仮想空間マスターとの出会い
───海野少年に連れられて歩くこと数分。東棟一階のおよそ半分のスペースを陣取る、【カウンセリングルーム】へと辿り着いた。壁は温かみのある乳白色で中の様子はわからない。入り口の前には背の高い丸テーブルが設置されており、その上に名簿のようなものが見えた。
反対側には全面ガラス張りでプライバシーなどまるでない部屋がある。【シュミレーションルーム】だと海野少年が教えてくれた(後から聞いたところによると、何かあった時に誰かが気づきやすいようにガラス張りらしい)。壁に向かって何台も並ぶシュミレーターはまるで葬列のような、なんとも言えない不気味さを感じさせる。黒いバイクと黒い箱を組み合わせたかのような不思議な形状が、さらにそれを助長していた。
(少し怖いけど…ゲーセンにあったやつと似てるかも)
「あっちの方が気になるよな」
「う、うん」
「わかる、俺もそうだった」
どこか遠くを見ながら、海野少年が呟く。
どうやら一台稼働しているらしく、真ん中のシュレーターだけ上部が蛍光緑に光っていた。使用者がこちらに気付いたらしく、おもむろにゴーグルを背もたれにかけ立ち上がり、シュミレーションルームの出入り口、ガラス扉の前までやってきた。
『よぉ、新人。ここは初めてか?まあ肩の力を抜けよ』
「え?」
『なあに、はじめは不安だろうが慣れると病みつきだから安心しな』
「海野くん、何か言ってるってことは、わかるんだけど、どうしたら」
「気にしなくていい、防音ガラスだって忘れてるだけだから。……先にこっち行ってみる?」
「…行ってみたい」
「よしきたおっけー。このボタンを押したら扉が開くので普通に入ります」
「お、お邪魔します」
「んで、入ったらこんな風に好きなシュミレーターに座り、備え付けのゴーグルをかける……前に、どんなシュミレーションをするかの設定をする」
「よっと……どんなシュミレーション?」
「それは俺が教えよう新人よ!!まあまずは肩の力を抜け」
「うわあ?!」
「うるせえな、おめーが肩に力入れさせてどうする」
海野少年に習い早速シュミレーターに座ったところで、右横から突然大きな声がして俊輔の肩は飛び上がった。
「あー、奴の名は栗栖、ここの常連みたいなもん。栗栖、こっちは佐原井、第三の地球にはきたばかりだ」
「おい海野、正確にはシュミレーターマスター栗栖だ。二度と間違えるなよ」
「相変わらずめんどくせーな。で、何、使い方とか説明してくれんの?」
「任せろ!俺はこれの扱いならば熟知している!さて、初めてならまずは触りからだな。このシュミレーターがどんなもので、何ができるのかを簡単に体験してもらうとするか!」
「は、はい!」
「良い返事だ!座ったらまず、空中コンソールを出せ!指でテキトーにその辺の空間をこう、タッチしたら出てくるこれな」
「こ、こう…?あ、出た」
「それそれ!これは場所や気候とか色々設定ができる!今から操作するから見ててくれな?…場所は地球、NPC、動物はなし。戦闘想定あり、能力制限……なし。同行者は俺と」
「俺も行く」
「はいよ…三機の同期を確認、準備よし!新人よ、ゴーグルをつけな。あとそこにあるシートベルトも一応付けておいた方が良い。現実世界にたまに影響出ちゃうから」
「こ、こうですか。というか、現実に影響って」
「うん、なかなか似合ってるじゃないか。それではいざゆかん、仮想空間へ!!」
「ちょっとま、」
───その言葉の直後。視界がみるみるうちに暗くなり、水中に放り出されたような感覚に陥る。ゆっくりどこまでも沈んでいくような、不思議な感覚。思わず目を閉じる。光が見えた気がした。恐る恐る瞼を開けると、そこに広がっていたのは────
「…ここは?」
「千年前の地球のヨーロッパ地方の郊外かな!」
「地球の、ヨーロッパ…千年前の……森まである…自然が……千年まえには、こんなに緑があったんだ…」
「ほら見ろよ、あの小さな小川とか、背の高い木とか、生い茂る草とか!俺のお気に入り!」
「すごい…!川の流れる音もリアルだし、なんか本当に触れそう…あれ?!触れる?!」
「そりゃ触れるとも。仮想とはいえ現実に近い触感がある、それがシュミレーターなのさ!」
得意げにサムズアップする栗栖を見て俊輔は非常に驚いた。確かに、これはすごい。触感も視覚も嗅覚も、現実と変わらないじゃないか。それにこれなら、能力の練習とかもよりリアルにできるのでは?…ああなるほど、だからシミュレーターがあんなにたくさんあったのか。
「あああ〜〜!バーチャルシュミレーター最高!!」
「?!」
「最高!最高だろぉ?!ああん?!」
「チッ始まったか」
「何が始まったんです?!」
「いつものやつ」
「いつものやつ?!」
「最高だ、最高すぎるぜ…!俺のあり得たかもしれないイフをいくつもいくつもシュミレーションできる。んなもん、最高だろうがよぉ!!」
「おい、一旦落ち着け栗栖、気持ちはわかるが今は説明をだな、」
「バーチャルシュミレーターなら恋愛ができる、結婚もできるし、家庭だって持てる。普通の仕事に就くこともできるし、普通の生活ができんだよぉ〜〜!」
「チッ」
「……っ!」
───それは、心のどこか片隅で変な悪い夢だとか、まったく別の世界の話だとか、他人事のように思っていたこと。それは、再び現実と向き合わなくてはならない、紛れもない事実。
ミステリアスな薄氷色を帯びた瞳の海野少年が、真っ直ぐに俊輔を見る。彼は、ここにきてから何度も言っていた。
「さあて、今日は海の見える白い海岸に一軒家を建ててジャズでもかけながら静かに暮らしてえな〜」
「あ、戻った…!」
「いいや、まだだ。絶対ツッコミ入れんなよ」
「ちなみにこの世界では嫁が5人恋人が3人子供が2人いる設定だ!!」
「いやなんだその最低な設定!く、ツッコまざるをえなかった」
「いいんだよ、『仮想』なんだから!あ、ヤバい!そろそろナツミが帰ってくる時間じゃん!」
「ナツミ…?」
「バカやめろ!」
「よく聞いてくれた新人!ナツミは俺の嫁の一人、おっとりしてて優しいが時間に厳しい三十五歳、黒髪ハーフアップがめちゃんこキュートで好きなものは俺!」
「ワ、ワァ……」
「そんなわけで俺は忙しくなった。ごめんよ新人、途中で悪いがあとは海野に聞いてくれ。授業、任務以外は基本的にここにいることが多いから、その時はよろしく〜!じゃ、サーバー移動するわ、同接解除確認。またなー!」
「自由すぎるだろあいつ…」
「なんていうか、嵐みたいな人だね…」
俊輔は苦笑いを浮かべて、栗栖がさっきまでいた空間を見つめる。電子音を残して消えてしまった空間を。
『───部屋主の栗栖さんが退出されました。シュミレーションを継続しますか?』
「継続で」
『かしこまりました』
「……変なやつではあるが、四六時中入り浸ってるし大体のことはわかるから、なんていうか、うん…上手く使って」
「あ、はい」
苦笑いを浮かべて少年は言う。その日は二人で千年前の地球を探索したり、能力をコントロールするための練習をした。カウンセリングルームには、また後日行くことになった。




