草原の少年
あいが目覚めたのは、薄暗くて少しカビ臭い部屋だった。天井に黒い、太い梁が見えた。
「……あれ?」
眠りについた時は、ホコリ一つない兵員輸送船の細長い個室だったはずだ。それなのに、いま目覚めたのは屋根裏のような部屋である。
ここ最近、あいは普通の目覚めを迎えたことがない。空襲を知らせる半鐘の音でびっくりして目覚めたり、意識だけは目覚めて体は動かせなかったり、壁越しに男の人から名前を決めてくれと頼まれたり。
(今回は一体どういう仕掛けなんやろうか……)
若干の不安を感じながらも身を起こすと、着た記憶のない白い軍服のような服を着ていた。
「なに、この服? これ布団、じゃない? ベッド? 重力もある?」
周囲を見渡すと、床から四角い光が漏れている一角がある。どうやら下に降りる階段があるようだ。ベッド傍の床に揃えて置かれていた革靴は丁度良い大きさだった。
急な階段を慎重に降りて行くと、眩い日の光が差し込む広々とした部屋だった。幾つもの窓が、外に向かって開け放たれている。長机と椅子が置いてあり、大勢で一度に食事ができる食堂のようだった。
「ここ、どこ?」
呆然とするあいの耳に、窓の外から弦楽器の音色が聞こえてきた。
優しい音色に誘われるように入口から外に出てみると、そこには見渡す限りの緑の草原が広がっていた。
頬を撫でる風が心地よい。
音のする方を見ると、建物の傍の大きな木の下で、黒い髪の少年がヴァイオリンを奏でていた。少年の奏でる旋律は、草原に降り注ぐ雨のような繊細な優しさをはらんでいた。
顎にあてたヴァイオリンの振動を感じ取ろうとするように、少年は目を閉じていた。少年の細い指が押さえた弦の上を、弓が優しく撫でるように動く。
(……綺麗な顔立ち)
ヴァイオリンを奏でる少年の優しく穏やかな表情を、我を忘れて見つめていた。やがて曲が終わり、少年が目を開くと、建物の入口で自分を見つめるあいと目があった。
「やあ!」
少年は近くまでやってくると、まっすぐにあいの目を見つめた。
(……目の色、茶色)
少年の眼差しに、あいは吸い込まれそうになる……。
「ここに来るのは初めてなの?」
「あ…、 あ……」
少年に日本語で話しかけられて、あいは我に返った。人の顔をまじまじと見てしまって恥ずかしい上に、少年に突然話しかけられて動転していた。しかも、目の前にいる少年は明らかに西洋人であるのに、どういうわけか、流暢な日本語であいに話しかけていた。
「ぼうっとしてるけど、大丈夫?」
「――あっ、あれっ、どうして日本語がしゃべれるんやろ? ウチ、夢を見よるんやろか?」
あいは自分の頬をつねってみた。
「……痛い」
「ここは夢の中じゃないよ。仮想世界なんだって」
「かそうせかい?」
ここでようやく、少年があいとお揃いの白い軍服を着ているのに気がついた。端正ですらりとした白い軍服姿がとても凛々しかった。
「そう、仮想世界。MIが作ってくれる、現実のような意識だけの世界。僕や君の体は兵員輸送船のなかで眠っているんだ。意識だけがこの世界に来ているんだ。だから、僕の話す英語は、MIが日本語に翻訳して君に伝わって、君の話す日本語は僕には英語に聞こえているんだよ」
難しい内容は右耳から左耳に流れて、少年の清らかで澄んだ声だけが心地よい……。
「最近大怪我したでしょ? 怪我を治療した時に、体に意識を仮想世界につなぐ小さな機械を埋め込まれたみたいだよ」
少年の軽くカールした前髪が風に揺れていた……。
ぼうっとしたままでいるあいを見て、少年は初対面のマナーを忘れていることに気がついた。
「あっ、ごめんね、自己紹介がまだだったよね。僕の名前はオリバー・テイラー。君の名前は?」
「あ…、あい……だよ。波方、あい」
「波方あい…。いい名前だね」
少年に名前を呼ばれ、再びあいは我に返ると同時に、顔がかあっと熱くなるのを感じた。
「…オ、オリバー君は、どこのひとなの?」
「僕はイギリス人だよ。あいちゃんは日本人だね?」
「うん。どうして分かったの?」
「名前の響きでなんとなく、かな」
ふたたび、オリバーの茶色の瞳がまっすぐにあいを見つめたが、どうしたわけか、あいは目をそらしてしまった。
オリバーはそんなあいに気づきもせずに、あいの背後に向かって声を掛けた。
「教官! 波方さんが来ました!」
すると、建物の奥から人影が現れた。
白い制服。
ピンと伸びた背筋。
そして、犬の顔。
あいは我が目を疑った。なんと、直立歩行するブルドックが白い制服姿で現れたのだ。
「来たか、ちび助。仮想世界では戦闘シミュレーションや、宇宙服の着用訓練、船外活動訓練、作業ロボットとの接続と作業訓練を行うぞ。では早速、戦闘シミュレーションから始めよう」




