セル天体攻略作戦
キャビン内には、先日、仮想空間でオリバーの披露したヴァイオリン曲が繰り返し再生されていた。
シート脇の小型スクリーンには、うっすらと光る円環を持った黒い月が映し出されていた。波方あい少佐は黒い月を眺めながら、うさぎの顔の意匠があしらわれたスプーンでアイスクリームを頬張った。うさぎのスプーンは、オリバーからのプレゼントであり、あいの数少ない私物のひとつだ。
「黒い月が綺麗ですね」
「うむ」
「ちょうど、このチョコアイスみたいでありますね」
「うむ」
「ブルドック隊長どの~、さっきから、うむ、しか言ってないでありますよ~。面白くないであります!」
「ばか者! 士官は礼儀を忘れるな!」
「かしこまりましたであります!」
あいはおどけた仕草で、手の中のカップアイスを持ち上げる。アイスクリームが大好きなあいは、総司令部を出発するにあたって、大量にお持ち帰りしたアイスクリームをシャトルの冷凍庫に保管していた。
あいは真面目な性格である。勤務時間には戦術や兵器の研究、銀河連合の過去戦史の勉強に明け暮れるのであるが、まだ14歳の少女なのである。食事時間になると、こうやって、束の間、傭兵協会の少佐という重圧から逃れるのであった。
オリバーの奏でるイギリス民謡を聞きながら、あいはスプーンいっぱいのアイスクリームを頬張ると、モニター越しにうっとりと黒い月を眺めるのだった。
まばゆい星々の中、月に向かって飛んでゆくという想念は、どこか竹取物語を思い出させて、あいを懐かしい気持ちにさせるのだ。
黒い月の正体は、天の川銀河中心ブラックホール、後年地球でサジタリウスAと呼ばれる超巨大ブラックホールである。サジタリウスAからほど近いこの宙域では、常に1Gの引力でサジタリウスAに引かれる。艦隊も周回軌道にいなければ、サジタリウスAに引かれてゆくだろう。
いま、銀河連合の艦隊は静かに息を潜めていた。電磁波のすべてのスペクトルで無線封止を行い、デブリを装って、周期が約6日の周回軌道を漂っていた。
今回の作戦の目標は「セル天体」と呼称されていた。
艦隊の周回する軌道よりも少し内側に、機械類の一大補給拠点があった。情報部によると、機械類のボディを形成するセル構造体が大量に集積し、小惑星サイズにまで成長した躯体を基礎として補給施設が構築されているのだという。
銀河連合はこの「セル天体」を最重要攻略目標としていた。銀河連合にとって、それは単なる資源ではなく、戦局自体を左右する鍵そのものだった。
◇ ◇ ◇
セル天体攻略作戦は2段階で構成されている。
まず、あいの乗艦を含む主力艦隊が敵の守備艦隊を引きつける。その隙に特殊部隊が侵入し、機械類の中枢システムを首尾よくハッキングする手はずだ。
そのはずだった。
現実は違った。あいは厳しい目でディスプレイを眺めた。
「ブルドック隊長どの、敵の守備艦隊が動かないでありますよ。敵艦隊が動かなければ、我々は敵艦隊とセル天体の防御兵器の両方の相手をしなければならないであります」
銀河連合の大艦隊が機械類の探知圏内に姿を現した。
通信封鎖も解除した。
だが機械類の艦隊に動きは見られなかった。
シート脇のモニターの右半分に会話ログか高速で流れていた。この艦のMIが他艦のMIと会話をしていた。人間の時間感覚ではMI同士の会話はすぐに終了するのが常であるが、今回の会話は妙に長かった。
ややあって、女性の声がキャビンに響いた。
「本艦MIから波方少佐に提言。
機械類の行動を誘引する刺激として、波方少佐の仮想空間での歌声と映像を、艦隊に提供すること、および艦隊がこれを使用することを許可されたし(イエス/ノー)」
「え? どういうこと?」
今、艦隊は戦闘行動中である。なぜ自分の歌の話になっているのか、あいには訳が分からなかった。
「……ふむ。波方少佐、順を追って説明するぞ。まず、前提として、機械類は人類を憎んでおる」
「はい。最初の任務のときに、教えてもらったであります」
あいは腕を組んで頷いた。
「うむ。彼奴らは人間を自己組織化有機物質と蔑称しておる。いのちや生命といった概念を否定しておるのだ。特に、子供と子供を産み育てる女性は機械類の抹殺の対象なのだ」
「むうっ! ひどい話なのでありますっ!」
「そこで、みずみずしい生命力に溢れた波方少佐の映像を流し、機械類を刺激してやろうということだ」
「そういう理由であれば、了解であります! イエス! 恥ずかしいけど、イエス!」
戦艦MIから艦隊MIに音声と映像が提供され、艦隊MIが必要な編集を行い、作戦は実行された。
光る波と戯れる水着姿のあいを背景映像として、作戦に参加している銀河連合の全艦艇から、あいの澄んだ歌声が最大出力で送信されていた。
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星のかげも
あいは誰もいないキャビンで真っ赤になった。
「さずがにこれは、恥ず――」
ビイッ!!
人知れぬあいの身悶えを、艦隊MIからの連絡を告げるブザー音が遮った。
「敵守備艦隊に動きあり。
各艦は送付した操艦指示書に従い、行動せよ」
操艦指示書によると、艦隊は開いた隊形を維持しながらゆっくりとセル天体から遠ざかるようだ。ディスプレイ上の敵艦隊を示す赤い輝点が動き始めていた。敵守備艦隊の釣り出しに成功したのだ。
あいの歌声を出力全開で流しながら、艦隊はゆっくりとセル天体から遠ざかる航路をとった。
◇ ◇ ◇
敵の守備艦隊が去ったセル天体の周辺宙域。
ゆっくりと、極めてゆっくりと、セル天体に近づく物体があった。その物体は一見すると、ごつごつした岩塊のようであったが、よく観察すると無数の小さな岩でカモフラージュされた滑らかな金属の球体であった。
その物体は、高感度センサーが十重二十重に監視する宙域をひそやかに通り抜け、やがて十分にセル天体に近づくと、細長いワイヤーを送り出した。ワイヤーの先には小型の作業ドローンが接続されていた。ワイヤーは何10kmの距離を伸びて、作業ドローンはセル天体の一角に取り付いた。
作業ドローンはセル天体の表面を探り、搬入口を見つけると、入力ポートを探したが見当たらない。作業ドローンは無理やり搬入口をこじ開けると、少しだけ開いた搬入口に、石ころを素早く差し込み、物陰に隠れた。
搬入口が大きく開き、小さな機械類が姿を現した。搬入口の誤作動を確認するため、メンテナンスを行う機械類がやってきたのだ。機械類が搬入口の末端システムを操作している背後から、作業ドローンが襲いかかった。




