落ちる石
草木の揺れる音と、鳥のさえずりが聞こえる。
朝の光が薄い靄を照らす中、悠真は指に葉巻を挟み、立ち上る煙へ集中していた。
太い煙が薄い輝きを帯び、少しずつまっすぐ伸びていく。
その形を保ちながら、葉巻にも空気を送る。火を消さず、煙も揺らさないように。
(大丈夫、だいぶコツがわかってきた)
先端の灰が2センチほど伸びた時、頭に何かがこつんと当たった。
痛がるほどではなかったが、反射的に頭を押さえる。
足元に、小さな石が転がっていた。
「もう、なんだよこれ……」
森の奥から、朝の食料を調達しに出かけていた師匠が帰ってきた。
「言っただろ、マルチタスクだって。落ちてくるものにも注意しとけよ」
「昨日はそんなこと言ってなかったですよ!」
「言われたことしか注意しない方が悪い。戦場で不意打ちを食らった時も、敵に『不意打ちするなんて聞いてない』って文句言うのか?」
ああ、そうだ。こういう人だった。
悠真は言い返したい気持ちを飲み込んだ。
「次からは適当に落とすから、それもちゃんと避けろよ」
「師匠! 1ついいですか!」
「やだ」
即答され、悠真は頬を膨らませた。
「嘘だって。なんだ、言ってみぃ」
「師匠はマルチタスクだって言ってましたよね」
「ああ、言ったな」
悠真は指を折って数えた。
「煙をまっすぐ伸ばして、空気を送って、灰を落とさない。そこまではいいんですよ。でもですよ!」
足元をドンと踏みしめる。
「落ちてくる石を避けたりしたら、いくらオーラで補強しても灰が落ちるに決まってるじゃないですか!」
師匠はやれやれと葉巻を取り上げた。
「もったいねぇから、あんましたくねぇんだけどな」
口にくわえ、大きく吸う。
じりじりと燃え進み、指で持っている数センチを残して、葉巻はほとんど灰になった。
今にも崩れそうなそれを悠真に見せると、師匠は手をぶんぶんと振り回した。
風切り音が鳴り、足元の草が風圧で倒れる。
それでも、長く伸びた灰は少しも崩れなかった。
「どうだ、まだ何かあるか?」
「……ないです」
師匠はうつむく悠真の頭を撫で、テントへ向かった。
「休憩だ。飯にするぞ」
テントの前には、いつの間にか焚き火の準備ができていた。
金串に刺した魚が、火を囲むように並んでいる。いつも荷物に入っている串だ。
湖まで魚を取りに行っていたのだろうか。
師匠が火をつけ、しばらくすると、魚から落ちる脂がじゅっと音を立て始めた。
師匠は焼けた魚にかぶりつき、1匹をあっという間に平らげた。
悠真は串を手にしたまま、何か考えるように魚を眺めている。
「どした、悠真。腹痛いのか?」
首を横に振った。
「いや、そうじゃないんです。ホテルの美味しいごはん、思い出しちゃって」
師匠は黙って次の言葉を待った。
「あのホテルのごはん、すっごく美味しかったんです。でもやっぱり僕、師匠がこうやって作ってくれたごはんが好きだなって」
そう言って、悠真も魚にかぶりついた。
「でもですよ師匠! たまにはまた、あんな美味しいごはん食べさせてくださいね!」
「ったく、金のかかる弟子だな」
「師匠のお酒と煙草代よりは、お金かからないですから!」
師匠はばつが悪そうに顔をそらした。
「食い終わったら、とっとと修行再開すっぞ」
「あ! はぐらかした!」
軽口を叩き合ううちに、串には魚の骨だけが残り、火の勢いも小さくなった。
――悠真は新しい葉巻を構えた。
煙を包む輝きが先ほどより強まり、太い煙が静かに伸びていく。
修行を続けるうちに、燃え尽きた葉巻の灰が、足元の1か所にまとまっていった。
師匠は少し離れた、湖の見える場所に座っている。
写真を1枚撮ると、手帳を開き、ペンで景色を描き始めた。鉄パイプはすぐ握れるよう脇に置かれている。
「師匠ーっ! なんで写真撮ったのに、絵も描くんですかーっ?」
「写真だけじゃ味気ないだろーっ! こっちの方がーっ! 性に合ってんのーっ!」
返事を聞いていると、また頭に石がこつんと当たった。
「このタイミングはひどくないですかーっ!」
「ひどくなーい!」
悠真は、今度こそ聞こえないように小さくつぶやいた。
「一体いつ投げたんですか、ったく……」
「いつ投げられてもいいようにーっ! ずっと集中しとけよーっ!」
聞こえていたらしい。
煙と空気の操作は、ようやく安定してきた。
だが、灰を支えるだけでもまだ難しい。そこへ、いつ落ちるかも分からない石を避けろという。
目の前には、さっき落ちてきた石があった。
(僕に言うんですから。師匠、お手本見せてくださいよ……!)
悠真は石を拾い、師匠へ向かって振りかぶった。
怪我はしてほしくない。だからオーラは込めなかったが、それでも石はかなりの速さで飛んでいった。
せめて、一言ぎゃふんと言わせたい。
だが、師匠は振り返らなかった。
ペンを置き、脇の鉄パイプを右手で拾い上げ、そのまま肩越しに背中へ回す。
先端には、直角に曲がった短い管がついている。その開口部へ、飛んできた石がすぽりと収まった。
師匠は手首を返した。
鉄パイプの先から石が飛び出し、まっすぐ悠真へ戻ってくる。
額にこつんと当たった。
「ぎゃふん……」
悠真は額を押さえ、その場にうずくまった。
傷はなく、痛みもすぐに引いた。それでも、しばらく立ち上がる気になれなかった。
どうして、背後から飛んでくる石に気づけたのだろう。
師匠は何事もなかったように、また手帳へペンを走らせている。
その姿をじっと見ていると、周囲の景色が陽炎のように揺れていることに気づいた。
煙を包むものと同じ、薄いオーラの揺らぎだった。
(そういうことですか……。いいお手本になりましたよ、師匠……!)
悠真は立ち上がり、葉巻を構え直した。
煙、空気、灰に集中して、石が来た時だけ注意を向ける。
それでは遅いのだ。
意識するのは、石そのものではなく、自分の周りの空間。
3つの操作を続けながら、周囲にもオーラを広げておく。
深く息を吸い込むと、煙だけでなく、悠真の周りにも薄い輝きが広がった。
同時に、まっすぐだった煙が大きく揺れる。
(いい、大丈夫……! 今は全部を同時に……。後からよくしていけば、大丈夫のはず……!)
その時、頭上に広げたオーラの中へ、何かが入ってくるのを感じた。
こつん。
避ける前に、石が頭へ当たった。
足元へ転がり落ちた石を、悠真はじっと見つめた。
(やった……。やっと、初めて落ちてくるのが分かった……!)
当たるより先に、気づけた。
今までとは違った。
顔を上げると、朝には長く伸びていた木々の影が、ずいぶん短くなっていた。
「お疲れさん。休憩して飯にすんぞ」
いつの間にか、師匠が隣に立っていた。
そう言い残し、テントの方へ歩いていく。
その横顔は、いつものニヤけ面とは少し違って見えた。




