サジタリウスA(2)
上から覆いかぶさるように追撃してくる敵艦隊を回避するうちに、味方艦隊、敵艦隊ともにサジタリウスAを巡る浅い突入軌道に入っていた。味方艦隊は下の軌道、敵艦隊はそれよりもほんの少し上の軌道だ。
あいが艦隊MIと協議して練り上げた作戦内容は、既に操艦指示書に織り込み済みだ。
立体ディスプレイでは、エルゴ領域を示す薄紫色の球面すれすれを、味方の青い輝点群が航行し、その少し後方に、敵の赤い輝点群が航行していた。敵の飛翔体の射程距離に入るまえに……
出た!
味方の局高戦艦隊の後方に無数の青い輝点が出現した。デコイの飛翔体がスイムアウトされたのだ。
と同時に、沈み込む。内臓が浮く感覚。
デコイを背後に置き去りにして、局高戦艦隊はエルゴ領域内のより深い軌道へと落ちてゆく。機械類には、局高戦艦隊がエルゴ領域に逃げてゆくように見えただろうか。
ディスプレイにはエルゴ領域を潜航する局高戦艦隊の青い輝点群が映っていた。敵艦隊の赤い輝点群は、局高戦艦隊の青い輝点群を追いかけてきてはいなかった。
機械類はエルゴ領域をイベントホライズンよりも恐れている、という情報部による分析は、どうやら正しかったようだ。
あの日、サジタリウスAに向かって沈みゆく機械類の輸送艦が発した通信は、旗艦への自爆許可要請だった。情報部の解析班MIによる分析には「機械類に特徴的な分散型コンピューティングの情報処理プロセスにおいて、エルゴ領域が時間遅延を生じさせることによる各コンポーネント間の同期のずれが……」という長いコメントが付されていた。
しばらくの間、あいはじりじりするような気持ちで時間が過ぎるのを待つ。
ディスプレイをみると、赤い輝点群は表示範囲から外れて見えなくなっており、下の端にはイベントホライズンを示す濃い紫色が見え始めていた。ようやくサジタリウスAを半周したようだ。
「浮上します!」
オーロラMIの警告の直後、あいの体にこれまで感じたことのない強いGがかかった。ナノマシンで強化された体でなければ気絶していただろう。
機関はレッドゾーン。文字通りの全力推進で艦体がビリビリと振動していた。
シートに固定されたモニターに目をやると、会敵まであと1分弱。加速度に逆らい顔を上げ、立体ディスプレイを見ると、青い輝点群の前方斜め上に赤い輝点群が映り出したところだった。
ビイッ
待ちに待ったブザー音が響いた。
「こちら艦隊MI。波方中佐は1次放射器の使用を承認するか?(イエス/ノー)」
「イエス!!!」
敵艦隊の艦尾に向け一斉に1次放射器が照射された。放射器にエネルギーを充填する低い唸るような音が連続して艦体を響かせる。局高戦艦隊はそのまま加速を続けて、一気にサジタリウスAから離脱する軌道に入った。
「戦闘評価。
敵艦隊620隻中、撃沈 24隻、撃破 174隻、大破 422隻、評価継続中。味方損害、撃沈なし――衝撃に備えよ!!!」
突如、オーロラMIが警告する。
あいがハーネスにしがみつくと同時に艦が大きく揺れた。キャビンに非常事態を知らせる幾つものアラートが鳴り響き、モニターには無数の赤い表示が現れては上に流れてゆく。
「機関損傷! 出力低下!」
「――何が起こったの!?」
「爆発した敵艦から発生したデブリが本艦の艦尾に衝突しました。現在、サジタリウスAに向かって落下しています。安定軌道への進入を試みています」
ディスプレイに目を向けると、サジタリウスAから離れてゆく青い輝点群から取り残されて、オーロラを示す青い輝点が1つだけ、エルゴ領域を航行していた。
機械類の艦隊を示す赤い輝点群はサジタリウスAの巨大な重力に引き寄せられていた。局高戦艦隊の攻撃により推進機関を損傷したためだ。赤い輝点は次々とサジタリウスAの重力に捉えられては、エルゴ領域の境界で消えていた。
エルゴ領域を恐れ、自爆しているのだろう。
赤い輝点が全て消滅してしばらくすると、艦内に響いていたアラート音も収まった。
オーロラMIが状況を報告した。
「戦闘行動が終了しました。本艦はエルゴ領域内の安定軌道を航行中。軌道脱出のために必要な推力を得ることができません。主推進機関は著しく損傷。修復に要する時間は不明。動力は激しく損傷。出力低下。修復に要する時間は不明。艦体インテグリティ異常なし。放射線シールド異常なし。
本艦MIから波方中佐に提言。本艦はこれより燃料消費を最小限に抑えつつ救助を待ちます。波方中佐はコールドスリープにて待機されたし」
あいは慌てた。
「え、やだよ! どうしてコールドスリープなの?」
「食料が十分ではありません」
局地高速戦闘艦は長期間の航海を前提に設計されていなかった。当然、数カ月分の食料しか搭載されていない。救助が来るのは早くとも1年後というのがオーロラMIの回答だった。
コールドスリープの評判は悪かった。経験者曰く、体が冷える、頭痛がする、腹が減る、といったものから、便秘になる、体質が変わる、夢見が悪い、といったものまで。なんとかコールドスリープを回避する方法はないものかと思案を巡らせ、オーロラMIに提言してみたが、すべて却下された。
あいは溜息をついた。
「はあ……。ウチの人生ぁ、どうにもならんことばっかり」
「……」
オーロラMIは何も答えなかった。
気密服を脱ぎ捨て裸になると、シャワーで汗を洗い流し、コールドスリープのためのゆったりとした服に着替え、長い髪を乾かして丁寧にくしをかけ、オリバーにメールを書き、歯を磨き、ポッドに横たわった。
憂鬱と諦めのないまぜになった気持ちで、ゆっくりと閉じていくキャノピーをみながら、長くとも2,3年で救助がくるのだろう、とあいは漠然と考えていた。
高速回転するブラックホール近傍では外部より時間がゆっくり進む。救助が来るのが、あいの感じる主観時間で15年後、外部の客観時間で75年後になろうとは、この時のあいには思いもよらないことだった。
薄れゆく意識のなか、あいは愛しいオリバーと、懐かしい故郷の両親と妹の洋子の夢を見たような気がした。
◇ ◇ ◇
波方洋子は76歳を過ぎてもかくしゃくとしていたが、夏になって急に体が弱りだし、言動に認知症の症状が見られ始めた。その洋子が突然、いて座が見たいと言い出した。一度ではない。一日に何度もいて座が見たいと言う。娘夫婦はどうしたものかと迷ったが、彼らの娘の愛も、どうしてもお婆ちゃんにいて座を見せて上げたいのだと言う。
2018年8月の夜。洋子は娘家族に連れられて、亀老山展望公園を訪れていた。今治市内からでは山の稜線に隠れて、いて座は見えない。大島の亀老山展望公園からは南の低い空に、いて座を望むことが出来た。
「お婆ちゃん、ほら、あれ見える? お婆ちゃんが見たがってた、いて座だよ!」
「どこ、わからないよ」
「ほら! うちの指の先、明るい星、2つあるの、分かる?」
「ああ……見えるよ。あいちゃんの星が、見えるよ」
その後しばらくして洋子は体調を崩し、帰らぬ人となった。




