5話
「あの、どうしましたか?」
先ほどまで雄弁にセンパイの話を聞かせてくれていた、車田先輩が顔を手で押さえたまま黙りこくってしまいました。
赤城先輩が突然いなくなり、人生初のナンパを目撃し、戻ってきた赤城先輩とセンパイがそのまま喫茶店を出ていくという予想外な事態の間、車田先輩は同じポーズのまま固まってしまっています。
私は伝統に則って車田先輩の顔の前で手を振ってみたり、おーいと声をかけてみたりしたのですが一向に反応がありません。
私が手持無沙汰になって、コーヒーに口をつけた時、ガシャンと音を立てて車田先輩は立ち上がりました。
「ふわっ」
はしたないことに私は驚いて、コーヒーを少しこぼしてしまいました。
「君にこれを受け取って欲しいんだ!」
頭を下げて、紙袋を差し出す車田先輩に圧倒されてしまいました。もしかしたら、別の人の紙袋なのかもしれませんがそれを伝えるには車田先輩の迫力が強すぎます。
おずおずと紙袋を受け取り、中を見ると、半裸の男性の姿が見えました。
「好きなんだ」
「好きですと!?」
半裸の男性が!
「驚かないで聞いて欲しいんだ。ちょっと前までは全然そんな気持ちはなかったんだ。でも、今は無性に考えるだけで胸が苦しくなる。僕の全てを包み込んでくれるんじゃないかって」
「そ、それはたしかに」
確かに、神木さんというボディビルダーの胸板を見ていると、男性としては小柄な車田先輩を包み込むなど容易なことでしょう。
「引いたりしないかな?」
「ええ、ええ。大丈夫ですよ。驚きはしましたが、私は決して引いたりはしません」
切実な様子の車田先輩に対して失礼なことは言えません。今は多様性の時代、様々な価値観を認めていかなくては。
「そうか、よかった。君にどう思われるか、本当に心配だったんだ。あいつにはちょっと申し訳ないが、僕
の気持ちは揺るがない」
あいつ? センパイのことでしょうか?
センパイに申し訳ない?
こ、これは危険な香りがしてきました。センパイはスタイルが悪いとは言いませんが、決して筋肉質な方ではありません。
どちらかと言うと、インドア派。つまり、車田先輩はセンパイから神木さんに乗り換えようと言う話をしているのではないでしょうか?
……あれ、なんだかそれって……
「あの、あいつって、もしかしてセンパイの事ですか」
「うん? ああ、そうだよ。でも二人の問題だからね。他のやつになんて言われようが僕の気持ちが変わることはない。愛しているんだ」
愛!
神木さんへの熱い思いは誰にも止めることはできないんですね
私は車田先輩の手を取りました。
「わかしましたとも。私だけはしっかりとわかってみせます」
「ありがとう!!」
私たちが固い握手を交わした時でした。
センパイの顔が頭に浮かんだのは。
センパイに会わないといけない。こんなところで止まっているわけにはいかない。
車田先輩の手を離し私は、車田先輩に渡されたのとは別の紙袋を手に取り、走り出しました。
きっと、車田先輩の熱に当てられたに違いありません。でも、今センパイに会いたい。
今の気持ちだけは決して嘘ではないのです。
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四組の男女が同じような格好でアーケードを歩いていく。
「隊長さんって呼ばれているんですかー、私リーダーシップのある人って、素敵だと思います」
朱里は隊長の右腕に絡みつき、隊長が話す一言一言に大げさに反応する。
「え、やっぱりー。なんだろうな。カリスマがあるのかな。俺って」
鼻の下を伸ばして対応する隊長に、ピンク撲滅隊として、この世の不条理と悲しみを訴えていた男の姿は見る影もない。
「すごーい。憧れちゃうなー」
喫茶店で話していた時の険しい顔から、大きく変わっているのは隊長だけではない。メガネもまた、崩れた顔で腕を組む美鈴の顔を見ている。
「だからですね、私は思うんですよ」
「うん、うん」
気持ちよく相槌を打ってくれる美鈴にメガネの話はヒートアップしていく。
「すごいですネー、触ってもいいですカ?」
すぐ後ろを歩くクリスはマッスルの筋肉を触って大はしゃぎしている。
急いで喫茶店を出たために、ジャケットを忘れてきてしまい、タンクトップ一枚で冬の仙台を歩くマッスルだが、寒さを感じさせない笑顔をしている。
定禅寺通りの銅像を見かけるたびに、同じポーズをせがまれ、筋肉をわきたてている。
「ふむー、とうりゃー」
掛け声とともにポージングするタンクトップ一枚の男に、周りは奇異の目を向けているが、マッスルはクリスの視線さえ独り占めできればいいようで気にした様子もない。
「どうなってるんだ? これは」
ノッポは一人事態を呑み込めないでいた。
状況を正確に理解しているものなど、そもそもここにはいないのだが、他のもの達のように都合の良すぎる今に順応できないでいる。
「私と一緒じゃ楽しくないですか?」
ノッポとの身長差ゆえに、麗華は自然と上目使いになる。ノッポ程度の経験値ではこれを上手にかわすことなんてできるはずもない。
「いや、そ、そんなことはないんですよ」
声を裏返らせ、苦笑いすることしかできない。
「やたー」
笑顔で抱き着いてくる麗華に戸惑いが隠せないノッポ。夢なら冷めないで欲しい、ノッポは正常な判断力を捨て去り、今を楽しむことにした。
抱き着いてきた麗華の腰に手を回し、笑顔でノッポは歩く。
夢から目覚める時はそう遠くはない。
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カラオケのトイレへと駆け込んだ私は、トイレに誰もいないことを確認して、鏡の前で本日二度目の百面相を始めた。
このおかしな現象は間違いなくあのパックとか言う妖精のせいだ。「話していた女の子」を彼女ではなく、赤城先輩だと勘違いしたのだろう。よくよく考えてみると、今日私は彼女とまともに話していない。
これでパックのせいにするのは少し悪い気もするが、こんな状態の責任を誰かに取ってもらわなければ気が済まない。
「パックのやつー!」
「呼んだかい?」
「う、うわっ!」
突然後ろから声をかけられ、私はすぐさま振り向いた。
「まったく、呼ばれたから出てきてやったのに、その反応は失礼じゃないか」
「う、すまない」
突然後ろから声を駆けられたら驚くに決まっているだろ。という、言葉を何とか飲み込んだ。今こいつにきげんを悪くされるわけにはいかない。
「まったく、君という男は情けない。好きな女性にあれだけせまられていると言うのに……男としてのプライドはないのか?」
「そ、それだ」
「それだ?」
「そうなんだ、それなんだ。実は申し訳ないんだが、私が好きなのは彼女じゃない」
「なんだって?」
「私の言い方が悪かったのは認めるところなんだが、もう一人の女の子の方なんだ」
私がそう言うと、パックは焦ったように頭を掻き出した。
「そうかー、でもほら今のままでも十分魅力的な女性だろ?他の方がいいなんて、そんな
わがままなこと言わなくてもいいじゃないか」
「別にわがままぐらい言わせてくれてもいいじゃないか、それとも何か不都合でもあるって言うのか?」
「不都合って程じゃないんだけれどね、さっきの喫茶店でおまけだと思って他の男女もくっつけてあげたんだよ」
「な、なんですとー」
「せっかくくっつけた二人を分かれさせるのもなって」
「すぐ別れさせろ。今すぐにだ!」
いい加減なことを言うパックを捕まえて、揺さぶってやった。
「あー、あー、そんなに振るなよ、振るな。分かったよ、分かった。安心しろ、この短時間で何かが起きるなんてことはない。さっきの、魔法を解いて、もう一人の女の子が君を好きになるようにすればいいんだね」
「そうだ」
「それじゃあ。ぱっとするから、じゃあーねー」
「あ、おい。しっかり頼むぞ」
先ほど同様に、パックは目の前からさっと消えてしまった。