ハニートラップ
闘技場を後にした二人は、夜の町を歩いていた。
日付も変わろうかという時刻なのに、通りにはまだ営業中の店が多い。
ネオンや看板の明かりが路面に反射している。
闘技場から離れるにつれ、明かりも行き交う人も増えていった。
「ねぇ師匠」
「ん? どうした悠真」
「これからどうするんです? 宿に泊まるにもお金ないですし、野宿できそうな場所まで距離ありますよ」
師匠は鼻を鳴らし、そのままトコトコと歩き続けた。
「あー……、悪い、考えてなかったわ。ホーガンのやつにでも宿代もらってくりゃよかったな」
「ですよね。闘技場のほうに戻って一晩だけ泊めてもらいますか?」
「いや、あいつに借り作ると、また闘技場の用事に駆り出されそうだしな。今日くらい夜通し歩いてもいいだろ。悠真、お前だってさっきまで寝たし大丈夫だろ?」
「気絶をただの睡眠と一緒にしないでくださいよ」
喧騒の中を歩く師匠へ、背後から女性がぶつかってきた。
腰の少し上まで届く金髪が、大きなカールを描いて揺れる。
ふんわりと中央で分けた髪の下には、綺麗な額と、人形のように大きく丸い目があった。
あどけなさの残る顔立ちをした、思わず見惚れるほどの美人だった。
「ごめんなさい、でもやっと追いつけました。闘技場でおじ様の戦いぶりを一目見て好きになっちゃったんですぅ」
女性は潤んだ瞳で、師匠を見上げた。
「よかったら、これからわたしとデート、してくれませんか?」
悠真は隣から、冷めた目でその様子を見ていた。
(あー、絶対殺し屋だ。わかりやすいなこの人。さすがの師匠も騙せませんよ、それは)
師匠は面倒そうに、片手で頭をぽりぽりと掻いた。
いつもより気の抜けたにやけ面で答える。
「別にそれは構わねぇんだけどよ、悪いがいま金なんて持ってないぜ」
待っていた言葉を聞いたように、女が師匠の腕へしがみついた。
顔を肩のすぐ横まで寄せ、下から覗き込むように見上げる。
「お金ならわたしが出しますから、わたしとぉ一緒に素敵な夜を過ごしましょ?」
「そうか、それならお言葉に甘えるとしますか」
悠真は勢いよく師匠の顔を見上げた。
「え?! 何言ってるんですか師匠! その人絶対師匠狙ってきた殺し屋ですよ!」
女はかすかに微笑んだかと思うと、すぐに瞳へ涙を浮かべた。
「ひっどぉい、そんなこと言われたらわたし悲しくなりますわ。殺し屋だなんて、そんな物騒なこと……」
師匠はにやけ面を崩さなかった。
「まぁ大丈夫だろ。そういうわけでちょっくら行ってくるから、お前は修行しとけ。おこちゃまにはまだ早いからな」
ポケットから煙草のケースと安物のライターを取り出し、悠真へ放り投げる。
「ついには修行用の葉巻すらケチりますか……」
「切り離しの修行にゃ、葉巻よりそれのほうがやりやすいんだよ。煙の制御に気ぃ取られずに済むだろ。さっきみたいにガス欠なんねぇようにちゃんとしねぇとな。火ももう自分でつけれるだろ」
悠真は受け取った煙草とライターを見下ろした。
顔に出すまいとしたが、鼻の片方がピクピクと引きつる。
(……もう知りません。勝手にしてください)
師匠はすでに女と身を翻し、ネオンの奥へ歩き始めていた。
「……いつ戻ってきます?」
師匠は振り返らず、ひらりと左手を挙げた。
「適当にぶらぶらしたらすぐ帰るさ、心配すんな」
女はチラリと背後を振り返った。
悠真が追ってきていないのを確かめると、絡ませた腕へさらに身体を寄せる。
「それじゃあどこ行きますぅ? おじ様の好きなところ行きましょう」
「んじゃ早速飯屋にでも連れてってもらおうかな。いい店知ってる?」
「このあたりのお店ならわたしに任せてくださいねぇ」
――煌びやかな装飾の施された、高級レストランの個室。
革張りのソファに、二人は横並びで座っていた。
師匠の前には食べ終えた皿が積み重なり、空グラスや空ボトルもずらりと並んでいる。
「すまんね、酒なんて久しぶりでいやぁ染みるねぇ。そこの兄ちゃん、これとこれお代わりね」
「こんなに飲めるなんておじ様かっこいぃ~。わたしなんて早々に酔っちゃってもうギブしちゃったぁ。わたしの分もたくさん飲んでね?」
顔を赤らめた女が、師匠の肩へ寄りかかった。
頬を優しくなでても、師匠は食事の手を止めない。
「そりゃ嬉しいこと言ってくれるねぇ、まだまだ飲み足りなかったんだ」
(ずっと食べて飲むことばっかり! 少しくらい私のほうを見なさいよ、絶世の美女がこんなに近くにいるのよ?)
女は師匠の膝へ頭をのせ、半ば強引に膝枕の形を作った。
上目遣いで見つめるが、師匠は次の皿へ手を伸ばした。
(このおっさん、人の金だからって浴びるように飲むわ貪るように食べるわ、遠慮ってものを知らないのかしら?)
愛想笑いが引きつりそうになり、女はそっと顔を背けた。
(あんな露骨な接触しても疑うそぶり見せないのは前情報通りだけど、どうせならこの食べっぷりと飲みっぷりも教えてほしかったわ)
扉の外では慌ただしい足音が行き交い、注文を伝える声が重なっていた。
新しい皿が運ばれるそばから料理が消え、回収の追いつかない食器がテーブルを埋めていく。
(でもいいわ。このまま酔いつぶれるまで飲めば、あとはこっちのもの。仕留めれば賞金500億に、追加の報酬が100億。安い商売よ)
度数の強い酒が運ばれてきた。
師匠はグラスへ注ぐこともせず、直接ボトルに口をつけて飲み干す。
ウェイターがその場を離れる前に空容器を置き、次の酒を注文した。
(この飲みっぷりなら、変に薬混ぜなくてもぐっすり眠ってくれそうで助かるわ)
女は、テーブルを埋めた空グラスや空ボトルへ目を走らせた。
数えるたび、支払いの額が頭の中で膨らんでいく。
(それにしてもどんな内臓してるのかしら。並の人間なら何回も中毒で死ぬ勢いよ。こんなことなら先に経費として少しくらいもらっておくべきだったわね)
――そのころ、人目につかない薄暗い路地裏で、悠真は煙草に火をつけようと悪戦苦闘していた。
ライターのローラーを、カチッ、カチッと何度も親指で弾く。
しかし、煙草の先端は冷たいままだ。
これまで火をつけるのは、いつも師匠だった。見てはいても、ライターの扱い方までは分からない。
「師匠……。せめてライターの使い方くらい教えてから行ってくださいよ」
暗がりで一人ぼやいていると、ふっと周囲の空気が冷たく淀んだ。
顔を上げると、路地裏の入口に、不気味な気配を纏った二人の男が立っていた。




