5話 人間の仕事
朝、ネクタイを締めながらレグに言った。
「今日は仕事だから。大人しくしてろよ」
「わかった」
「人間になるなら、仕事しないといけないんだぞ。お前にできるのか」
レグは考えるように首を傾げた。
「仕事……」
「何だよ」
「わかった」
俺は眉をひそめた。
「……悪魔には仕事なかったのかよ」
「やることはあった」
「何やってたんだ」
「人の負の感情を増幅させる」
一瞬、カバンを持つ手が止まった。
「こわっ」
レグはベッドに腰掛けたまま、ぼんやりしている。
言っていることと表情がまるで噛み合っていなかった。
俺は焼きたてのパンをかじりながら、もう少し突っ込んで聞いてみる。
「具体的には、どんなことしてたんだよ」
「パチンコに勝っている人間がいたら、負けるまで続けさせるとか」
「……地味だな」
俺はパンをそのまま口に押し込んだ。
「それやると、なんか意味あるのか?」
パンの袋をレグに差し出す。
レグは袋の上から中身を指でつつきながら答えた。
「ポイントが貯まる」
「ポイント! 何その軽い感じ……」
そう言った瞬間、時計が八時を過ぎているのが目に入った。
「やば、遅刻する」
カバンを持って玄関へ向かう。
振り返って、レグに言った。
「家で大人しくしてろよ!」
レグはまだ、パンを指で押していた。
◇
月曜の仕事なんて憂鬱なはずなのに、今日は妙に懐かしく感じた。
会社にいると、週末に一回死んだことのほうが嘘みたいだった。
「高瀬、今度訪問するクライアントの提案書、書いたか」
いつもなら面倒な上司の声すら、今日は少しだけありがたく感じる。
やることと締切が最初から決まっているだけで、こんなに気が楽なんだと思った。
「あ、今作成中です。今日中に仕上げます!」
俺が妙ににこやかに返事をすると、上司は少し怪訝そうな顔をした。
それでも「頼んだぞ」とだけ言って去っていく。
そのあとは、集中して提案書を作った。
ふと、背後から声をかけられる。
「高瀬くん、今日頑張ってるね」
振り向くと、相沢さんが立っていた。
「あ、お疲れ様です。今日中にこれ仕上げないといけなくて」
「そうなんだ。頑張ってね」
そう言って、相沢さんはにこっと笑って去っていった。
天使みたいな笑顔だな、と思った。
その後は、驚くほど仕事が進んだ。
提案書を時間内に仕上げ、上司のチェックまで終わった。
月曜なのに、調子がいい。
定時で上がり、エレベーターを降りたところで、後ろから誰かとぶつかった。
思わずカバンを落とす。
「あ、ごめんなさい!」
振り向くと、相沢さんがいた。
足元のカバンをすぐに拾い上げて、俺に渡してくれた。
「ありがとうございます。急ぎですか?」
「子供のお迎えで急いでて……ごめんね」
「大丈夫です。行ってください」
「ありがとう。お疲れ様!」
相沢さんはそのまま颯爽と去っていった。
事情は知らないが、一人で子供を育てているらしい、と前に誰かから聞いた気がする。
仕事をして、誰かを迎えに行って、ちゃんと次の場所へ向かう。
その普通さが、今の自分には少し眩しかった。
俺は帰りに商店街へ寄った。
夕方の商店街は人でごった返している。
惣菜屋の匂いと、仕事帰りのざわつきが妙に安心した。
唐揚げ屋に寄って、いつもより多めに買う。
なんで悪魔の分まで買っているのかは、自分でもよくわからなかった。
唐揚げの袋を揺らしながら、アーケードを抜ける。
商店街の隅にあるパチンコ屋にも、今日は人が集まっていた。
最近は行ってないなと思いながら、横目で店内を覗く。
そのとき——唐揚げの袋が手をすり抜けて落ちた。
そこに、なぜかレグがいた。
慌てて中に入り、一直線にレグのところへ向かう。
うるさくて何を言っているのかよく聞こえないが、足元にドル箱を積み上げた客の隣に立って、何か話しかけていた。
「おい、レグ!」
そばにいた客がこちらを見た。
「にいちゃんの友達かい。こいつうるさいから連れてってくれよ」
「あ、すみません。ほら、ちょっと来い!」
レグの腕を引っ張って、店の外へ連れ出した。
「家に居ろって言っただろ! 何してんだ!」
「仕事してた」
「仕事?」
「球がなくなるまで応援してた」
「……それ、応援じゃないんだよ」
レグはまた首を傾げた。
こいつにはまだ、人間の仕事と悪魔の仕事の違いがわからないらしい。
「とりあえず、帰るぞ」
「わかった」
返事だけはいい。
「……唐揚げ、食べるか?」
レグは頷いた。
「そっか。じゃあ行くぞ」
唐揚げを片手に、そのまま商店街を抜ける。
仕事の話は通じなくても、唐揚げなら通じる。
それが良いことなのかはわからないが、少なくとも家には連れて帰れそうだった。




