水塊
壊れた配管から流れ出した水が、ヒューリの周りに浮かんでいた。
さきほど肌の上ではじけた粒の痛みを思い出し、ミーシャは路面で距離を保ったまま身構える。
(確証はないけど、威力と粒の大きさが比例するって仮定して動いたほうがいいかな。だとしたらあれに直接触れるのは絶対にマズい)
ヒューリがミーシャへ右手を伸ばした。
周囲に漂う水が、その腕の先へ吸い寄せられる。
ミーシャの背筋を、嫌な予感が駆け上がった。
(ヤバッ――)
身をひねったのと同時に、拳ほどの水の塊がヒューリの右腕から撃ち出される。
塊はミーシャの脇を通り過ぎた。
かわした、と思った瞬間、ミーシャの背後を飛ぶ水弾が爆発した。
無数の粒が背中に降りかかる。
一粒ごとの小さな痛みが重なり、耐えがたい激痛になった。
(痛っっっ――)
息をつく間もなく、次の水弾が来る。
ミーシャは痛みをこらえてロープを張り、その収縮で身体を引いた。
すぐそばで再び水弾が爆発したが、浴びた粒は先ほどより少ない。
(やっぱり、てか当然だけど被る水の量が少ないとダメージも小さい)
ヒューリは傍らの水たまりから少しずつ水を引き上げ、再び身の周りに漂わせる。
(典型的な中距離タイプ。それも待ちをメインとするタイプね。私が一番相手しにくいタイプだなぁ)
ミーシャは額の汗もそのままに、笑ってみせた。
ヒューリの冷たい目は揺らがない。
(お前はロープを駆使しての接近戦しかできない。俺が水をまとった時点ですでに、これは戦闘ではなく狩りに変化している)
ヒューリの右腕に水が集まる。
今度の塊は、これまでの2発よりも大きかった。
(どうかバカであってくれ。詰みであることにすら気づかず、ただひたすらにもがいて苦しんでくれればそれでいい)
3発目が、まっすぐミーシャへ飛ぶ。
それでも彼女は、避けようとしなかった。
(くそ、あの女もう諦めたか――)
水弾が顔に届く寸前、横からトタンのゴミ箱が飛び込んだ。
中身をまき散らしながら水弾とぶつかり、弾けた水を側面で受け止める。
それまでの爆発とは違い、押し潰された水が飛び散っただけだった。
その陰から、ミーシャがゴミ箱を蹴り返す。
ヒューリは漂わせていた水を上からぶつけ、箱を路面へ叩き落とした。
「どう、驚いた? さっすがミーシャちゃん、中距離も完璧みたい」
ヒューリの眉がわずかに寄る。
(ゴミ箱を直接ロープで飛ばしたのか……。路地裏を狙ったのが仇となったが、盾に使えるものは限られる)
ミーシャはわざとらしく目を見開き、笑いかけた。
叩き落とされた箱にロープが掛かり、縮む勢いで彼女のもとへ戻ってくる。
「ミーシャちゃんはえらいからね。ちゃんと環境に配慮して再利用できるものは使い回さなくちゃね!」
ミーシャは、戻った箱のへこみ具合を確かめた。
(水の大きさのわりに意外とゴミ箱のダメージが少ない……。大きくへこんだ部分もさっき私が蹴ったところだろうし、ミストが本当にメイン? あるいは自発的に爆発させないと効果を発揮しないか……)
箱を確かめながら、ミーシャはヒューリとの距離を測る。
(ただどっちにしろ好都合! もしもの時はぶつかる前に何かぶつけて壊せばいいってだけで、メンタル的にだいぶ楽だし)
ヒューリも、今見たロープの動きを頭の中でたどっていた。
不意の攻撃に備え、周囲にはオーラを張り続けている。
その監視の中で、直前までロープがなかった領域に、突然ロープが現れたのを感じ取っていた。
(確かに、ゴミ箱が引っ張られる直前までロープは存在していなかった……。となると追加された機能は、ロープの状態を変化させて生成できることか。伸びきった状態で生成し、伸ばす過程を省いて最大速度を実現できる。厄介だが、弱点もある)
ヒューリの視線が、箱に残った損傷を拾う。
(ゴミ箱を引っ張るロープの速度に比べて、新しくできた損傷があまりにも小さい。あの速度で引っ張れば、密着状態からでももっと損壊するはず。そして、あれだけ俺の至近距離にロープを生成したのに、ロープでの直接攻撃がなかった)
2つの観察を、ヒューリは1つの仮説へ結びつけた。
(つまり、少なくとも最初から伸ばしたロープに破壊力は持たせることができない。いきなり伸ばしたロープを生成できる代償としては妥当か)
最初に見た、足元からの急加速が思い返される。
(よく足元からロープで飛ばされて蹴りが繰り出せるものと感心したが、レスラーゆえの体幹や技術ではなく、能力の特性と考えれば納得もいく。ロープが物理的に物を押し出すというより、触れた物質そのものに速度を加算するといったほうが正しいか)
ヒューリは、闘技場で見た攻撃も警戒の対象に残した。
(だが、ブラフの可能性もある。闘技場でのロープによる攻撃の警戒は引き続き必要だが、優先度は下げていい)
ヒューリが水たまりから水を引き上げている間に、ミーシャが動いた。
「そっちが来ないならこっちからいくよー!」
同じゴミ箱を、再び蹴り飛ばす。
ヒューリは水の塊を上から叩きつけ、今度は箱の上で大きく爆発させた。
破裂音に重なって金属の潰れる音が響き、箱が路面でひしゃげる。
ミーシャはそれをロープで引き寄せ、冷めた笑みで形を確かめた。
(やっぱり自発的に発動したらしっかり火力でるよね。ゴミ箱が壊れて使えなくなるまで待ちに徹する感じかな。ゴミ箱のストックはまだまだあるけどそれもいつまでもつか……。それまでにあの水の攻略方法を見つけなきゃね)
ミーシャは別のゴミ箱をロープで打ち上げ、続けて蹴り飛ばした。
(同じことの繰り返しか。能がないな)
ヒューリの注意は、飛んでくる箱に向いていた。
水を上からぶつけて爆発させ、2つ目の箱も路面へ叩きつける。
潰れる金属音の直後、額に衝撃が走った。
酒瓶が命中し、ヒューリの顔がのけぞる。
ミーシャはゴミ箱の陰に隠れるよう、瓶もロープで撃ち出していた。
箱だけが叩き落とされ、その後ろを飛んでいた瓶がヒューリの額まで届いたのだ。
血の流れる額を押さえもせず、ヒューリは顔を上げる。
正面のミーシャが、小馬鹿にするように笑っていた。
「あれれ~、おっかしいぞー! 一度に1つしか飛ばさないなんて言ってないのに、警戒しないなんてどうしてなのかなぁ~?」
ヒューリの眉間に、深いしわが刻まれた。
守りに回していた水まで、すべて右腕へ集める。
(盾ごと叩き潰せばいい。小細工をする暇も与えずに、押し切ってやる)
ミーシャは、守りの水まで右腕へ集まっていくのを見ていた。
(ほんと煽り耐性なくて助かっちゃうよ、ありがとね。ただ……)
右腕を囲む3つの水塊は、先ほどまでのものより2回りも大きかった。
(あれくらっちゃ一溜まりもないかな、さすがに)




