逃亡
拳銃を手にした男性が、艦内通路を駆け寄ってきた。
「波方少将、お怪我はありませんか!」
「はい、大丈夫です」
男性はあいに怪我がないことを確認すると、直立不動の姿勢をとった。
「あらためて、本船にようこそ。船長のトカチェンコです」
「ありがとうございます、トカチェンコ船長。波方です。兵員輸送船に乗船できて、こんなに嬉しかったことはありません」
「まったくです! 早速、ご案内しましょう。どうぞ、こちらへ」
挨拶もそこそこに、キャビン前方に位置する船長室に案内されると、トカチェンコが船長のシートに座るように勧めた。ただの乗客なのだから、と固辞するあいに、トカチェンコは、是非座ってほしいと主張した。
「波方少将は、いまや人間性全体の希望ですよ。波方少将を本船にお迎えして、形だけでも、指揮をとって頂いたことを自慢したいのですよ」
とまで言われては、断り続ける理由もない。あいが船長のシートに座ると、トカチェンコ自身はその隣に設置されていた簡易な補助席に座った。
ハーネスを下げ体を固定すると、兵員輸送船はすぐに離床した。
シャトルベイから宇宙空間へと進み出る兵員輸送船の船内に、お決まりのアナウンスが流れた。
<総司令部は再び皆様を歓迎できる日が来ることを楽しみにしております>
「まったく、大した歓迎でしたな。総司令部のセキュリティはどうなっているのやら!」
憤慨してみせるトカチェンコに微笑むと、あいはようやくひと心地ついたのであった。
◇ ◇ ◇
艦隊総司令部からはくちょう座ブラックホールの遷移点までは目と鼻の先である。
兵員輸送船がゆっくりと加速してゆく。
ビイッ
船長キャビン内にブザー音が響いた。あいとトカチェンコが顔を見合わせた。
「連合艦隊の艦艇が進路上に展開しています」
キャビン正面のモニターが外部カメラからの映像に切り替わり、暗黒の宇宙空間に浮かぶ、鋭く尖った金属の塊が映し出された。
倍率が自動調整されると、それは巨大な宇宙戦艦の姿であった。
「この艦は……まさか……」
トカチェンコの顔面が蒼白になる。
刃先のように鋭く尖った特徴的な艦首。
分厚い金属で覆われた巨体。
1門が駆逐艦ほどの大きさの、巨大な1次放射器。
それが上下に合計12門。
その姿は、まるで銀河連合の不屈の意志を体現しているかのような、圧倒的な威圧感を放射していた。
「――識別信号を確認。連合艦隊旗艦アンドロメダです」
トカチェンコが言い淀んだ艦名を、兵員輸送船MIが無感動に告げた。
連合艦隊旗艦アンドロメダ。
重い沈黙が船長キャビンを支配していた。
連合艦隊を象徴する巨大な戦艦が、兵員輸送船の進路上に、右舷を向けて静止していた。アンドロメダが偶然、兵員輸送船の進路上にいるのではないことは、誰の目にも明らかだった。
あいの震える声が重い沈黙を破った。
「……どうして、旗艦がここにいるのでしょう?」
「それは――」
答えかけたトカチェンコをブザー音が遮った。
「こちら兵員輸送船MI。
アンドロメダより入電。つなぎます」
ホワイトノイズをはさんで、キャビン正面のモニターに銀河連合の制服に身をつつんだ中年男性が映し出された。
「地球6号に告ぐ。こちら傭兵協会フィッシャー少将。直ちに回頭し、艦隊総司令部シャトルベイに入港されたし。入港後、波方少将の身柄を引き渡されたし。本命令への不服従は敵対行為と見なす。繰り返す――」
眉を八の字にしながら、トカチェンコが声を上げた。
「こちら地球6号。波方少将の身柄を引き渡す理由を説明されたし」
この返答を予想していたらしく、すぐにフィッシャーのしわがれた声が返ってきた。
「――敵前逃亡の容疑だ。波方少将には派遣命令が出ている。確認されたし」
あいがシート脇のモニターで確認すると、あいに対して1時間程前に派遣命令が出ていた。1時間程前といえば、査問委員会による発表があったタイミングだ。
派遣命令に記載されている出発時間は、ちょうど、今、この時刻だった。音声をオフラインにしてトカチェンコに説明すると、
「こんな命令、無茶苦茶だ! 1時間で準備ができるはずがない! 従う必要なんて、ありませんよ!」
トカチェンコが声を荒らげた。あいはトカチェンコを右手で軽く制して、再び音声をオンラインにすると、会話を引き継いだ。
「フィッシャー少将。こちら波方少将です。傭兵協会には、本日付で契約解除通知書を提出しています。したがって派遣命令は無効です」
「――人事データベースには貴官の除隊は反映されてはおらぬ。したがって、現時点での貴官の身分は傭兵協会の少将であり、派遣命令に従わない場合、貴官の身柄は拘束される。理解できたかね?」
フィッシャーの勝ち誇ったような声が答えた。フィッシャーはケイナリアのサイボーグ兵士リンの手によって、弁護士の鞄が強奪され、池に投棄されたことを知っていた。
「遷移点はすぐそこです。このまま通り過ぎましょう!」
キャビンの音声が聞こえたかのように、フィッシャーの声が続いた。
「このまま遷移点からジャンプしようなどとは、ゆめゆめ、考えぬことだな。銀河連合艦隊が、全面的に儂に協力してくれておる」
ビイッ! ビイッ! ビイッ!
船長キャビン内にブザー音が3回響いた。ブザー音が3回鳴るのは悪い報せだ。兵員輸送船MIの声が続いた。
「アンドロメダの射撃管制システムが本船をロックしています」
ピピピピピピ……
射撃管制ロック警報の短く断続的な電子音がキャビンに鳴り響いていた。シート脇のモニターには幾つもの射撃管制ロック警告が赤く点滅していた。
正面モニターが再び外部カメラに切り替わった。
アンドロメダの巨大な1次放射器、12門全ての砲口がゆっくりと旋回し、ちっぽけな1隻の兵員輸送船に照準を合わせた。
「地球6号に告ぐ。これは最終警告である。60秒以内に回頭せよ。期限経過後も従わない場合、1次放射器による攻撃を行う」
警報音のピッチが徐々に短くなって行く。
トカチェンコの額に脂汗がにじんでいた。
「トカチェンコ船長! 皆さんを危険な目には合わせられません。私、戻ります。すぐに回頭してく下さい!」
あいが叫んでいた。




