起こしてみる。
今はどんな可能性にでも縋りたかった、たとえそれが、どんなに信の置けない相手の言葉でも。
(西岡と、戦った時・・・)
敵と対峙したスタジアム。
初めは圧倒された。
あのパワーに、敵の能力に、姑息なやり方に。
大怪我を負い、倒れ、もう少しのところで仲間にまで危険が及ぶところだった。
それでも、最後に立っていたのは相馬だった。
西岡を逆に圧倒したあの時、あの一瞬、確かに万能感があった。
自由に思い描いた通りに駆け、跳んで、殴った。
その力の出力は、自分の理想通りだったと言ってもいい。
「思い出したな?じゃあ次だ、一人でこの街を跳び回っていた時を思い出せ。お前の限界は、2階建ての家だったか?5階建てのビルだったか?」
(いや、そんなものでは無かった。ひとっ飛びとはいかなくても、脚だけではなく腕も使えば、ものの数秒で、この街のすべてのビルの上に立てた)
「じゃあさらに次だ。ハウザー達に負けた時、お前は十分に力を振るえていたか?仲間との連携は心地よかったかも知れないが、個人としてはどうだった?」
前回の戦い、自分はハウザーどころか、陸と名乗った男にも敗北している。
どの戦い、どの場面でも、自分の能力を全力で使っていた。
それに疑いようはない、必死だった。
そもそも命を懸けてまで、手を抜く意味が分からない。
それでも、あの戦いと、自由にこの街を駆けていた頃の自分の力は同じだっただろうか。
「俺が弱くなっていっている?」
「不正解、バカ」
「なんだと」
「周りの影響を受けているんだよ。周りの常識が、お前の常識を奪っている。いいか、ここは夢なんだぞ。何でもできると思えばできるし、できないと思えばできない」
「その理屈はなんとなく分かるとしても、周りに常識を合わせたつもりは」
「つもりはなくても、自然とそうなってるんだよお前は」
そう言われると、覚えが無くも無かった。
今まで戦った敵には、全力を尽くした、良くも悪くも。
敵の強さはそれぞれ全然違うはずなのに、全てに全力を尽くす必要があった。
「俺は、一人で戦った方が強いのか」
「また不正解、バカ。須藤に怒られるぞ、それ」
「痛いところを」
「ははっ、その須藤が絡むとリミッター外れるだろ。一人でいる事は、力の強さに関係ない。ほとんどな」
「お前、さっきからどこまで知って・・・」
「知ってるさ、俺はこの世界の王に一番近いからな」
「王だって?」
「そう、王」
「寝言か?」
「はっ、確かに寝てはいるな。でも気は確かだよ。まぁとにかくさ、ハウザーくらいは倒してくれよ。お前は、何でもできる側の人間のはずなんだから」
「あ、おい」
石上はそう言うと、席を立った。
立ち上がると、椅子の背もたれ越しに相馬の背中を叩く。
相馬も立ちあがろうとするが、腰が浮かない。
「は!?なんだこれ!」
いつの間にか、自身の腰には分厚く強固なベルトが巻かれ、椅子に固定されていた。
さらにキャスター付きだったはずの椅子の足は、地面から生えた木のように床と一体化している。
いくら力を込めてもびくともしない。
「待て!これお前が!?石上ぃ!」
「はっはっは、それくらいはどうにかできるようになってくれよ。ここから先は、もう助けないからな。お前には期待しているが、一から十まで育ててやる義理は無い。お前が勝手に生き残って、俺の期待に応えろ」
「意味わかんねえって!おい!」
「あ、凛には謝っておいてくれよ」
「自分で言えよっ!」
相馬の罵詈雑言も空しく、石上は背中を向けたまま、手を振って部屋を後にした。
椅子と格闘する。どうにかできるようにとは言うが、実際どうにもならない。
相馬は頭の血管が切れるのではないかという勢いで、腕にも脚にも力を籠めている。それこそ手抜きなんてしていないつもりだ。
それでも椅子は、相馬の体を固定たまま離さそうとしない。
しばらくすると、石上が出て行ったドアから入って来る人物。
「え、課長?」
「え、じゃないんだよ。社会人ならいいかげん挨拶くらいだなぁ」
いつの間にか、周りからは人の声や、足音、コピー機の起動音が聞こえていた。
課長に続いて、他の同僚も次から次へと部屋に入って来る。
瞬く間に部屋はいつも通りの日常を取り戻す。
思わず体から力が抜けると、同時に椅子もいつもの姿を取り戻していた。
足を床につけたまま膝を伸ばすと、椅子のキャスターが回り、相馬を乗せたままスムーズに移動した。
「マジで意味わかんねえって、夢かよ・・・」
小言が続く課長を無視して、相馬はがっくりと項垂れた。




