つかの間の安息
はくちょう座ブラックホール近傍の秘匿座標に、艦隊総司令部を内部に収めた小惑星が漂っている。
その小惑星の表面に開いた四角い開口部に、1隻のシャトルがゆっくりと進入し、シャトルベイの一角に着艇した。
「艦隊総司令部に到着しました。ウェルカムホーム!」
シャトルMIのアナウンスとともに、波方あいは座席のハーネスを上げて立ち上がると、軽く伸びをした。
傭兵協会によって今治空襲から救われて、すでに4年の月日が経過していた。身長は30cmほど伸びて155cmに成長し、艷やかな黒髪も、今は腰にまでとどいた。
白い制服に身を包んだしなやかな肢体が、つま先立ちでタラップを下りてゆく。艦隊総司令部の重力は地球の4分の1程度である。低重力での下り階段は要注意だ。
だが、ゆっくりとしている時間はない。あいは急ぎ足でシャトルベイから艦隊総司令部内の傭兵協会の区画へと移動する。
藍色の布紐で蝶々に結んだ黒髪を背後になびかせる美しい少女の姿に、通り過ぎる男性士官達が振り返る。
あいはすぐにローラ・グッドマン少佐のオフィスへとたどり着いた。
「ご苦労さま。波方中尉。無事の帰還を歓迎します。作戦報告を提出して」
「はい!」
彼らの体内にはナノスケールの微小な機械が無数に集まって構築されたコマンド処理装置、通称CPUが埋め込まれている。あいは作戦報告書をグッドマン少佐に送信した。
「送信完了しました」
「よろしい……。内容を確認しました。受領します」
グッドマンは、あいの落ち着きがない様子を看てとると、わざとらしく顔をしかめた。
「……波方中尉、落ち着かないようだけど、なにか緊急事態かしら?」
「はい。個人的な緊急事態です!」
「トイレ? 行ってきたら?」
「あ、いえ、違うんです」
「あら、そう……。機械類の自動工場とHMMPについて波方中尉の意見が聞きたいんだけど」
あいは困ったような様子が半分、落ち着かない様子が半分といったところだ。あいを見ながら、グッドマンは自分にもこんな初々しい頃があったような気がして、あまり意地悪をするのも気の毒に思えてきた。
(戦闘準備は、すでに整っているようね……)
あいの唇には、淡いオレンジがほんのりとのっていた。先日、あいの誕生日にグッドマンが贈った口紅も使っているようだ。
「あなたの緊急事態は、居住区内の公園で待ってるわよ」
「え? どうしてご存知なのですか?」
「1時間ほど前、あなたの緊急事態からも作戦報告書を受け取ったわ」
「――あのう、そのう……失礼してもよろしいですか……」
「そんなに、緊急事態なのかしら?」
グッドマンは笑い顔をこらえるのに必死なのだが、あいは気づいていない。
「はい、ものすごく緊急事態なんです!!」
「わかったわ。引き止めてゴメンね。行ってもいいわよ」
「はい! 失礼します!」
挨拶もそこそこにオフィスを飛び出してゆくあいの背中を、グッドマンは笑いながら見送った。
◇ ◇ ◇
ここからはプライベートな時間である。士官としての厳しい表情が姿を消せば、そこにいるのは大きな切れ長の目と艶やかな唇が愛らしい、14歳の少女であった。
あいは艦隊総司令部内の居住区へと、まるで弾むような足取りで駆けてゆく。
今日の2人のデートコースは、まずはアイスクリームを食べて、ゆっくり湖畔を歩いて映画館へと移動、フランスの映画『美女と野獣』を見て、そのあとはディナーだ。
期待であいの胸が高鳴る。
居住区内では多数の民間人が様々な店舗を経営していた。居住区を行き交う人々は、あいの記憶にある今治市の人々よりもほっそりとしており、遥かに整った顔立ちだった。
だが、あいが探している人は、もっと綺麗で、もっと凜々しくて、そして優しい目をしている――。
ようやくたどり着いた公園の入り口では、背の高い黒髪の青年が誰かを探していた。青年の茶色の目があいを見つけると、不安そうだった顔が一気に明るい微笑みへと変わった。
「あいちゃん!」
「オリバー君!」
半年ぶりの再会だった。2人はお互いの命を確かめるように、強く、長く抱きしめあった。
◇ ◇ ◇
翌日。
あいは自分に割り当てられた個室の中で、ぼんやりとした表情で鏡を見ていた。
昨日のことを思い出すと、いつのまにか、右の人差し指が、下唇に触れていた。
「波方中尉! 今日はえらく落ち着いておるではないか! 昨日は儂をオフラインにしおって! 儂もテイラー中尉と喋りたかったのだぞ!」
あいは眉をひそめた。あいのMIアシスタント、ブルドック隊長のだみ声が耳腔内で響いた。
「もう! そんなんだから、オフラインにしたんでありますよ!」
「そんなんだからとは、どういう意味であるか!?」
ブルドック隊長は良い人物であるのだが、ときに面倒くさいのである。オリバーとの二人っきりのデートに招待したい人物ではなかった。
「昨日は何があったのだ?」
「何がって……」
昨日のことを思い出した鏡の中の少女の頬が、たちまち真っ赤になった。両手の指先で触ると、頬が熱く火照っていた。
「おい、波方中尉、心拍数が増加しておるではないか! 大丈夫かっ!」
「もうっ! 知らんっ!」
あいがプイと鏡から顔をそむけた時、
ピロン♪
と個室にメールの着信音が響いた。仕事モードに切り替わったあいがメールを確認すると、それは傭兵協会から命令書だった。「183729号艦への派遣を命ずる」という簡単な文章のあとに、時間と場所が記載されていた。
1で始まる番号は主力戦闘艦を意味する。
「ブルドック隊長どの、主力艦への派遣命令ですよ」
「うむ……。波方中尉も立派な艦隊将校だな、多分……」
「多分は余計でありますよ!!」
◇ ◇ ◇
あいは小さな鞄1つを手に提げると(あいの私物はこれだけである)、個室を後にした。命令書にある時間通りにシャトルベイのラウンジへと赴き、その場で割り当てられたシャトルに乗り込んだ。
シャトルがスムーズに宇宙空間に漕ぎ出すと、向かった先は戦艦だ。
シート脇の小型スクリーンに映る白い姿が次第に大きさを増してゆく。全長は1kmほどであろうか。細長い構造体は、流麗で優雅な楔形のフォルムを有していた。
だが、見る者が見れば、細長い構造の表面には、この時代でも最も強力な指向性エネルギーを吐き出す1次放射器が無数に配置されており、戦闘のための機械であることが分かるのであった。
(破壊のための機械であると分かっていても……)
あいはスクリーンに映る戦艦の姿にみとれた。
「銀河連合の戦艦は美しいであります」
「うむ。敵の戦艦は箱であるからな!」
戦艦の背中にあたる装甲が左右に開いた。姿勢制御エンジンを用いてシャトルが器用に空洞に納まると、アームに固定されたことを告げる軽い振動が続いた。
あいはハーネスをはねあげると、体を大きく伸ばして無重力の中を漂った。シャトルのキャビンは居住空間を兼ねていた。これから数ヶ月は、ここがあいの住処なのであった。
「はああ~、シャトルのキャビンが一番落ち着くであります」
だが安息は長くは続かない。しばらくすると、艦隊MIから作戦内容が共有された。作戦目標は機械類の一大根拠地を母港とする敵艦隊の殲滅だった。
「どうしましょう……でありますっ!!」
「こら、波方中尉、またそうやってすぐ焦る! お前は士官だぞ!」




