永遠の愛を君に
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無い
何も、無い
空間も、時間も無い
だが、世界が、意識が、徐々に明瞭になってゆく
「…こ…こ…は…?」
患者の意識が戻ると、駆けつけてきた女性医師がポケットから取り出したペンライトで左右の瞳孔を確認し、一言ずつ、言葉を区切るように話しかけた。
「私の、声が、聞こえ、ますか?」
「は…い」
女性医師は右手の指を2本、患者の目の前にかざした。
「指が、何本、見え、ますか?」
「に…ほ…ん」
女性医師は質問を続けた。
「自分の、名前が、言えますか?」
「なみ…かた……あ…い」
◇ ◇ ◇
「波方少将は主観時間で15年をコールドスリープ下で過ごしたことになります」
あいは死後昇進により2階級特進し、波方少将となっていた。原隊復帰後、正式に中佐に戻るまでは、多少歯がゆいが、波方少将だ。
「コールドスリープでは基礎代謝が極限まで低下しますので、身体は16歳のままといって良いでしょう。記憶障害は、長期間のコールドスリープの影響で、おそらく一過性のものです。そのうちに日常生活のなかで、徐々に思い出すと思いますよ」
女性医師が手を差し出した。
「退院おめでとうございます」
「ありがとうございます」
女性医師の手を軽く握り返し、暇を告げたあと、あいは小さな鞄ひとつを手に持って病院の玄関口に立つ。居住区の天井パネルから午前の陽の光が降り注いでいた。
「眩しいであります」
「波方少将、病み上がりの将兵に炎天下の行軍は無謀なのである。作戦計画を見直してはどうだ?」
あいのMIアシスタント、ブルドック隊長は既に復旧済であった。ブルドック隊長は「無理をするな、安め」と言ってくれているのである。
だが、あいは75年の間に居住区の様子がどう変わったのか見物してやろうという気持ちになっていた。しばらくは道なりに元気に歩いていたが、結局、目眩がして座り込んでしまった。あいは、大人しく、ブルドック隊長が呼んだタクシーに乗り込んだ。
車窓から眺める街並みは記憶にあるものとそれほど差がないように思われた。少し興ざめしたあいの視界の端を何かが通り過ぎた。
「止めて!」
よく見ると、それは映画館とバーを一緒にしたお店である。あいの目を引いたのは左から右へと流れる電光掲示板の文字であった。
……波方少将ご生還記念……リバイバル上映……『愛は因果地平の彼方へ』……銀河映画史に残る不朽の名作!……機械知性も泣いた!……あなたは何度、見ましたか?……何度、泣きましたか?……波方少将ご生還記念……
ホテルのチェックインまで、まだ時間がある。あいは軽い気持ちでお店に入り、席代を払うと椅子に座った。もちろん、ドリンクの確保も忘れない。
薄暗がりの中、映画は既に始まっていた。主演女優は、あい本人とは似ても似つかない、かなり彫りの深い美人であった。
(こんなバタくさい美人顔の小学生、今治におらんよ!)
座るや否や、残念な現実との違いが目に入る。だが、ちゃちゃを入れながら見ると、それなりに楽しい。
特殊撮影の場面はなかなかの迫力であり、その方面の専門家であるあいの目から見てもなかなかの出来である。あいはちゃちゃを入れるのも忘れて艦隊戦に見入った。
艦隊戦は銀河連合艦隊の勝利に終わり、あいの溜飲も下がった。あいはドリンクをお替りした。そして、次はお待ちかね、ロマンスの場面である。
<あいちゃん!>
<オリバー君!>
ようやく、オリバーの登場である。映画のなかのオリバーも本物とは似ても似つかなかった。
(2人で馬になんか乗ったことないし! オリバー君はあんなにナヨナヨしてないし。大体、オリバー君は金髪じゃなくて、黒髪だし。もっと優しい目をしていて、ウチをみるといつも笑って……)
いつの間にか、あいの頬を涙が伝っていた。
「あ、あれ……なんでウチ、涙が出よるんやろ……?」
あいは心臓がひどく脈打つのを感じた。喉がからからだった。ドリンクへと伸ばした手からグラスが滑り落ち、床に落ちて大きな音を立てて割れた。
「オリバー君は、オリバーは、いつも、優しくて、笑ってて……オリバー……あれから75年も……そんなの、いや……助けて……オリバー……」
あいは崩れ落ちるように床に倒れ、そのまま気を失った。
◇ ◇ ◇
オリバーは既に亡くなっていた。
あいのメールアカウントにはオリバーからの未読メールが多く残されていた。
オリバーは彼の想い人が生きていると頑なに信じ、折に触れてメールを送ってくれていた。あいはその全てを丁寧に読んだ。オリバーはあいを待ち続け、パートナーを作ることはなかった。
最後のメールはオリバーが亡くなる数日前のものだった。
メールは心のこもった挨拶から始まり、体調が悪く入院を予定していること、退院は未定であることを告げ、あいにしばらくメールを書くことができないことを詫びていた。
すでに己の死を予感していたのであろう。メールはこう締めくくられていた。
「君がサジタリウスから帰還したら、僕はすぐに君を迎えに行こう。一緒に食事をしよう。特別な料理じゃなくていい。君の好きなものを食べて、くだらない話をしよう。君の笑う顔が見たい。
君の笑う顔といえば、最近、地球を出発した兵員輸送船のなかで君と過ごした日々のことをよく思い出す。
あの頃が、ただ懐かしい。
君と出会えて、本当に良かった。ありがとう。
そして――決してそんなことはないと思うけれど、もしも君が既に神様のもとに召されているとしたら、もうすぐ君に会えるのかも知れない。長い間君を待ち続けた僕への、神様からのご褒美だ。
永遠の愛を君に。オリバー」




