082 須藤正宗
始業開始と共に慌ただしく動き出す同僚。
無骨で可愛げのないデスクと、そこに載せられたパソコン。
いつも通りの日常。
見慣れたはずの当たり前の光景に、違和感を感じてしまう。
『生きている実感は?』
タマキの言葉が脳裏をよぎる。心臓が一度大きく跳ね、うなじを虫が這うような怖気が走る。
「おい、大丈夫か?なんか顔青くないか?」
「あ、石上・・・」
「愛しの須藤が休みに入って寂しいのか?」
須藤玲奈がしばらく休むというニュースは、すでに一部の人間には知られていた。
規模は比べ物にならないが、まるで活動休止を発表した芸能人のようだ。普段からどれだけ関心を寄せられているかが分かる。
「須藤はそんなに調子悪いのか?」
「いや、ちょっと怪我した・・・らしくて。元気そうだけど、仕事はちょっとな」
「そうか・・・支えてやれよ。何か手伝える事があれば言ってくれ」
「言われなくても。ありがとうな」
短い会話を終えて、石上は部屋を出て仕事に向かって行った。
深く探ってこない気遣いがありがたい。
始業時間を待つ間にも、須藤の休みについて憶測で話す同僚はいたが、石上がそんな輩を避けるように過ごしていたことには気付いてた。
ため息を吐いてデスクから立つ。
いつも通り古ぼけたバンに乗り込み、日常を開始した。
ここ最近の調子が良さが嘘のように、失敗ばかりの一日。
夕方になると、上司は様子のおかしい部下に「明日は頼むぞ」と肩を叩き帰って行った。
それでも今は、仕事に意識を取られている場合では無い。定時になるや否や、足早に須藤のマンションを目指す。
履き慣れた革靴が重い。
額にはうっすらと汗が滲む。
あんなに羨ましかった会社までの距離が遠く感じた。
スマホを見るが、朝のとりとめのないメッセージ以降は返事が無い。
エントランスに入り、部屋番号を打ち込んで呼び出すが応答が無い。
(まさかあっちの世界に・・・!?)
急いでスマホを取り出し、指で何度もスクロールして過去のメッセージを漁る。
「あった!」
4桁の暗証番号を手早く打ち込むと、ようやく自動ドアが開く。
エレベーターに乗り込み、廊下を歩いて部屋の前へ着くと、再びインターホンを鳴らした。
このドアを開けるために何度ボタンを押しただろうか。あんなに憧れた最新の装備が、今は煩わしくて仕方が無い。
少し待ったがやはり応答は無かった。
ならばとカードキーを取り出そうとカバンに手を突っ込んだ瞬間、聞き馴染みのある声がした。
「翔太!?どうしたの」
「玲奈っ!・・・え?」
顔を上げると、松葉杖に体を支えられた須藤が立っていた。
しかし支えているのは松葉杖だけでは無い。
須藤の隣には大きな男の姿。
背が高いだけでは無く、筋肉質でがっしりとした体躯は、ラグビー選手を彷彿とさせる。
男は玲奈の背中と腹部に手を添えている。距離が近い。
「いや、あの、仕事終わったから様子見に・・・インターホン鳴らしても返事が無くて・・・」
話しながら男から目を離せない。
男の方は気まずそうに、須藤と相馬の顔を交互に見ている。
「そかそか、とりあえず上がっていきなよ」
「ああ、はい・・・」
「あ、これね、兄」
「あにー?」
「ふへ、外人かよ。兄だよ兄。お兄さんね」
そういうつもりで語尾を伸ばしてしまったわけでは無いのだが、構わず話は続けられる。
須藤がゆっくりと歩みを進めると、兄と呼ばれた男も手を添えながら共に歩いて来た。
「私の足がこんなんだからって、実家から様子見に来たんだよ」
そう言われると男は軽く頭を下げた。
相馬もそれに倣って頭を下げる。
手の届く距離まで来るとさらに大きく感じる。石上よりも背が高く、顔を見ると、見上げる形になる。
リビングに通されると、須藤はベッドに腰掛けた。
相馬は兄とテーブルを挟んで向かい合って床に座った。
「初めまして。玲奈の兄の正宗です。初めまして」
「こちらこそ名乗るのが遅くなりすみません。相馬翔太です」
正宗は深々と頭を下げたまま、相馬から名刺を受け取った。
自己紹介のイントネーションが少し変わっている。
玲奈も酔ったり、早口になると少し変わったイントネーションになる。それを須藤玲奈以外の声で聞くのは新鮮だった。
正宗は手に取った名刺をしばらく見ると、目線を上げるが、いまいち目が合わない。
「ぁあ、玲奈と同じ会社の」
「はい。同期です。玲奈・・・さんはウチの会社でもとても優秀でー」
「ふへ、家庭訪問やめてよ。兄さん、気になることがあるならはっきり聞きなよ」
「そりゃ気になるだろ。付き合ってるってことだよな?」
「んんん〜?まぁ、婚約者?かなぁ」
「はぁ!?おめ、いつの間にそんなとこまで話進んでんだ!?なんも聞いてねえぞ!?」
元々違和感のあったイントネーションがさらに独特なものになり、喋る速度も倍程になる。
それでも玲奈は慣れたように言葉を返す。
「隠してたわけじゃ無いって。最近そうなったんだよ。流れで」
「流れ・・・?最近の子はそうなのか?」
「ふっ、そんなに歳変わらないでしょ」
正宗につられているのか、玲奈のイントネーションもいつもと違う。
「まぁいいけど、親父達には言うんだぞ」
「言うってそのうち」
「お前はいつも聞かないと何も言わないんだから。昨日だって、たまたま電話しなかったら足の事言わなかっただろ」
「いや、まぁそうなんだけどさー。言ったところでどうにかなるものでもないじゃん?」
「こうやって様子見くらいには来れるだろ。なんでもかんでも自分で解決しようとするなって」
須藤の兄、というか実家は家族で農業をやっているらしい。それなりに大きな規模らしく、人も雇っているのだとか。
足が動かなくなったと聞いて、忙しい時期だが家族を代表して兄が派遣されたという事らしい。
「相馬さん、玲奈が迷惑かけてすみません。生意気な妹ですが、よろしくお願いします」
「いやいや迷惑なんて!頭あげてくださいって!」
床に頭がつくくらいに頭を下げる正宗。
相馬も同じように頭を下げる。
玲奈だけはベッドから見下ろして、その様子を笑っていた。
「悪虐の王かよ・・・」
「ふひっ、頭が高いなぁ」
「この部屋で一番低いよ!これ以上下げたら下の階に迷惑だろ!」
「玲奈、お前いつもそんな感じなのか?ごめんな相馬さん」
「い、いえ・・・というか翔太でいいですよ」
「そうか、ありがとうな翔太君」
正宗は屈託の無い笑みを浮かべた。
屈強な印象の男だが、その表情はどこか須藤玲奈に似ている。
そのせいだろうか、いつもなら人に興味が薄い相馬も、目の前の男に好感を持てた。




