4:負けてたまるか
枕元に置いた携帯がアラームを鳴らす。
携帯にデフォルトで入っているものではなく、自分で設定したもの。
いざという時のみ使用をしているのだが、休日になるようにはしていなかったはずだ。
旭郎は携帯の電源を切ろうとしたところ、アプリの通知が見える。
「あぁ……そうだ、呼び出されてるんだった」
旭郎の睡眠時間は結局、平日よりも短くなっていた。
半分寝ぼけながら階下へ降りて、準備を整える。
「あんたなんでこんな朝早く起きてんの?まだ寝ときなよ」
「ボランティアみたいなものに行ってくるよ。お昼は外で食べてくるから」
「あぁ、そう。お金は?」
「余裕あるからいいよ……」
リビングでくつろいでいた家族に質問を受ける。
いちいち説明をする内容でもないし、そもそも長ったらしく説明する余剰体力は存在しない。
食パンを取り出し、無理やり胃に流し込む。
ポケットに入れた携帯が震えているのは、気のせいだろう。
「朝の光が辛い」
──────
「いや〜、急に呼び出しちゃってごめんね〜!」
休日の駅前。
待ち合わせ場所に現れた三上の軽い謝罪。
旭郎は喉元まで出かかった『そうやって相手の都合を考えないからフラれるんですよ』という正論と暴言をぐっと飲み込んだ。
「いえいえ大丈夫ですよ」
代わりにニコニコと営業用の笑顔を浮かべる。
……今日は一日中この顔だろう。油断をすれば疲労が顔に出てしまうので。
……彼女とまともに会話をしてからまだ一日も経っていないが、旭郎はだんだん、この『三上栞』という生き物のことが面白く思えてきていた。
(睡眠不足なのだろうか)
「それで、今日はどこへ行くんです? デートの下見と聞いていましたが」
「それは昨日まで……実はタレコミがあってね。あの子たち、今日ここでデートするんだって!」
旭郎は心の底から帰りたいと思った。
下見と称して連れまわされるのはまだいい。
だが、他人の恋路の出刃亀をする気はない。
(……リードでもつけてればいいのか?)
「あ、いた!」
ゴールデンレトリバーのように金髪を揺らしながら、三上が指さした方向。
そこには、件の二人――山崎と金山が待ち合わせをしている姿があった。
まだ距離があるためこちらには気づいていないようだが、三上のその金髪は嫌でも目立つ。
旭郎がそう指摘しようとした矢先、三上は小さなバッグからキャップを取り出し、目深に被った。
さらに、長い金髪を帽子の中に無理やり押し込み、特徴的な髪色をほとんど分からないレベルまで隠蔽する。
仕上げとばかりに大きなマスクを着け、伊達メガネまでかけたその姿は――。
「アサロー君どう?完璧じゃない?」
「いいと思いますよ」
(完全に不審者だ……)
完璧な不審者は旭郎の言葉に満足したのか、全身から喜びの感情があふれている。
……少なくとも普段の彼女の印象からかけ離れているので、これでよいのだろう。
(俺を連れているのも、警察除けかな。これが一人でいると職質されるの確実だもんな)
性別不詳の不審者が一人で歩いているのと、性別不詳の不審者と学生一人であれば、後者のほうが通報されるリスクは少ないだろう。
(そういう趣味の人と思われるだけだもんな。意外とこの人は頭が回るのだろうか……俺も顔を隠したいが、そうなれば前提が破綻するものな)
知り合いに見られるとどんな印象を持たれるか想像もしたくないが、旭郎の知り合いに休日のお昼に外に出るような人はほとんどいない。
多くがまだ寝てるか、ゲームの続きをやっていることだろう。
もし見られて噂になっても、また聞き程度なので、いくらでも否定はできるだろう。
(昨日の寝袋と言い、この人はすごいんじゃないだろうか)
旭郎はこんな面白い生態の人間が、同じクラスにいたとはと感心する。
……彼の『妹みたい』という評価はあながち間違っていないのかもしれない。
「それで? 今日はあの二人を尾行するわけですか?」
「そう! それでね、アサロー君には、二人がいい感じの雰囲気になったところで乱入してもらいたいんだけど」
前言撤回だ。
これは面白い生き物ではなく、厄災の獣だ。
「殺されちゃいますよ」
「……確かにね」
三上はしゅんとする。
どちらかと言えば犬のほうが好きな旭郎は、その姿に叱られている柴犬を重ねた。
「やるなら、俺たちも野生のカップルの真似事をして隣の席に座り、ひたすら気まずい空気を出しましょう」
「いいね、それ採用! ……ま、さすがに今日いきなり手を出すとかはないと思うけどね」
探偵ごっこのようにコソコソと隠れながらターゲットを尾行する三上。
その後ろを、旭郎は眠気覚ましにコンビニで買ったコーヒーをすすりながら、一定の距離を空けてついていく。
リードのついていないペットの散歩をしているような、不思議な気分だった。
「あ! 見て、あの店に入るみたい!」
向こうの二人が入ったのは、いかにも学生カップルが好きそうなオシャレな喫茶店。
しかも二人は偶然窓側の席へ。
「一緒に入りますか? それとも外で待ちます?」
「対面のお店に入って監視しよう!」
三上が指さしたのは、対面の『本格インドカレー屋』だった。
──────
店内に流れる陽気で謎めいたインドっぽい雰囲気のBGMを他所に、窓際の席から向こうの喫茶店を血走った目で睨みつける三上。
帽子は外したもののそれ以外の不審者のような恰好は継続しているので、完全に危ない人である。
店内のほかの客からの視線が生暖かい。
小さな声で、憐みの声が耳に入ってくる。
(だめだ……正気になると退店したくなる。ここは我関せずを意識しよう)
すでに注文をしたが、テーブルにあるメニューを見る。
……チャイも注文すればよかっただろうか、と考えつつ、注文したナンセットが来るのを待っていた。
「……くそぅ、見せつけやがって〜〜〜」
向こう側では何の話をしているのかはわからないが、二人が楽しそうに携帯を見せ合って話していた。
笑い合って楽しげな様子は、眩しく、どこか空気がピンク色のフィルターがかかっているように見えた。
旭郎でさえこのレベルなのだ。もっと二人のことを知っている三上には、どのような景色が映っているのだろうか。
「いいじゃないですか。ほら、そろそろナンも来ますよ」
運ばれてきたのはバターチキンカレー。
他にもポークとかマトンとかいろいろな種類があったが、初めてということもあり比較的プレーンなものを選択した。
ランチ用のナンセットということもあり、カレーとナンの他に、小鉢程度の小さなサラダが付いていた。
あまりセットのサラダにお得感を感じない旭郎。
ベジファーストを意識している彼は、いの一番にそのサラダを口に運ぶ。
(こ、このドレッシング美味しい)
既製品かこの店がオリジナルで作成しているのかは定かではないが、ゴマ風味のドレッシングは旭郎の味覚にクリティカルを出す。
ドレッシングの量は多くもなく少なくもない適量であり、外食で食べたサラダの中で五本指に入る出来だった。
入っているトウモロコシの甘味が、ドレッシングの別の甘味で引き上げられており……野菜の一片も残らないように完食をした。
(量が絶妙だ……飽きが来ない量かつ顧客が満足する程度の野菜量はある……やり手だな。遠くになければ、学校の昼休みに食べに来たのに)
前菜も終え、いよいよメインへ。
ナンセット用のトレーの七割強を占めるのはナン。
自分の顔よりも大きいそれは、一枚でおなかが満腹になるサイズだ。
ふと店の中を見てみれば、ランチセットであればおかわり無料と来た。
……そもそものナンセットの料金が比較的良心的であるため、おかわり無料なら、赤字ではないだろうか。
(……もう一枚入るか?いやここはハーフサイズで注文をするか?)
旭郎はカレーライスを好んで食べない。
辛いものが苦手なのと、カレーとごはんの組み合わせが得意ではないからだ。
そのためこれまでの人生では外食にカレー屋を選択することはなかったのだが、これからは入るかもしれない。
ナンを程よい大きさに手でちぎる。
スプーンやフォークなども用意されているが、ここは手で食べるべきだろう。
おしぼりで手を冷ましたら、千切ったナンをカレーへとつける。
(心地よい辛さだが、ナンとバターの甘味でかなり好みの味だ)
特に野菜が入っていることはないのだが、野菜の甘味を感じるので、ルゥに溶けているのだろう。
旭郎は、熱々のナンを火傷も気にせずに千切っては口に運び続ける。
半分程度進んだところで、ナンが何かに触れる。
フォークを手に取りルゥへ入れてみると、出てきたのは鶏肉。
熱々のそれを口に運ぶと、ほくほくとした温かさと肉の満足感で、多幸感があふれてくる。
ナンに集中しすぎていたことに気が付き、旭郎は眼で対面を捉える。
「あーん、とかするのかな……? いや、まだ何もしてないな……」
(ナンをそのまま食べてる……美味しいのにもったいないな)
三上も三上で向こうの店に集中しすぎるあまり、カレーにつけることすら忘れ、ナンにそのままかぶりついていた。
手で触れるだけでも触りたくないレベルの熱さなのに、無視してかぶりついている。
サトゥルヌスの絵みたいだなと旭郎は思いつつ、店員にハーフサイズのお代わりを注文した。
(時間をかける食べ方ならあれで正解なのだろうか……まぁ、そのままでも美味しいからいいんだろうけど)
──────
やがて向こうが店を出たらしく、三上は急いで冷めかけたカレーとナンを口にかき込んだ。
チラリと窓の外に目をやると、なんだか甘酸っぱい雰囲気の二人が歩き出していた。
手を繋いでいるわけでも腕を組んでいるわけでもないが、傍から見れば初々しい学生カップルそのものだ。
(……逆に、俺たちは周りからどう見られてるんだろうな)
旭郎は本日二杯目のコーヒーをテイクアウトで頼みつつ、再び尾行を開始した。
寝不足と、満腹による血糖値上昇のダブルパンチ。
チャンピオン級の凄まじい睡魔が旭郎を襲う。
(黙って立っていれば、それなりなのに……まぁ、これはこれで好きな人もいるんだろうな)
前を歩く不審者スタイルの三上を見ながら、旭郎はコーヒーをあおり、やれやれとついていく。
しかし――素人の尾行など、たかが知れていた。
人混みの中で、あっけなくターゲットの二人を見失ってしまったのだ。
「……あーあ、見失っちゃった」
駅前の広場で、三上が肩を落とす。
これで本日のミッションは終了か、と旭郎が解散を提案しようと口を開きかけた瞬間。
「このままじゃやりきれないわ! アサロー君、ついてきなさい!」
三上は帽子とマスクをむしり取り、本来の金髪をバサリと揺らすと、旭郎の腕を引っ張った。
一番最初に連れ出されたのは、ゲームセンター。
場末というほどではないが、そこそこの繁盛をしている。
三上は軽い足取りで景品を見ていき、ある景品の前で止まる。
それはアイコンにもしていた謎のキャラクターのぬいぐるみのようなもの。
財布を確認した三上は、台の前へと立つ。
手には財布から取り出した硬貨が。
……残弾は多くないように見えた。
そうして三上は旭郎のことを一瞥することなく、千円札を複数枚差し出してくる。
「カイリ!これ、両替してきて!」
「はい……」
誰だろうと返事をする前に、三上の圧力で有無を言わさず使い走りにあう。
(カイリ……あぁ、彼の名前か)
千円札の両替待ちの間に、彼女が叫んだ名前を考える。
完全に彼を自分に重ねているらしい。
都合のいい使いっ走りにされていることへの苛立ちよりも、そこまでして彼との疑似デートを体験したいのかという、どうしようもない呆れと哀れみが勝った。
(ミカミはやっぱり最低だな……逆の立場だったら激怒するだろうに。
面白いから別にいいけど)
両替機から吐き出された百円玉の束を握りしめる。
硬貨の重みは、ここにいない彼がこれまで背負ってきたものの重みを表しているようだった。
両替の間に、三上はすでに景品を一つとっていた。
何円使ったのかはわからないが、店員を呼び、とれる範囲の景品の交換ができないか頼んでいる。
(……クレーンゲーム得意なんだな。俺は全然したことないから、苦手なんだけど)
満足したのか両手にぬいぐるみを入れた袋を出す三上の姿は、買い物帰りの主婦である。
二人が次に訪れたのは少しアングラな雰囲気の雑貨屋。
「こういうところもデートならありじゃない?」
「家族に連れられて定期的に来ますが、確かに話は盛り上がりますね」
「そうなの?私はあまり入ったことないけど、外から見てて楽しそうだな~って思ってた」
独特の匂いのする店内を巡回する。
旭郎は適当な雑貨を手に取り、自分の買い物かごの中へと入れていく。
「アサロー君!これよくない?」
呼び方を元に戻した三上が持っているのは、不気味な小動物の人形。
ホラーゲームの敵にも見えるそれは、結構な種類があるように見える。
「いいですね。こう不気味な見た目だけど、コミカルを忘れていない感じ……嫌いじゃないですね」
旭郎が本心からそう褒めると、三上は我が意を得たりとばかりにぶんぶんと首を縦に振った。
「そう思うよね?やっぱりアサロー君は分かってる側だね!なのにあいつったらさぁ……」
そこから始まったのは、彼が三上のこういう趣味を分かってくれないという愚痴。
そこそこ声が大きいので、話の内容を聞いた店員さんの目が生暖かい。
──────
夕方。
歩き疲れて、駅前のベンチに腰を下ろした時のことだった。
夕暮れの空の下、並んで座る二人。
ベンチに座り、旭郎の手に握られたペットボトルの麦茶が、ポタポタと水滴を滴らせた。
日に三度もコーヒーを飲むのは体の調子を崩してしまうという判断の元、選択されたそれは、旭郎の歩き疲れた体に染み渡る。
横を見れば、今日得たものたちを見て、目を輝かせている三上。
(結局一日すべて潰されたな)
旭郎は貴重な休日が潰されたことに腹は立たなかった。
本来ならば大赤字のはずだが……不思議と今日という一日に対して、何とも言えない満足感を感じていた。
(きっとナンセットのおかげだろう。また来よう)
旭郎はそう結論付けて、麦茶を空にするために喉へと流し込んだ。
「ねえ、アサロー君」
「なんですか。もう帰りますよ」
「もっと笑いなさいよ。あなたが時々見せるその顔、かなり良いよ」
不意に、三上がそんなことを言ってきた。
どの顔のことだろうかと、旭郎は思案するが、心当たりがない。
「へいへい……。これでいいですかね、お嬢様」
きっと笑顔のことだろうと旭郎はわざとらしく、口角だけを吊り上げた胡散臭い営業スマイルを作ってみせる。
「気持ち悪いからやめて。あなたは真顔が一番だわ」
「……言いたい放題ですね、本当に」




