060 珈琲と彼女
集合的無意識の層で目が覚める。
寄り道をせずに喫茶店に到着。
天気は良いが、それすら憎らしいくらいに、心には雲がかかっている。
ドアに着いた細長い金属製の棒を握り締め、その場から動けない。
「いつも何気なく開いていたドア。それが今日は重く、とても1人では開けようのない地獄の門のように見える。『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』かの有名な言葉が脳裏をよぎるがー」
「ちょっとどいてよ三流詩人」
「うわあ!」
背後に須藤が立っていた。思わずドアを開けると、当たり前のように通過して行く。
その姿を見送りながら小さく呟く。
「地獄の主人のお帰りだ・・・僕は力無き小さな悪魔。その名もドアマン」
「開けっぱなしは迷惑だよ、入りなよ」
「はい!」
空いているのでボックス席に座り、膝の上に手を置いて背筋を伸ばす。
いつものコーヒーを注文し、それが届くと、ついに始まる裁判。
「同僚の妹、それも学生に手を出そうとしてる?」
「いえ、そんな事は。たまたま凛に会って」
「ふーん、凛ねえ。呼び捨てする仲に?」
「あ゛。いや、本人がそう望みまして、深い意味は」
「私を名前で呼ぶのには随分と時間かかったのにね?」
沈黙が二人を包む。
裁判官がコーヒーを一口飲んだので、その隙に自分も口に運ぶ。味がしない。
「私が何に怒っているか、わかる?」
「え、それは・・・」
(そう言われるとなんでだ?社会的倫理観?でも凛は学生だが成人している。まさか嫉妬・・・凛が言う通り、まさか本当に)
「ぷっ、ははははは!」
突然笑い出した須藤に、思わず開いた口が塞がらない。
「ごめんごめん、いじり甲斐があるなぁ。別に何とも思ってないよ。良かったじゃん、仲良くなれてさ。でも私も誘ってよねぇ」
そう言う表情は明るい。
言葉には棘も、裏があるようにも感じない。
どうやら遊ばれていたらしい。
「なんっだよもぉぉぉぉ!」
「いやいや、でも緊張感は持った方がいいよ?あんな駅近でさ。凛ちゃんのファンとか、会社の人とか、石上くんに見られたらどうなることやら」
「そ、れは確かに・・・」
「しかも翔太と私って会社の一部で噂になってるんだよ。知ってた?」
「なんで!?」
以前、真壁と喫茶店で会った帰りに同僚と遭遇していた。
その時に、うかつにも相馬を下の名前で呼んでいる所を見られている。当然の帰結ではある。
「忘れてた。あれかぁ〜」
「ふへ、翔太は現実だとどっか抜けてる事多いからなぁ。気付いてなかったか、やっぱり」
「忠告ありがとうよ。確かにそんな噂好きに見られてたら、会社での立場が終わってたわ」
「それはそれで見てみたかったかな」
やはり悪魔め。改めて思った。
おそらく須藤は自分の人気を理解していない。
あの須藤玲奈に手を出し、あげく二股なんてしたら、本気で会社にいられなくなる。
「俺の人生でそんなことに気を配らなきゃいけない日が来るとは。ラブコメかよ。いや昼ドラ?」
「ふっ、良かったじゃん。思い詰めたヒロインに刺されないようにね」
「それはお前が刺さなきゃいいだけだろ・・・」
「いやいや、凛ちゃんだって意外と重い子かもよ?」
「兄が出て来るかも知れないしな」
くだらない話をしているうちに、コーヒーを飲み干してしまった。この日の予定は特に何も考えていない。たまには休息も必要だろう。
凛と透はどうしているだろうか。タケさんのことを調べるとは言っていたが、あまり根を詰めすぎていなければいいが。
「ちょっと散歩でも行こうか」
「ん?まぁ別にいいけどー」
会計をして外に出る。今度のドアは軽く感じた。
雑踏の中に足を踏み入れると、久々にこの世界で、穏やかな気分で街を見渡した。
「夢だと流石に堂々と歩けていいな」
「ああ、さっきの話?そうだね、手でも繋ぐ?」
「なんなら腕も組んでやるよ」
須藤のからかいのパターンも大体掴めてきた。
動じることなく受け流す。
思ったリアクションでは無いせいか、やや不服そうに目を細めて睨むようにしているが、それも受け流す。
二人で肩を並べて歩く。
「この中にも私達みたいな人っているんだろうね、多いのかな」
「どうだろうなー。いて欲しくはないけど」
「そうだよね。私は翔太が居てくれて良かったし、凛ちゃんとも出会えたけど・・・」
きっと頭の中で思い浮かべたのは西岡と伊藤、張本の事だろう。須藤がそんなに簡単に割り切れるような人間じゃないのは十分に分かっている。
あの人達にも良い出会いがあれば、と思わずにはいられないのだろう。
それでも、須藤に苦しんで欲しくは無い。
「あ、そういえば、デートしよう」
「デート・・・?誘ってるの、私を?」
話題を変えるためとはいえ、脈絡が無さすぎただろうか。「そういえば」の意味が分からない。
とはいえ何日か前に前振りはあったはずだが。
照れているような表情ではない。
あえて言語化するならば『キョトン』だ。『ポカン』でもいいかも知れない。
「へえ〜、翔太がそんなはっきり誘ってくるんだぁ。なんか意外。しまった、思わずからかうのも忘れてしまったよ。やり直してもらっていい?」
「いいわけねえだろ!」
「そうか、デートか」と呟いて考え込んでしまう。
相馬は内心穏やかではない。2人きりでの食事はおろか、泊まりまでしている。
しかしそれは『仲間』としての側面が強い。
デートと口にした以上は『異性』として見ていると宣言したと言っても過言では無い。
須藤に挑戦し、散って行ったとされる同僚達の顔が浮かぶ。
(玲奈に負けたみんな!俺に力を貸してくれ!いや怨嗟しか集まらないか!やっぱりやめろ!散れ!)
「ふっ、いいよ。そもそも私から言い出した事だしね」
「お〜!いいんだ。すげえじゃん俺」
「なんで他人事なのさ。次の土曜日でいい?」
待ち合わせ場所と時間は後で連絡する事にして、解散する事にした。
去り際に「いいかげんケリをつける時が来たのかもね」と呟く声が聞こえた。
(え、決闘?デートに誘ったよな?)
兎にも角にも決戦は土曜日。何かのケリが付くらしい。




