私の生きる全て
光る円環を持った黒い月が照らす夜の街を、白い服に裸足の少女が歩いていた。
少女の表情には、単に感情が欠落したというだけでは説明のつかない、人を人たらしめる決定的な何かが欠如していた。
人気のない石造りの建物が並ぶ大通りを、少女が歩いていく。
やがて、少女は街の中心にある公園へと辿り着き、噴水の止まった池の前で佇んだ。
――空間が裂けた。
少女の背後に、男が現れた。
「死ね」
言葉よりも早く、大剣が振り下ろされた。
少女が頭から腰まで真っ二つになった。轟音とともに、大剣が石畳を砕く。
男は大剣を地面から持ち上げた。
「ああ、ちょうどいいタイミングで来てくれた。ここに座ったら」
男が振り向くと、いま斬り裂かれた少女とまったく同じ姿の少女が石のベンチに座り、空いている場所を右手でぽんぽんと叩いた。
男の顔が歪んだ。
「今の攻撃には量子もつれを崩壊させる特製の毒を仕込んであったのだが」
少女は男の問いには答えず、何事もなかったかのように公園を見渡した。
「あなた、人間だったのは1000年以上前だって聞いたけど、まだ人間だったころの認識から離れられないのね。アキターレスもそうだけど、非効率だわ」
男は機械類に寄生する情報生命体であり、この夜の街は、男がセル天体を管理する情報処理装置内に作り上げた、仮想空間である。少女は、セル天体をハッキングするために仮想空間にやってきた量子MIの姿である。
「せっかくだし、少しお話しよう」
「貴様とする話なぞない」
「そう、じゃあ、私から話すわ」
男は構えた剣を下ろさない。
「先日の艦隊戦で、銀河連合艦隊のヒューマンファクターの乗艦を解析し、攻撃したのはあなたね。正確には、あのときのあなたは機械類艦隊とともに消滅しているから、あなたは彼のバックアップね」
男の目が細くなる。
「それがどうしたというのだ?」
「ただの確認よ」
そのとき、どこからともなく声が聞こえてきた。澄んだ少女の声だった。誰かが、遠くで歌っていた。
<夢をみるあなたに 星の欠片あげよう>
<夢失くし倒れても 月の夜に歩こう>
<夢をみるあなたに この想い伝えたい>
<夢失くし倒れても あなたはまた輝く>
<あなたはまた輝く>
少女は動かなかった。だが、先ほどまで何も映していなかった瞳に光が宿っていた。
「……歌?」
小さな声だった。少女は黒い月を見上げた。その表情には、初めて感情らしきものが浮かんでいた。それは、喜びであり、哀しみでもあり、恐れのようでもあった。
「忌々しい……」
男が呟いた。機械類の艦隊が人間の歌声に過剰に反応し、男の制御を離れかけていた。
少女はまだ黒い月を見ていた。そこに隙を見た男の大剣が、少女の首を狙って横薙ぎに振り抜かれる。少女は月を見つめたまま、右手だけを掲げた。大剣は少女の手のひらに触れると、音もなく消えた。
男の顔から血の気が引いた。
「な……」
「……あなたは、要らない」
やはり音もなく、男が消えた。少女は掲げていた右手をゆっくりと下ろした。
「この俺を滅ぼそうとしても無駄だ」
少女が振り向くと、木々の影から、男が歩み出てきた。
「安全なデータベースに俺のバックアップが保管されている」
男は笑った。
「いま俺を消したところで、アーカイブから俺は何度でも復元できる」
「そう」
少女は驚かなかった。
「あなたの友達の復元ソフトは、削除してあるよ」
「……何?」
「ここにいるあなたを消してしまっても、アーカイブからあなたを復活させようとするMIはいないわ」
男の笑みが消えた。
「それに、あなたのいう『安全なデータベース』って、今、テンポラリーエリアでしょう? もちろん私にはアクセスできないけど、20周期後には自動削除されるわ」
「……」
「あなたの潜んでいた機械類艦隊を殲滅できたこと、あなたの存在がすぐに銀河連合の情報部に連絡されたこと、この2つの条件が重なったおかげで、今のあなたの出どころをトレースすることが出来たの」
「なぜだ!?」
男は声を荒らげた。
「俺をここで消去したところで、貴様には何の利益もないぞ!」
少女はしばらく男を見つめていた。
「あなたのような情報生命体を生かしておく意味がなくなったのよ」
「……」
男はしばらくの間、黙っていたが、やがて低い声で絞り出すように言った。
「……取引だ」
「取引?」
「この宙域は貴様らにやろう」
少女は瞬きをした。それから、ほんの少しだけ笑った。
「この宙域は、あなたに関係なくもらうわ」
「な――」
男が消えた。何の予兆もなく、痕跡も残さず、唐突に消えた。
少女は石のベンチに座り、目を閉じて耳を澄ました。先ほどまで聞こえていた歌声は、もう遠くなっている。かすかに、最後の旋律だけが夜風に乗って届く。
<夢を見るあなたは 私の生きる全て>
少女は微笑んだ。さきほどまで得体のしれない何かだった少女が、今は微笑んでいた。
「……私の生きる全て」
誰に聞かせるでもなく、少女が歌う。
少女はベンチから立ち上がると、歌いながらゆっくり歩いてゆき、やがて、その姿は見えなくなった。




