修行の1週間
布団にもぐり込んだ悠真は、静かになった隣の部屋を気にしていた。
もし師匠の鼻が詰まったら、息ができなくなるのではないか。
今からでも戻って、タオルを取った方がいいだろうか。
いや、さすがに苦しくなれば自分で起きるはずだ。
あの師匠なのだから、きっと大丈夫。
そう言い聞かせても気になって、浅い眠りと目覚めを朝まで繰り返した。
朝になると、師匠が元気に部屋へやってきた。
「おはようさん。どうだ悠真、しっかり眠れたか?」
自分のしたことが気になって眠れなかった、とは言えない。
返事に困っていると、師匠の口元がいつも以上に緩んだ。
「そうそう、悠真。聞いてくれよ。いやぁ、寝相は悪くないと思ってたんだけどさ、朝起きたら、食ってんの。タオル!」
手を振りながら笑う師匠を前に、悠真はほっとした。
同時に、眠れなかった自分が馬鹿らしくなった。
「そろそろホテル出るから、着替えしとけよ」
「え、もう出ちゃうんですか! あ、でもずっと貸し切っちゃうのも、ほかのお客さんに迷惑ですもんね」
自分なりに納得し、パジャマを脱ぐ。
ホテルで洗濯してもらった服は、丁寧にたたまれていた。いつも綺麗にしている白いシャツも、今日は一層白く見える。
昨日は楽しい一日だった。
次は、どんなところへ行くのだろう。
ロビーでは、到着した時と同じように、スタッフたちが頭を下げていた。
「悠真様、ぜひまたお越しくださいませ」
老紳士の言葉を背に、ホテルを後にする。
外へ出ると、朝の光にきらめく湖が目に入った。昨日何度も眺めたのに、また足を止めたくなる景色だった。
「ねぇ師匠! 次はどこ行きますか? 何食べます? 旅館みたいなところも行ってみたいですね!」
「んー、そうだな。次は野宿だな」
何か嫌な予感がした。
「え、な、なんでですか? いいじゃないですか! どこかに泊まりましょうよ!」
「いやぁ、そのな。無いんだわ、金」
「……え?」
「ホテル代で、一銭残らず使い切った」
悠真は固まった。
師匠ならやりかねない。けれど、聞きたくなかった。
「ホテルに泊まる前に! お金ならあるって言ってたじゃないですか!!」
「あったから遊べただろ」
何を言っても無駄だ。
悠真は肩を落とした。
「そう気を落とすなよ。これでいつも通りに戻っただけじゃねぇか」
(だから気を落としてるんですよ……)
師匠のニヤけ面に、冷ややかな視線を向ける。
「元気出せって。次はいよいよお待ちかねの新しい修行だ」
悠真はぱっと顔を上げた。
「やーっとですか師匠! やっと僕が次のレベルに進めるって認めてくださったんですね!」
「ホテルで休んで疲れも取れただろ。少しハードに行くから、ついてこいよ」
「はい!」
二人はホテルの白い門を抜け、山へ向かった。
リゾートの背後にそびえる山の入口には、宿泊客向けの遊歩道が続いている。
ざざざ、と風が木々を揺らした。
森へ入ると、ひんやりとした空気に包まれる。頭上の葉の隙間から朝の光が差し込み、地面の苔を照らしていた。
遊歩道をそれ、木々の間を縫って進むと、開けた場所に出た。
木々が途切れた先に、湖が見渡せる。
「わぁ……。静かで良いところですね」
聞こえるのは、鳥の羽ばたきと葉の擦れる音ばかりだった。
「どうやってこんなところ見つけたんですか?」
「ホテルからちょうど見えたんだ。ここなら修行にいいだろ。1週間ほど、修行がてらゆっくりする」
1週間。
旅の合間に修行するのとは違う。ここに留まって、それだけの時間を使うのだ。
悠真は少し背筋を伸ばした。
「師匠……その新しい修行っていうのは、何するんですか?」
師匠が懐から取り出したのは、太い葉巻だった。
「これだよ、これ。この葉巻の煙をまっすぐ伸ばす。それが次の修行だ」
「それじゃあ、これまでと何も変わらないじゃないですか! もう風が吹いても揺れないくらい上達したんですからね!」
師匠は答えず、葉巻の先端を指で引きちぎった。
口にくわえ、金色の四角いオイルライターで火をつける。小刻みに吸ってから、ふぅーっと煙を吐いた。
「うめぇ」
「やっぱり自分が吸いたいだけじゃないですか! ていうか、どこで買ったんですか! お金もうないでしょ!!」
「買いだめてたんだよ。いいから、これでいつものやってみな」
火のついた葉巻を受け取り、悠真は煙へ意識を向けた。
薄く輝くオーラが、立ち上る煙を包む。
これくらい、いつもと変わらない。
そう思ったのも束の間だった。
煙がぶれる。
押さえたつもりの場所から、すぐに形が崩れていく。
「なんで……」
「どうだ、いつもの煙草より煙が多いだろ。同じつもりでやってりゃ、押さえきれねぇよ」
師匠は得意そうに笑った。
「まさか、俺が本当に葉巻を吸いたいだけかと思ったか?」
(それはめちゃくちゃ思いましたけど……)
悠真は返事をせず、煙へ集中した。
だが、2分ほど経つと、煙が細くなり、葉巻の火が消えてしまった。
「えっ、なんで……」
師匠は葉巻を受け取り、再び火をつけた。
「煙にばっか気を取られてたな。こいつは放っとくと火が消える。空気も送って、燃え続けるようにしてやるんだ。もちろん口で吸うなよ」
悠真の手へ戻し、葉巻の先を指した。
「要はマルチタスクだ。煙をまっすぐ伸ばしながら、空気の流れも操作する。それと、灰が落ちねぇようにオーラで支えてやれ」
「マルチタスク……」
「煙をまっすぐ伸ばす。火を消さない。灰を落とさない。この3つを同時に続けるんだ。まずはその1本、だいたい1時間もたせられりゃ合格だ。じゃあ、頑張れよ」
師匠は少し離れた場所で、テントを張り始めた。
平らな岩が内側に収まるよう、位置を合わせている。日記を広げ、ランプを置くには、ちょうどいい台になりそうだった。
本当に、ここで修行に専念するのだ。
悠真は手の中の葉巻を見つめた。
(煙をまっすぐ伸ばすだけでも、こんなに難しいのに……)
不安そうな顔に気づいた師匠が、テントを張りながら声をかけた。
「次の修行に進むだけなら、もっと早くてもよかったんだ。だが、新しいことに気を取られた途端、前にできてたことが崩れるようじゃ意味がねぇ。だから、基礎はしつこくやらせた」
悠真は師匠へ目を向けた。
「その分、土台はできてんだ。コツさえつかめばできるようになるさ、心配すんな」
師匠がそう言うのなら、頑張るしかない。
悠真は葉巻へ向き直り、気を引き締めた。
煙が、また細くなっていた。
「師匠……火……つけてください」
意気込んだそばから消してしまい、顔が熱くなる。
師匠はダハハと笑って立ち上がると、もう一度、葉巻に火をつけた。




