湖畔にて
その後も、折に触れてオリバーを失ったショックがあいを襲った。あいは涙も枯れ、無感動になり、食欲もなくなって、あいの体調をリモートでモニターしていた担当医は、強く再入院を勧めたほどだった。
そんなあいを動かしたのは、ブルドック隊長の「オリバーが暮らしていた家を訪れてはどうか」という一言だった。自分を想い続け、生涯独り身を貫いたオリバーの人生を知っておかねばならない。そんな気になったのだ。
オリバーは艦隊総司令部の居住区内にある湖のほとりに、小さな不動産を残していた。
ブルドック隊長に誘導されて、湖畔の小路を歩いてゆくと、見覚えのある光景が目に入った。オリバーとともに散歩をした小路であった。あいには、ほんの数日前のように思われた。
あの日、オリバーと並んで座ったベンチは、無かった。
あいは寂しい気持ちで古びたアパルトマンの一室にたどり着いた。
ブルドック隊長によると、オリバーは自らのMIアシスタントを独立させて人権を与え、自分の死後の不動産の管理を委託していた。
不動産はあいに譲渡することになっているのだという。
あいがドアをノックすると、ロックが解錠される音がした。
「波方あい様、お待ちしていました」
耳腔内にMIの声が響いた。この声の主がオリバーのMIアシスタントなのだろう。
「こんにちは。お邪魔してもよいですか?」
「もちろんです。お入りください」
部屋に入ると、12畳ほどの広さの部屋にベッドフレームが置いてあり、大きな窓からは湖を見渡すことができた。壁や床、水まわりを見ると、よく手入れがされているのが分かった。最近まで人に貸していたが、延長契約は行わなかったのだという。
(ここで、オリバー君はずっとひとりで、待ち続けて……)
感情が高ぶり、あいは立っていられなくなった。ベッドフレームに腰を下ろし、あいは感情の波に身を任せた。しばらく待ってから、オリバーのMIアシスタントがあいに声を掛けた。
「あい様、お気分が優れないようであれば、後日改めて、ご訪問頂くのもよろしいかと存じます」
「……いえ、もう、大丈夫です。ありがとう」
あいが立ち上がると同時に、MIが切り出した。
「あい様、オリバーから預かっているものがございます」
「オリバー君から?」
MIに促され、部屋の片隅に置かれた金属製の箱から中身を取り出すと、それは1辺が10cmくらいの、なめらかな陶器でできた白い箱だった。
「……これは?」
「オリバーの遺骨です。軌道葬、という言葉をお聞きになったことはありませんか? 銀河文明では死後、遺骨を故郷の惑星の衛星軌道に投入する循環葬の風習があり、これは軌道葬と呼ばれています。オリバーは生前、遺骨を地球の衛星軌道に投入するサービス契約を葬儀会社と結びました。ですが、オリバーの死後、その葬儀会社が倒産してしまいました。地球での同様なサービスを行っている葬儀会社を探しておりますが、現在まで見つかっておりません」
あいは白い箱を胸に抱きしめた。
「オリバー君、ずいぶん小さくなっちゃったね……。安心して。絶対にオリバー君を地球に連れていってあげるからね」
◇ ◇ ◇
オリバーの残した本を読んでいるうちに、すっかり日が暮れてしまっっていた。居住区の天井パネルには、どこかの惑星から見上げた星空が投影されていた。
サポートMIに再会を約束して、暗い湖畔の道を歩いていると、向こうから大声で話す男たちの声が聞こえてきた。不安を感じながらも、彼らの横を通り過ぎようとしたあいの肩を、乱暴な男の手が掴んだ。
「ちょっと待ちなよ」
あいの体が固まった。
「……離して下さい!」
声が震えた。振り払おうとするが、あいの肩を掴んだ男の力は異様に強かった。
「夜の道は危ないぜ。俺たちが送ってやるよ」
男があいに顔を近づけた。体の大きな男だ。アルコールの匂いがした。
「離して下さい!」
「冷たいこというなよ。おい、可愛い顔してるじゃねえか」
「構わねえよ、もう連れて行こうぜ」
別の男があいの手を強引に掴むと、道を外れた暗がりに連れて行こうとした。
「いや…。離して…」
「へへ」
こんなところで柄の悪い男たちに絡まれるとは、あいは思ってもみなかった。声をあげようにも、恐怖で声が出なかった。掴まれた手を振り払おうとすると、最初の男がいつの間にか後ろにまわり、羽交い締めにされていた。
「おとなしくしろ!」
太い腕で首を締められ、あいの意識が朦朧となりかけたその時、
「おい、お前たち、何をしている!」
凛とした女性の声がした。男たちが驚いて振り向くと、そこには細身の若い女性の姿があった。驚いた男たちの表情が再び緩んでいた。
「おい、もうひとり、可愛い子ちゃんが来たぜ」
「あいつはお前にやるよ。俺はこっちで楽しませてもらうぜ」
「ああ。……おい、可愛い子ちゃん、へへ、一発やろうぜ」
男が女性に近づいてゆくと、女性は呆れた声で呟いた。
「ナンパにだって、それなりの手順があると思うけど?」
「俺は力づくが好きなんだよ」
夜目に、女が口元を歪ませるのが分かった。
「あら、偶然ね! 私も好きなのよ……力づくがね――」
いい終える前に女の体が前に出ていた。体を浅く沈めると、右の拳を男の鳩尾に深く突き入れていた。男は反応することもできず、胃の中のものを地面に吐き出していた。
「あはは。やだァ、きたなァ~い。あんたの顔よりも汚いものって、あるんだァ」
嬌声を上げた女だったが、その目は猛禽類のように鋭く光っていた。
「このアマァ!」
あいを乱暴に放り出すと、もう一人の男が女に殴りかかった。殴りかかる男に対し、女は防戦一方に見えた。だが、後ずさったのは男の方だった。
「い、痛えっ!」
「あら、もう終わりなの? もっと楽しませてよぅ」
男を誘惑しているような女の声音だった。あいには何が起こっているのか分からなかったが、女は男の殴りかかる手や足を狙って、強烈な打撃を繰り出していたのだった。
「俺が悪かった! あんたには、手出ししねえ。許してくれ。このとおりだ」
男が腫れ上がった両手をあげると、女が困ったような表情を作った。
「あら、どうしようかしら……。私の右手が許しても、左手が許すかなあ?」
「?」
そういいながらも女が背を向けると、男がすかさず襲いかかった。
「このや――」
男がいい終えぬうちに、振り向いた女の左の裏拳が、男の顔面を強打していた。男は数メートルの距離を飛び、木の幹に体を打ちつけて、地面へと崩れ落ちた。
女は冷たく、美しく笑っていた。
「ほら! 左手が許さなかった!」
◇ ◇ ◇
「あなた、大丈夫? 立てる?」
「はい。ありがとうございます。助かりました」
若い女性が差し伸べた優しい右手に助けられて、あいは立ち上がった。女性はあいよりも身長が高く、綺麗な顔立ちをしていた。彫りの深く整った顔立ちは、今のあいには、美しいというよりも神々しく思われた。女性はあいの背中についた土を払ってくれた。
「……何か、助けて頂いたお礼をさせて下さい」
「いや、そんなつもりじゃなかったんだ。それに、いい運動になったわ」
女性が笑うと、頬にエクボができた。この人の笑う顔が見たい、そんな気持ちにさせる明るい笑顔だ。あいも自然に笑顔を返すことができた。
あいは人気のあるところまで送ってくれるという女性の言葉に甘えることにした。
「せめて、お名前だけでも教えてください」
「そうだね……。私の名前はリアだよ。あなたの名前は?」
「私は……あいです」
「そう……。あいは、最近、大事な人を亡くしたのか?」
あいは言葉を失った。オリバーが亡くなったことを理解したつもりでいても、口に出そうとすると言葉が出なかった。オリバーの死を事実として認めてしまうのを、心がまだ拒んでいた。
「ごめん。思い出させちゃったね」
「……リアさんには、どうして、わかるの?」
その女性、リアは天井パネルの星空を見上げた。
「そうだね……。なんとなく、わかるんだ。私もそうだから、かな。大事な友人を失うのは、いつも辛いよね。さあ、もうここなら大丈夫よ」
ふたりの目の前に居住区のメインストリートの明かりが見えていた。リアが足早にその場を離れようとしていた。
「せめてお礼を……」
「じゃあ、もしも次に会うことがあったら、一杯奢ってもらおうかな?」
リアは背中越しに手を振ると、夜の街に消えていった。




