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お友達

「あうっ!」


 悠真《ゆうま》の打ち上げたコンクリートが股間《こかん》を直撃し、テンパはその場にうずくまった。

 ヒューリの顔から血の気が引く。

 鉄パイプを脇に置いた師匠は、その背中をばしばし叩いた。もう片方の手で自分の頭を押さえ、大笑いする。


「っはー!! 見た? 今の見た見た?? 俺あんなの教えてないぜ、容赦ないねぇ」


 ヒューリは笑い声に応えず、唇を固く結んだ。

 悠真は荒い息のままテンパを見つめ、ようやくどこに当たったのか理解する。


「わーっ! ごめんなさい! 顎《あご》を狙ったつもりが! 本当にごめんなさい!!」


 慌てて駆け寄ったものの、どう手を貸せばいいのかわからない。

 テンパの周りを、右往左往《うおうさおう》する。


「だ、大丈夫だよ……! ッフー……。それより、おめでとう……君の勝ちだ」


 ヒューリは師匠へ向き直った。


「私たちはあの少年を殺せなかった。だが、あなたには来てもらう必要がある」


 師匠は間の抜けた声を漏らした。


「あ?」

「私の命を差し出します。どうか、どうかこれで許していただけないでしょうか!」


 ヒューリは深々《ふかぶか》と頭を下げた。

 そのまま顔を上げようとしない。

 師匠は困った顔で、テンパと悠真を見た。


「えー、なにこいつ、やばいんだけどー!」


 テンパは股間を押さえたまま答えた。


「いや、あの、そいつ、そういうやつなんです……」


 師匠の口が半開きになる。


「べつについて行ってやるよ。ちゃんと手ぇ抜かずに相手してくれたんだ」

「本当ですか!? 私たちはあの少年を殺せていないというのに……」

「あのなぁ、少しくらい冗談ってもんをだな……。はぁ、もういいわ。行くから準備しとけ」


 師匠は脇に置いた鉄パイプを拾い、ヒューリのそばに横たわるミーシャへ近づいた。

 ヒューリが、その容態《ようだい》を伝える。


「彼女は頭部を激しく打ちつけています。外傷はありませんが、しばらく目を覚まさないと思います。早急に医者に見せたほうがいいかと」


 師匠はミーシャの様子を見て、顔色も変えずに鉄パイプの先で頭を軽くこんこんと叩いた。


「別に大丈夫だろ。おら、起きろー」


 ミーシャがむにゃむにゃと声を漏らし、ゆっくり目を開ける。


「ん……? んん?? あれ?! 500億のおじさんじゃん!!」


 上体を起こしかけ、隣にいるヒューリに気づくと、目を丸くした。


「えっ、ええ、どうなってんの? ミーシャが勝って、そのまま世界的なヒーロー兼《けん》アイドルとして世界を席巻《せっけん》してるんじゃ……。てか、なんで和解したみたいなってんのぉー」


 ついさっきまで、夢の中ではそうなっていたはずだった。

 だが、目の前の光景とはまるでつながらない。

 ミーシャは状況を理解しようとするのを諦め、両手を広げて、その場にごろりと寝転がった。


 師匠は寝転んだままのミーシャの頭に手を置き、軽く撫《な》でる。


「悠真を守ってくれたんだってな。あんがとよ」


 革のグローブ越しの手はごつごつして、撫で方も不器用だ。

 それが案外嫌ではなくて、ミーシャの頬《ほお》が少し熱くなった。


「わわわわわ、私は、ヒーローですから?! それくらいおまかせあれっていうか?!!」


 ミーシャが起き上がるころには、師匠はもう悠真へ向かって歩いていた。

 まだテンパを気遣っている悠真の頭を、わしゃわしゃとかき回す。


「よくやったな。やればできるじゃねぇか」


 頭に触れるレザーのグローブは、いつもと同じ感触だった。


「師匠……髪の毛くしゃくしゃになっちゃいます……」


 手の動きが止まっても、師匠の手は離れなかった。

 悠真が見上げると、師匠はどこか物悲《ものがな》しい顔をしている。


 次は助けないと言ったが、悠真の命が危うくなれば、割って入るつもりだった。


 確かめたかったのは、勝てるかどうかじゃない。一度は諦めかけた悠真が、今度は最後まで手を尽くせるかどうかだ。

 この先も、手を貸せるところに自分がいるとは限らない。助けが届く前に悠真が諦めてしまえば、助けられるものも助けられなくなる。


 最後まで戦って、それでも負けるなら、足りない分は自分が鍛えてやればいい。

 だが、今度も途中で諦めてしまうなら、この騒ぎが片づいたあと、悠真を村まで送り届ける。その先は一人で旅を続けるつもりだった。


 水茶屋《みずちゃや》で黒幕に気づいた時点で、終わらせられたはずだった。

 修行にちょうどいいと接触を避け、この騒ぎを長引かせたのは自分だ。

 強くなった弟子を前にしても、その判断を誇る気にはなれなかった。


「悠真、悪かったな。俺のせいで危険な目に遭《あ》わせちまった」


 その手がまだ離れないことに、悠真は少しだけ肩の力を抜いた。

 返事をしようとすると、声が詰まった。


「ちゃんと師匠は守ってくれたじゃないですか。ほら、僕いま生きてますし」


 師匠はしばらく悠真を見下ろし、やがてふっと笑った。

 頭から手を離し、ヒューリたちへ振り返る。


「この厄介《やっかい》ごとを終わらせに行くとするか」


 そう言ってから、ふと思い出したように尋ねた。


「んで、ウーリのやつはどこだ?」

「車を用意してあります。ウーリ様のところまでは、そちらでお送りします。ここで少々お待ちください」


 ヒューリの視線を受けて、テンパが肩をすくめる。


「はいはい、そりゃ俺ですよね」


 テンパは下腹部の痛みに顔をしかめながら立ち上がり、車を取りに路地を出ていった。

 その姿が見えなくなると、悠真はずっと気になっていたことを尋ねる。


「ねぇ師匠」

「ん?」

「そのウーリさんって、誰なんですか?」

「……俺の古いダチさ」

「師匠の、お友達……」


 見上げると、路地の上の空はすでに白《しら》み始めていた。

 ほどなくして黒いリムジンが姿を現したころには、建物の向こうの空も、淡い朝焼けに染まっていた。

 リムジンの後部座席の窓は暗く、中を覗《のぞ》くことはできない。


「申し訳ありませんが、ウーリ様のところへは、こちらでご同行いただきます」


 ヒューリが左手で後部座席の扉を開ける。

 師匠はためらわずに乗り込み、悠真もそのあとを追った。

 初めての高級車に胸を躍《おど》らせていた悠真だったが、席に着くと少し肩を落とす。


 窓は内側からも外が見えず、運転席との間も仕切られている。

 どちらを向いても、景色がなかった。


「ウーリ様の居場所を特定されないよう、外の情報はなるべく遮断《しゃだん》させていただきます」


 ヒューリはそう言って扉を閉め、助手席へ乗り込んだ。

 運転席では、テンパが出発を待っている。


 小さなライトだけが灯《とも》る後部座席で、悠真はふと思いついて窓を開けた。

 外の物音が車内へ入り込む。

 すぐに前席から、ヒューリの声がした。


「勝手に窓を開けないでいただきたい。テンパ、そもそもなぜ窓が開く」

「ごめっ、ロックするの忘れてた」


 悠真は窓から身を乗り出し、車のそばに立つミーシャへ声をかけた。


「ミーシャさん! 短い間でしたけど、本当にありがとうございました!」

「ふふーん、どってことよー!」

「また! また会いに来ますので、そのときはこの前みたいにジュース飲んでお話しして……ホーガンさんたちに、今日の自慢話でもしましょ!」


 自分にとってミーシャこそヒーローだった。

 でも、その一言が恥ずかしくて言えなかった。


「もちもち、ばっちカモンだよ。ミーシャもまた会えるの楽しみしてるから」


 ミーシャはくるりと回った。

 その動きを見たヒューリは、先を察してテンパへ短く出発を指示した。


 車が動き出す中、ミーシャは片腕を空高く突き上げる。


「待ってるぜベイベッッ!!」


 勢いよく振り返ったときには、車はもう遠ざかり始めていた。


「ねぇ! 私の扱い雑じゃない?!」


 運転席では、テンパがミラーを気にしていた。


「なぁヒューリ、まだなんかやってたけど、勝手に出してよか――」

「いい」

「でも――」

「いい」


 ヒューリの圧に押され、テンパは黙ってハンドルを握り直した。


 ――路地に残されたミーシャは、遠ざかる車をしばらく見送った。


「じゃ、元気でね。僕くん」

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