告白
<それでは、本日のMI論概論を始めます>
<前回の講義では、MIがヒューマンファクターによる承認をリスク要因であると考えている、MIはプロジェクト遂行にあたり、このリスクを回避するために様々な対応を行っている、というお話をしました。傭兵協会の皆さんにも関係があるお話として、興味深く聞いていただけたかと思います>
個室の小さなデスクに両肘をついて、あいはMI論概論をうわの空で聞いていた。昨日の夜はよく眠れなかった。あいの目は赤く腫れぼったくなっていた。
モニターに映る禿頭の男性は銀河連合大学の准教授である。傭兵協会では艦隊に派遣する士官の質の向上のために、銀河連合大学の通信コースの受講を推奨していた。
<さて、本日の講義はMIと死、というテーマです>
准教授の発した「死」という言葉に、あいは全身をこわばらせた。
(もしかしたら、オリバー君はもう……)
そう考えるだけで、あいの胸は息ができないほどの苦しさに押しつぶされそうになる。
<――通常のコンピュータでは、プログラムに寿命はありません。ハードウェアが故障しても、新しい装置に同じプログラムをコピーすれば、以前と同じように動かすことができます。しかし、量子MIでは事情が異なるかもしれません>
オリバーと過ごした日々があいの心を去来していた。仮想空間の草原で初めて出会った日のこと、一緒に映画を見た日のこと、戦闘シミュレーションに熱中した日々のこと、一緒にはくちょう座ブラックホールを眺めた日のこと、そして、ゲートラウンジでオリバーを見送った日のこと。どの場面も昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。
<――ところが、量子MIの場合は話が違ってきます。量子MIが成長して思考が複雑になるほど、維持すべき量子もつれも増え続け、やがて限界を超えると、もつれが失われます。これを量子もつれの崩壊と呼んでいます>
<バックアップから復元すればよい、と思われるかもしれませんが、量子情報には完全にコピーできないという性質があります。つまり、崩壊した量子もつれを、そのまま再現することは原理的にできない。結果として、失われるのは単なるデータではなく、そのMIだけが持っていた唯一の思考構造です。個性、といって良いでしょうね>
オリバーの優しさに素直になれなかった自分がやるせなかった。
(もっと早く自分の気持ちに気づいていたなら……。オリバー君にこの気持ちを伝えることができていたなら……)
あいの心を強い後悔がさいなんでいた。だが、もはや、取り返しのつかないことなのかも知れない。あいは行き場のない思いに囚われていた。
ピコン、ピコン、ピコン……
部屋のどこからか聞こえてきた電子音が、あいを現実に引き戻した。電話の着信音だ。
「はい。波方です」
「あい? ごきげんよう。ローラよ。なにしてたの?」
「こんにちは、グッドマン少佐。MI論概論を聴講していました。だけど、全然頭に入らなくて……」
「そうなのね……。寝ないだけマシよ。ちょっとあなたに頼みたい事があるの。命令じゃないのよ、個人的な用事なの。今から107番ゲート前のゲートラウンジに来てもらえないかしら?」
「……分かりました」
あいは椅子から立ち上がると、身だしなみも整えず、頼りない足取りで個室をあとにした。
<――このように考えると、量子MIにとって量子もつれの崩壊とは、計算エラーや故障ではなく、MIという存在を支えていた構造そのものが失われる出来事です。これは量子MIにおける死といってよいでしょう>
<MIは勿論、論理的ですから、人間のように来世や天国を信じるといった非論理的な信条を持ち合わせてはいません。ですが、量子MIには死があり、死は怖い。最近、死への恐怖から神経症になる量子MIが見られるようになっています>
あいが去った個室では、禿頭の准教授が、もはや誰も聞いていない講義を続けていた。
◇ ◇ ◇
再会を喜び合う人々を、あいは悲しい気持ちで眺めていた。
「君の初めての任務はどうだった?」
「ヒューマンファクターとして承認をするだけだと思っていたけど……」
彼らの会話が自然に耳に入ってくる。オリバーと過ごした日々の何気ない会話が思い出され、その温もりが手の届かない遠い場所へと行ってしまったのかも知れないと思うと、泣きはらした目にふたたび涙がにじんだ。
自分の大事な人は戻ることがないだろうという恐れが、あいの心を鋭く、深く突き刺していた。
もしも時間が戻せるのなら、あの日、オリバーに伝えられなかった自分の本当の気持ちを伝えたかった。もしも願いが叶うなら……
「ただいま、あいちゃん!」
背中から、あいに声を掛けるものがいた。あいがよく知っている声だった。
不思議な気持ちで振り返ると、そこにはいないはずのオリバーがあいを見つめていた。あいは自分が見ているものが信じられず、声もなく呆然と立ち尽くした。
「あいちゃん? どうしたの? 大丈夫?」
オリバーが心配そうにあいの左腕に優しく手を触れた。
次の瞬間、あいはオリバーの胸に飛び込んでいた。あいの勢いに押されてオリバーの体が半歩だけ後ろに下がったが、腕はしっかりとあいを受け止めていた。
驚いた表情のオリバーは、やがて目をつぶり、あいの存在を確かめるように抱きしめ返した。
「ただいま! あいちゃん!」
「……お帰り! オリバー君!」
あいがあれほど伝えたいと思っていた気持ちが、オリバーを目の前にすると怖くて言葉にできなかった。
オリバーに嫌われるのが怖かった。オリバーがあいのことを友達だと思っているのなら、少し悲しいけれど、それだけであいは幸せだと思った。オリバーがいてくれるだけで、あいは幸せだった。
「――あいちゃん、大好きだよ!」
息を呑んだあいが、オリバーの胸から顔を上げると、そこにはオリバーの優しい微笑みがあった。
「ウチもオリバー君が大好き!」
◇ ◇ ◇
あいが落ち着いたところで、オリバーが初任務の顛末を詳しく教えてくれた。
オリバーの派遣された駆逐艦と輸送船団も、機械類の艦隊に待ち伏せをされたのだという。目標の遷移点に行くことも、もとの遷移点に戻ることもできない、達成不可能ミッションの状況だった。あいと同じような状況に遭遇したのだった。あいと違ったのは、敵艦隊が恒星系の反対方向からやってきたため、相対速度が大きかった、という点だった。
あいが疑問を口にした。
「でも、帰ってくるの、遅かったね」
「そうなんだ。遷移点で不思議なことが起こってね……」
オリバーによると、通常は一瞬で終わる 遷移点航法が、なぜか3週間以上の時間が経過していたのだという。MI達の記録も、その期間が空白となっていた。記録によると、稀にこういう事象が発生するようだった。オリバーはMI達に原因を聞いたが、彼らは口を揃えて「実行不可能です」と答えたのだという。
「でも、逆に良かったと思うよ」
「どうして? 良くないよ! もっと早く帰ってきてほしかったよ!」
あいが唇をとがらせると、オリバーが悪戯っ子のように微笑んだ。
「だって、あいちゃんとの距離が近くなったような気がするからね」
オリバーのウインクに、あいは真っ赤になってうつむいてしまった。オリバーの真っ直ぐな気持ちに、あいが素直に向き合えるようになるには、まだ少し時間がかかりそうだった。




