077 長い夜の終わり
振り下ろされた刀は相馬の体に深く食い込み、肉と左の鎖骨を断つに至る。
飛び散った血が相馬の顔を半分赤く染める。
だが同時に相馬の渾身の一撃は、タマキの体を捉え、体の深くまで捻じ込まれていた。
背骨まで届く衝撃。
体はくの字に折れて飛んで行き、屋上の壁に衝突する。
「がはっ、ぐっ・・・!」
タマキの口から吐き出された大量の血が、そのダメージの深刻さを物語っている。
刀は確かに狙い通りに相馬を捉えた。
しかし、心臓まで至るはずだった刃は、鎖骨をようやく断つに留まり、その命を断つには届かなかった。
想定通り踏み込まれたはずの相馬の体だが、想定以上に深く沈んでいた。
右膝は地面に着くほどに、極限まで身を低くしての一撃。
タマキは自身の体の感覚を確かめる。
駄目だ、どこも動かない。内臓がやられているうえに、背骨もどうにかなっているだろう。
目の前に相馬が歩いて来る。
右手で左の肩を押さえている。出血がひどく、顔も、手も、服も赤く染まっている。
「終わりでいいよな?」
「・・・そうね、アタシの負けだわ。とは言ってもアンタもその傷でいつまで保つの?」
「殺す前に教えてくれ。お前は何がしたかったんだ」
「別に何もしたくなかったわ」
「は?」
「アタシ達はね、こうやってしか生きられないんだよ。言ったでしょ、死んでるって」
「どういう、ことだよ」
弱ったタマキの声はひどく聞き取り辛く、たまに苦しそうな咳をしている。
咳をする度に口からは血が吐き出された。
「私はね、死んでるけど、この世界に意識を繋ぎ止められているの。だから、存在できている。集合的無意識の中で、意識だけの存在として」
「んな馬鹿な!現実で会ったばかりだろ!」
「あっはっは・・・あれはね、アタシの体じゃないよ。意識を他人に上書きした」
「いくら何でもそんな馬鹿な!ここはイカれた世界だけど、そんな事まで・・・!」
そう言って、あの時の違和感の正体に気付く。
雰囲気も姿もタマキそのものだったので、すぐに疑う事もしなかった。
だが顔を見て、すぐにタマキだと確信を得られなかったあの違和感。
「案外みんなすぐ騙されちゃうんだから。特に男は化粧ひとつでさ。顔もいじったけどね。ほんとバカ」
その罵倒は、誰に向けて吐き出された言葉だったのか、タマキは虚な目で遠くを見ている。
「他人を乗っ取る事も能力だって言うのか」
「そうよ。他人の意識を我が物のように器用に扱う天才がいるんだよ。いくら探しても、どこにいるかわかんないけどね」
「そいつに会うために玲奈を・・・!?」
血に濡れた口角が上がる。
「あっは、頭の回転が早いなあ。暗殺に使いたかったのもあるけど・・・まぁそうだね、本当の目的はそっち」
「会ってどうするんだよ」
「この世界から解放されたかった。十分に生きた。かと言って死にたいわけじゃなかった。とにかく、自分ではもうどうにもできなかったんだ。アタシ本当はもう結構なババアなんだよ。現実に知り合いなんていないし、いくら金を稼いで遊んでも、他人の体じゃ他人事のようにしか思えなかった。日に日に自分が自分で無くなる感覚・・・ガキには分かんないでしょ?」
「・・・・・」
「ははっ。この世界でも、あっちでも、時間と金をかけて色々試したもんだよ。でもどれも、アタシをもう一度現実で生かすには足りなかった」
「ならなんで俺らと敵対したんだよ!?この世界から出たかったのはお前もじゃないか!」
「協力したとして、その先には結局この世界を壊すしかなくて、アタシが現実に戻る方法が無いと分かったらどうする?この世界を壊すってのはね、自分を殺す事なんだよ。アタシにとってはね」
「っ!それは・・・!」
「ふっ、やっぱりガキだよアンタ」
タマキはよろよろと立ち上がる。壁にもたれかかり、なんとか立っているが苦しそうだ。
口からは血が流れ出ている。
「気が変わった。あんたにゃこの命をやるのはもったいない」
「どういうー?」
「じゃあな。後悔だけはするなよガキ」
そう言うとタマキはひとつ足音を鳴らし、軽く壁を乗り越えて、闇夜に消えた。
「なっ!?」
急いで壁に駆け寄って下を覗く。
タマキは目を閉じたまま、両手を広げて落ちていき、どんどんその姿が小さくなる。
そしてその体は地上へと到着する。
相馬の耳に小さな衝突音を残して、動かなくなった。
ビルの下の街灯が、スポットライトのようにその姿を照らす。
「な、なんで・・・!」
壁に縋り付くように膝をつく。
最後まで理解し合えなかった敵。
理解できなかった人間。
涙が溢れる。自分でも何で泣いてしまうのかは分からなかった。その場にうずくまるようにして泣いた。
ようやく涙が止まると、辺りは静寂に包まれた。
風が吹き、髪を揺らした。
乾いた血が肌に張り付いて気持ちが悪い。
風に乗って、布がはためく音が背後から聞こえた。
(誰かいる!?)
振り返ろうとしたが、頭に重い衝撃。
視界はあっという間に暗転し、骨が地面にぶつかる音がした。
痛みは感じないが、その音がやけに脳内に響いた。
遠のく意識の中で、誰かの声がした。




