艦隊総司令部
あいとオリバーを載せた兵員輸送船は、何のトラブルに遭遇することもなく航行を続け、地球を出発してから3ヶ月を過ぎる頃には、銀河連合の艦隊総司令部のあるはくちょう座の星系へと到着した。
シャトルベイに着艇した軽い振動が兵員輸送船を震わせた。
「艦隊総司令部に到着しました。ウェルカムホーム!」
感情のないMIのアナウンスとともに、乗客を座席に固定していたハーネスが上がった。乗客はもちろん、地球からやってきた傭兵協会の新兵達だ。あいとオリバーは小さな鞄を手に取ると、他の新兵とともに、慣れない低重力のなか、慎重に兵員輸送船のタラップを降りた。
艦隊総司令部の内部構造は複雑だ。
「敵が上陸した場合に備え、意図的に複雑な構造に作られておる」
問わず語りに、ブルドック隊長が教えてくれた。最近、ブルドック隊長のだみ声が耳の中で聞こえるようになっていた。最初は自分がおかしくなったのかと思った。ブルドック隊長に聞くと
「儂は最近、お前のCPU上で走るようになったのだ」
と訳の分からぬことをいう。あいの頭の中をブルドックがぐるぐると走り回る姿が思い浮かび、心が落ち着かない。
オリバーもMIアシスタントの声が耳の中で聞こえるというので、少し安心した。
他の新兵達とともに、廊下を何度も曲がりながら進んでゆく。やがて、敬礼する人の絵文字が壁に描かれているのが目に入った。ここから傭兵協会の区画であった。
新兵に割り当てられた個室は、兵員輸送船よりも豪華であった。豪華、とはいっても、ベッド、トイレ、シャワー、鏡が備え付けられているだけの、狭い部屋なのであるが、それまでの兵員輸送船の横穴暮らしに比べたら、天と地の違いである。
髪をまとめる布紐や、下着、歯ブラシなど、 僅かな私物の入った鞄をベッドの上に置くと、あいは鏡の前で簡単に身だしなみを整えた。待ち合わせの時刻にラウンジに行くと、既に到着していたオリバーが手を振って迎えた。
「あいちゃん、すごい光景だよ!」
あいはオリバーにぐいぐいと手を引かれて、ラウンジの奥へと連れてゆかれた。ラウンジの奥には巨大な一枚のガラス窓があった。20mはあるだろう。すでに大勢の人がガラス窓に貼り付いて外を眺めていた。あいとオリバーもその中に加わった。
「ほら、みて! あれがブラックホールだよ!」
オリバーの指差す方向に視線を向けたあいが見たものは、不思議な天体だった。白い満月と、その隣に寄り添うように、不思議な白い輪が浮かんでいた。
「お月さまの横に、白い輪があるよ!」
「そうだね! お月さまだね。お月さまのほうが太陽で、その隣の白い輪の中心にあるのがブラックホールなんだよ。小さすぎて肉眼では見えないけどね。白い輪の中心を、白くて細長い線が通ってるの、見える? あれはブラックホールから吹き出すジェット流なんだって」
あいが目を凝らすと、たしかに薄っすらと、輪の中心を白い線が貫いていた。
「はあ~~、不思議な星なんやね~、ブラックホールって」
「そうだね……。宇宙には僕たちの知らない、不思議なものが、たくさんあるんだね~」
「でも、綺麗だね!」
「綺麗だね!」
あいとオリバーの2人は寄り添って、時間の許す限り、ブラックホールとその伴星を眺め続けた。
◇ ◇ ◇
ブルドック隊長の誘導に従って廊下を進み、上官のオフィスを見つけると、あいはドアをノックした。
「はい」
なかから女性の声が聞こえた。
「失礼します。波方候補生、参りました」
「中に入りなさい」
「失礼します」
あいはドアを開け、敬礼をしてから中に入った。傭兵協会では敬礼は不要とされていたが、加藤中佐のように通常のマナーとして敬礼を行っている士官も大勢いた。
オフィスのなかは6畳間ほどの狭い空間であった。机の後ろに50代くらいに見える西洋人女性が座っていた。あいはデスクの前で直立した。
「辞令。本日付をもって、貴官を少尉に任ずる。以上よ。今後一層の奮励を望みます」
「はい、謹んで拝命いたします!」
「貴官の初任務は安全な地域での輸送艦護衛となります。そのうち命令書が届くから確認しなさい」
「はい!」
儀式が終わると、女性がにこりと微笑み、それまでの厳しい雰囲気が一気に和らいだ。
「……波方少尉、そこに座って」
「はい!」
部屋の入り口の近くには、2つの小さなソファーとコーヒーテーブルが置かれていた。あいは、女性がソファーに座るのを待ってから、自分もソファーにちょこん、と座った。
「波方あいさん……。日本人ね。私はローラ・グッドマン少佐。アメリカ人よ。このことで私が嫌いになったかしら?」
「……いいえ。友達のオ……テイラー少尉もイギリス人だけど、そのことで嫌いだと思ったことはありません」
「ふふ。そうなのね。良かったわ」
傭兵協会の大人達は小さな同僚達の恋をハラハラしながら見守っていることを、あいはもちろん知らない。
「日本語、お上手なんですね」
「勉強したことがあるのよ。私はアメリカと日本が戦争を始める前に、傭兵協会に入ったの。私の夫は日本との貿易を行っていたのよ。戦争になったって聞いて、ほんとうに信じられなかったわ」
「はい。戦争はいやですね……」
燃え上がる今治の街の光景、倒れて動かない人々の姿があいの脳裏をよぎった。少女の表情に陰りを見たグッドマンが、明るい笑顔で話を切り替えた。
「そうだ! 宇宙食はどうだったかしら? 気に入った味はあった?」
「はい! 私、酸っぱいものが大好きなんです。酸っぱい宇宙食、たくさん食べました!」
(酸っぱい宇宙食ですって!?)
妊婦は酸っぱい食べ物を好む、という。グッドマンは内心の動揺を隠して、話を続けた。
「さ、さて、今日は時間があるから、今後、女性が銀河文明のなかで生きてゆくために、覚えておいたほうが良いことについて、レクチャーするわ」
地球人女性の先輩として、また年頃の女の子を育てたことがある一人の女性として、グッドマン少佐のレクチャーは、あいにとって必要なことばかりであった。知らないとあとで恥ずかしい思いをすることになる内容もあり、グッドマン少佐が純粋に善意でこの時間を作ってくれたことに、あいは心から感謝の気持ちを抱いた。
「グッドマン少佐。本当にありがとうございます。私、いろんなこと、知らなかったんですね」
「あら、まだまだ、あなたの知らないことはたくさんあるわよ! また、今度、次の機会に教えてあげるわ。……ところで、あなた、オリバーと赤ちゃんができるようなことは――」
「してませんっ!! 私とオリバー君は、そんなんじゃありません!」
即答したあいの顔は真っ赤だった。
◇ ◇ ◇
地球から来た新兵達の姿が、1人、また1人と消えていた。ヒューマンファクターとして銀河連合の戦闘艦に派遣され、銀河の各方面に旅立っているのだ。
今日も、シャトルベイでは数多くのシャトルが行き交っていた。大きなガラス窓を隔ててシャトルベイに隣接するラウンジには、銀河連合艦隊の白い制服に身を包んだ人々と見送りの人々が別れを惜しむ姿が見られた。
そのなかにあいとオリバーの姿もあった。
「オリバー君、また、会えるよね?」
あいの伸ばした右手を、オリバーの両手がしっかりと捉えた。いつもは優しいオリバーが意外な強さであいの手を握り、離そうとしなかった。
「絶対会えるよ! 約束する。僕はあいちゃんのもとに絶対に戻る!」
「もうっ、またそがいなこと言うて。大げさなんやけん、オリバー君は!」
真剣な表情で見つめるオリバーにどう答えたら良いのか分からず、あいは、怒っているわけではないのに、どうしても怒っているような口調になってしまうのが、悲しかった。
「オリバー・テイラー少尉、57番ゲートからシャトルに搭乗して下さい」
MIの無機的なアナウンスが2人を引き離した。
「じゃあ、行くね……」
「連絡するから!」
「――うん。僕も連絡する!」
オリバーは名残惜しそうに何度もあいを振り返っては手を振り、あいも手を振り返した。オリバーがゲートを通り、シャトルに搭乗し姿が見えなくなっても、あいはラウンジに残ってシャトルを見つめていた。これまで感じたことのない、心に穴が空いたような気持ちを感じていた。
オリバーの乗ったシャトルはすぐに離床し、宇宙空間の一点となり、やがて何も見えなくなった。




