本当の気持ち
はくちょう座ブラックホール近傍。
近傍、とはいっても太陽系でいえば天王星ほども離れた軌道を、歪な形をした小惑星が公転している。
ブラックホールと伴星の周囲を逆公転するその小惑星は、はくちょう座ブラックホールが宇宙空間を浮遊する巨大な岩塊を捉えたものなのだと言われていた。
この歪な小惑星の内部に、銀河連合艦隊の艦隊総司令部がある。
小惑星表面に開いた四角い開口部に、一隻のシャトルがゆっくりと進入した。内部には多くのシャトルが駐機するシャトルベイがあり、シャトルはその一角にある駐機スペースへと着艇した。
「艦隊総司令部に到着しました。ウェルカムホーム!」
感情の抜け落ちたMIの歓迎の言葉だが、今の波方あいには天上で奏でられる音楽のようにも思われた。
あいは座席のハーネスをはねあげて、ゆっくりと立ち上がった。総司令部内の重力は地球の約4分の1程度しかない。急な動作をすると飛び上がってしまうのだ。
キャビン内部を、あいは感慨深く見渡した。
「シャトルのMIさん、駆逐艦のMIさん、ありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございます。再び波方少尉をお迎えする日を心待ちにしています」
シャトルMIだ。
「波方少尉、ありがとうございました。本MIにとって、今回の任務には非常に多くの学びがありました。本MIが作成した報告書も共有いたします」
これは元駆逐艦MIだ。
(この人は律儀なんか、女たらしなんか、ようわからんね……)
内心そんなことを思いつつも、元気に「ありがとう! またね!」と声をかけると、あいは小さな鞄を持ち上げてキャビンを後にした。
現在、総司令部は昼の勤務時間帯である。
特に疲れていなかったあいは、まっすぐにシャトルベイから艦隊総司令部内の傭兵協会の区画にあるローラ・グッドマン少佐のオフィスへと向かった。
オフィスのドアの前で、簡単に身だしなみを整え、一度深く呼吸して、ドアをノックした。
「はい」
「失礼します。波方少尉です。任務完了の報告に参りました」
「中に入りなさい」
「失礼します」
ドアを開け、敬礼をし、オフィスに入り、グッドマン少佐の机の前で気を付けの姿勢で立った。
「……波方少尉。無事の帰還を歓迎します。作戦報告を提出して」
「はい」
彼らの体内にはナノスケールの微小な機械が無数に集まって構築されたコマンド処理装置、通称CPUが埋め込まれている。あいは作戦報告書の送信を開始した。
このときになって、ようやく、あいはグッドマン少佐の相貌がやつれているのに気がついた。目の下のクマができており、髪も少し乱れている。
「送信完了しました」
「よろしい……。内容を確認しました。受領します」
グッドマン少佐はおもむろに立ち上がると、気を付けの姿勢のままでいるあいを抱きしめた。
「あい、無事で、良かった」
「……グッドマン少佐」
あいはぎこちない動きで、グッドマン少佐を抱きしめた。グッドマン少佐の体が温かかった。
◇ ◇ ◇
「機械類が私たちの補給線を狙って、いっせいに攻撃を仕掛けた、ということですか?」
あいとグッドマン少佐はオフィスの隅に置かれたソファで向かい合わせに座っていた。あのあと、あいとグッドマン少佐はラウンジで飲み物を調達して、再びグッドマン少佐のオフィスへと戻ってきていた。グッドマン少佐はコーヒーを一口飲み、カップをコーヒーテーブルに置いた。
「ええ。我々の補給線を機械類はずいぶん長い間、研究していたようね。重要さと脆弱さの2点から、彼らにとって最も効果的と思われる補給線を攻撃したのよ。あなたの輸送船団のルートも、運悪く機械類の標的になったのよ。
でも、びっくりしたわ! あなた、無事で返ってきた上に、敵艦隊を全滅させて、生きている機械類の工場を発見して、超小型核分裂リアクターの技術も持ち帰ったのね。しかも、これら一連の成果は、あなたの提言が重要な役割を果たしているわ。初任務でこれだけの成果を上げた人間は、傭兵協会の記録にはないわよ。艦隊の歴史のなかでも、初めてじゃないかしら。あなた、センスがあるわ」
グッドマン少佐が手放しであいを褒めると、なんだかこそばゆかった。
「今回はたまたま運が良かっただけです」
「ふふ。傭兵協会は運の良い人間を評価するのよ」
「……」
おかしな間があった。グッドマン少佐はまだ何か、あいに言うことがあるようだった。首を傾げたあいの視線に、グッドマン少佐は目を伏せた。
「――あい、落ち着いて聞いてほしいの。テイラー少尉が……、テイラー少尉の護衛している輸送船団が未帰還なの」
◇ ◇ ◇
あいはどうやって自分に割り当てられた個室まで戻ったのか、記憶がない。
オリバーは故郷を離れて以来、唯一できた心を許せる友人だった。故郷を失って心にぽっかりと空いた大きな穴を、気づかないうちに埋めてくれていたのは、オリバーだった。
寝付くことができず、あいはベッドの上で、寝返りをうった。
あいはグッドマン少佐からオリバーが未帰還であると聞き、それまでの生涯で感じたことのない大きな喪失感と孤独感を感じていた。オリバーがこれほど大事な友達だったことに気がついていなかった。あいは、自分の心のなかに、こんなに辛い気持ちがあるなんて、これまでの人生で考えたこともなかった。
何度も寝返りをうって、ようやく逃げこんだ浅い夢のなかは、草原だった。
風になびく緑の草原の向こうに、男性が背中を向けて立っていた。あいが近づいてゆくと、男性が振り向いた。
草原のなかに、優しく微笑むオリバーがいた。
「やあ、あいちゃん!」
「オリバー君、お帰り!」
だが、あいがオリバーへと伸ばした手は、空をきっていた。あいの目の前からオリバーも、草原も消えていた。
「オリバー君? オリバー君っ?!」
荒く、浅い呼吸とともに、あいは目を覚ました。
心臓が激しく鼓動を打っていた。
暗闇の中、あいは自分の本当の気持ちに気づいた。




