オリバーの戦い
天の川銀河、オリオン腕肢の辺縁に位置する、番号だけが割り当てられた、名もない主系列星の赤い恒星。
そこからさらに60AU(太陽から海王星までの距離の約2倍)ほど離れた何もない空間。
その虚無の空間に、突如、全長300mを超える宇宙船が実体化した。
宇宙船は銀河連合の駆逐艦だ。遷移点と呼ばれる、宇宙のショートカットを通り抜け、この星系へと到着したのだ。
「先生、何もいませんね……」
「はい、オリバー。ここは戦線から離れた後方ですから。ですが、通常の手順に従い、哨戒ブイから情報を受取り、輸送船団を呼び寄せるかどうかの判断を行います」
駆逐艦の艦内では、12歳の黒髪の少年がシートに座り、シート脇のモニターで星系の様子を確認していた。少年はオリバー・テイラー少尉。傭兵協会から銀河連合艦隊に派遣されている新米士官だ。オリバーに先生と呼ばれている声の主は、オリバーのMIアシスタントである。
ビイッ
キャビンにブザー音が響き、オリバーがモニターから顔を上げた。
「哨戒ブイの情報を確認しました。この星系は安全と判断します。クーリエドローンを遷移点から送り出し、輸送船団を呼び寄せます」
駆逐艦のMIがオリバーに状況を教えてくれた。義務ではないのだが、オリバーに状況を説明してくれているのだ。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
世の中にはどういうわけか、MIに好かれる人間が存在する。オリバーはそうした人間のひとりだ。
やがて、遷移点から輸送船5隻が実体化し、駆逐艦へと近づいてきた。
(まるでコリー犬に寄り添う羊の群れのよう……)
オリバーはイギリスのとある地方の出身である。旅行先のホテルでボイラーの爆発事故に巻き込まれ、瀕死の状態であったところを傭兵協会のエージェント達によって救われた。両親は即死であったという。祖父母はすでに亡くなっており、親類とは疎遠であった。オリバーは天涯孤独の身であり、傭兵協会への入隊を志願したのは自然の成り行きであった。
駆逐艦1隻と輸送船5隻からなる船団は1G(重力加速度)という極めて穏やかな加速を開始し、遷移点を後にした。
◇ ◇ ◇
ビイッ! ビイッ! ビイッ!
キャビンにブザー音が3回響き、まどろみかけていたオリバーは即座に覚醒した。
「機械類の艦隊が出現しました」
駆逐艦MIの警告とともに、立体ディスプレイが起動した。立体ディスプレイは宇宙における位置関係を教えてくれる装置だ。味方艦隊は青い6つの輝点、星系の反対側に、敵艦隊が赤い10の輝点群で示されていた。
だが、これではよく分からない。
「先生、味方艦隊と敵艦隊、遷移点Bを、この恒星系の赤道面上に投影してもらえますか?」
「はい、オリバー。時計盤の図ですね。モニターに映します」
先生が時計盤の図と呼んだのは、星系を時計盤に見立てたものだ。シート脇のモニターに丸い図が映し出された。
この時計盤では恒星は常に時計の中心、目的地である遷移点Bは常に12の位置だ。
「味方艦隊は時計の7の位置から少し内側にはいったところ、敵艦隊は11の外側の位置だね……」
「敵艦隊は5Gの加速度で我々をインターセプトするコースをとっています」
駆逐艦MIが会話に加わった。
「我々は遷移点Bに到着する前に敵艦隊にインターセプトされます。また、出発地である遷移点Aに戻る場合でも、遷移点Aに到着する前に敵艦隊にインターセプトされます」
「これは……達成不可能ミッションだね」
艦隊総司令部へと向かう兵員輸送船のなかで、オリバーは何度も達成不可能ミッションの戦闘シミュレーションに挑んだ。遷移点に戻ろうとしたり、船団をいくつかに分けてみたり、いろいろ試行錯誤したものの、結局どの場合でも、最後には敵艦隊にインターセプトされてしまうのだ。
(彼女ならこの状況にどう対応するだろうか)
腕組みをしたオリバーの脳裏を、ひとりの少女の面影がよぎった。びっくりした顔。笑った顔。拗ねた顔。考え込む顔。幸せそうな顔。怒ったような顔。悲しそうな顔。別れ際に見せた呆然とした顔。少女の見せたどの表情も、少女と過ごしたどの瞬間も、オリバーの心に生きる意味を与えてくれていた。
(必ず生きて、あいのもとに戻る)
決意を新たに、オリバーは時計盤を睨んだ。
◇ ◇ ◇
数日があっという間に過ぎ、会敵の瞬間を迎えようとしていた。すでに作戦は操艦指示書に織り込み済みだ。
3次元ディスプレイの倍率が自動で調整された。オリバーが視線を向けると、向かって手前側の青い6つの輝点群と、向こう側の赤い10の輝点群が猛スピードですれ違おうとしていた。
ビイッ
キャビン内に攻撃承認を求めるブザーが鳴り響いた。
「テイラー少尉は2次放射器の使用を承認するか?(イエス/ノー)」
「イエス――ぅぐっ」
テイラーの承認が終わるやいなや、駆逐艦と輸送船団は、前方に向かってさらに加速した。
駆逐艦の艦体がきしむ音がした。駆逐艦に搭載されている慣性ダンパーは高性能だが、それでも打ち消しきることができない加速度が艦体に作用していた。オリバーの体もまた、大きな力でシートに押さえつけられていた。四肢を動かすどころか、顔を動かすこともできなかった。
オリバーが歯を食いしばる。端整な顔が苦悶する。
会敵直前に軌道をずらし、敵の狙いを外す戦法は敵も味方もよく使う手である。だが、今回、銀河連合の艦隊は前方向へと急加速していた。
「敵艦隊との相対速度が0.1光速を超えました。相対論効果が射撃管制システムに与える影響を補正中…」
たが補正が終わる前に敵が射程距離内に入り、唸るような音が連続して艦内に響く。駆逐艦が2次放射器を照射しているのだ。
突然、強い衝撃が駆逐艦を揺るがし、オリバーはハーネスにしがみつく。キャビンに非常事態を知らせるアラートが鳴り響き、モニターに赤い表示が点滅する。
「右舷に直撃。現在、右舷シールド出力を再調整中」
始まった時と同様、唐突に加速が終わると、心臓を押さえつけていた巨大な力が突然ゼロになった反動で、オリバーの意識が飛びかける。
「戦闘評価。
敵艦隊、損害なし。
味方艦隊、駆逐艦 小破」
自由になった体を起こして3次元ディスプレイを見ると、味方艦隊と敵艦隊はすでにすれ違い、遠ざかっていた。
「……どうやら、うまくいったようですね」
「はい。オリバー。今回の交戦において輸送船団への被弾はありません」
現実の達成不可能ミッションに直面して、オリバーの出した答えは「敵の攻撃に当たりたくないのであれば、敵の攻撃に当たらないようにすれば良い」という、同語反復にも似た論理だった。
オリバーは戦闘シミュレーションを何度も繰り返すうちに、敵艦隊との相対速度が0.1光速を超えると、敵も味方も命中率が急激に落ちることに気がついた。先生に助けてもらいながら研究を進めると、単純に交戦時間が短くなることに加えて、0.1光速以上では相対論の効果(古典力学からのずれ)が無視できなくなるためであることが分かった。
難しい理論は理解できなかった。だが、敵艦隊はこちらに向かって5Gの加速を続けていた。輸送船団が加速すれば、敵艦隊も加速した。輸送船団が逃げるような動きをみせると、敵艦隊は妨げるような挙動を示した。無言の駆け引きを通して、会敵時の相対速度が0.1光速以上となる状況を作り出すことができた。
それでも命中率を完全にゼロにすることはできない。念のため、駆逐艦は敵艦隊に面したシールド出力を最大にして、輸送船団の盾となる位置に移動していた。
――実際、駆逐艦は被弾してしまった。
「主推進機関異常なし。動力異常なし。艦体インテグリティ異常なし。2次放射器5番と6番が使用不能。遷移駆動装置異常なし―――」
駆逐艦MIの被害報告が続いていた。どうやら、駆逐艦の放射器に損害があったようだ。
「オリバー、すぐに2Gでの減速を開始します。この過程は9日間続きます。体力温存のために、シートを後ろに倒し、横になることをお薦めします」
2G加速は耐えられないほどではないが、これが9日間続くとなると話は別だ。オリバーは先生の助言の通り横になると、駆逐艦と輸送船団はすぐに2Gでの減速を始めた。
「敵艦隊もすぐに減速を始めましたが、彼らは減速、停止した後、今度は我々の方に向かって再加速しなければなりません。計算では我々のほうが先に遷移点Bに到着します」
目を閉じたオリバーに、先生の声が聞こえた。




