控え室
――切れかけたライトが、パチパチと乾いた音を立てていた。
控え室の冷たいベンチの上で、悠真は目を覚ました。
開いた扉から、缶ジュースを2つ抱えたミーシャが入ってくる。
「あ、やっと起きた!」
悠真はぼんやりとした頭のまま、上体を起こした。
足はベンチの長手方向へ伸ばしたままだ。
(なんだっけ……あぁ、そうだ、僕負けたんだ)
ミーシャは、悠真の背中側に空いていた場所へ腰を下ろした。
「大丈夫だった? やりすぎちゃったかなって心配したんだよ。はい、これ。好きな味かわかんないけどさ」
リングで響いていた芝居がかった声とは違い、落ち着いた声だった。
悠真は足をベンチから下ろし、ミーシャの隣へ座り直す。
差し出されたジュースを受け取った。
「あ、ありがとうございます」
しかし、缶ジュースなど飲んだことがない。
悠真は手の中の缶を見つめた。
(これ、どうやって開けるんだろ……)
隣でミーシャがプルトップを引き上げ、一気にぐびっと飲み干した。
「くぅ~、効くーっ!」
その様子を盗み見て、悠真も見よう見真似で缶に手をかける。
力加減が分からず、開いた勢いで中身を少しこぼしてしまった。
思わず顔をしかめたが、それより気にかかることがあった。
「あの、ミーシャさん。僕、どれくらい寝てたんですか?」
「んー? 2時間くらいかなぁ。もう今日の営業も終わったよ」
「2時間も……。あのあと、どうなったんですか?」
ミーシャはふふっと悪戯っぽく笑った。
「私が勝ったから君のお師匠さんと戦えることになったわけだけど、私も戦う余力なんてなくてさ」
少し申し訳なさそうに、肩をすくめる。
「代わりに、ホーガンさんが締めのエクストラマッチとしてボコボコになってくれましたとさ。闘技場も大いに賑わって、めでたしめでたし」
次に会ったとき、ホーガンさんになんと謝ればいいだろう。
そんなことを考えながら、悠真はジュースを口に含んだ。
口の中で爆発するような刺激に襲われ、反射的に吹き出してしまう。
「えっ、どうしたの、大丈夫!?」
「ん、んーーっ! 口の中がっ、なにこれ、すごいっ……!」
「あ! もしかして炭酸、初めてだった?」
「ぼ、ぼいびぃです……」
おいしいと言いたかったが、舌がうまく回らない。
そもそも、味を確かめる余裕もなかった。
「無理しなくていいよ、新しいの買ってくるね!」
ミーシャが慌てて立ち上がり、扉へ向かう。
悠真はその背中へ声を張った。
「待ってください!」
せっかくミーシャが買ってきてくれたものを、残したくなかった。
一呼吸置き、刺激をこらえながら残りを一気に飲み切る。
空き缶をベンチにカンッと置いて、顔を上げた。
「ミーシャさん! ジュース、おいしかったです。ありがとうございました!」
できる限りの笑顔で伝える。
ミーシャは呆気にとられたあと、ふっと柔らかく笑い、再び隣へ座った。
「ほんとは私がおかわり買いに行きたかっただけなんだけどね~。自分からおかわり買いに行くねって言うの恥ずかしいし、ちょーどよかったんだけどなぁ~」
「え、ごめんなさい! 僕にかまわず、全然買いに行ってください!」
「うっそ~、冗談だよ。ごめんね」
しばらく、二人の間に静かな時間が流れた。
先に沈黙を破ったのは、ミーシャだった。
「記念すべき7連勝、もらっちゃった」
横ピースを目にあて、誇らしげな笑みを悠真へ向ける。
声も仕草も、リングの上で見たミーシャに戻っていた。
悠真はぽかんと見つめる。
「……調子狂うなぁ」
ミーシャは少し拗ねたように口を尖らせた。
「ミーシャさん、本当に強かったです。ずっと勝ち続けて、どこか自分は負けないんだって勘違いしてました。師匠はよく才能がないって言うけど、それは僕が調子に乗らないための嘘で、きっと僕にも才能があるんだって」
悠真は下を向き、肩を落とした。
ミーシャは目を丸くし、口を開いた。
「私ね、君が7連勝目の相手でほんとにラッキーだったと思ってる。今までにない自分の可能性見つけれたし、これまでで一番楽しい試合ができたんだよ。それに、自分のオリジンも思い出せたし」
それでも悠真は顔を上げなかった。
ミーシャは身を乗り出し、思わず声を強めた。
「てか才能あるでしょ! 僕くんいま何歳よ? その年でミーシャとあれだけ戦って才能ないとかこっちが凹んじゃうよ?!」
悠真は小さく息を吐いた。
その言葉は嬉しかった。それでも、胸につかえているものは取れない。
「てかさ、なんで君はそんなに強くなりたいの? ぶっちゃけ、もう十分すぎるくらい強いのに、なんでそこまでこだわってるのかなって」
すぐには答えられなかった。
ミーシャは急かさず、悠真が口を開くのを待っていた。
「よく、師匠に無理やり連れ回されてるって勘違いされるんです。でも本当は、僕が無理を言って連れていってもらってるんです。『自分の身は自分で守る』ってことを条件に」
悠真は前を見据えた。
「故郷にいるお母さんが、ずっと身体が弱くて村の外に出られないんです。小さい頃から、外はどんな世界なんだろうねって、憧れてるお母さんを見てたんです」
声が、わずかに震える。
「村ってすごく田舎で、外の世界の本すらめったに手に入らなくて。村にある少ない本を、お母さんが何回も読み聞かせてくれたんです」
ミーシャは黙って耳を傾けていた。
「だから、いつか僕が村の外に出て、お母さんに世界はこんなに素敵なところだったよって伝えようって決めたんです。それで、あるとき偶然村に立ち寄った師匠について行って……」
言葉が詰まった。
悠真は服の裾を強く握りしめる。瞳に涙がにじんだ。
「だから……強くならなきゃ終わっちゃうんです。負けた僕じゃ、自分の身を守れない。だったら、もう連れていってもらえないんじゃないかって」
握りしめた裾へ、目を落とす。
「母のこともそうですけど、今はそれ以上に、師匠とのこの旅が、ここでもう終わってしまうんじゃないかって。2時間も寝ちゃってて、師匠がまだ待ってくれてる自信が持てなくて……」
ミーシャは、あえて明るい声で答えた。
「んー、そういうもんなのかな。私が見た感じそんなドライな関係じゃなさそうだったけどね。言っていいかわかんないけど、君のお師匠さんずっと闘技場の外で待ってるし」
「…………、師匠」
悠真は両手で乱雑に涙を拭った。
詰めていた息がほどけ、胸が軽くなる。
「ミーシャさん、ありがとうございます。おかげですっかり元気になりました。……あの、せっかくなので、もう少しだけお話してもいいですか?」
「もちもち! ミーシャはお話大歓迎だよ」
「……僕の前では、もうキャラ作らなくて大丈夫ですよ」
「あらら、それ言っちゃう? 実はずっとやってたせいで、たまに無意識に出ちゃうだけなんだけどね。で、何話したいの? 君から言ったんだから話題はそっちからね」
悠真は足をブラブラと揺らし、ミーシャを見上げた。
「さっきミーシャさんが言ってた、『オリジン』って何なんですか?」
ミーシャは口をすぼめ、ひょっとこのような顔になった。
「それ聞くかぁ……。ごめんね、ちょっとアニメ用語寄りで、普通の人はあんまり使わないかもだった。オリジンってのは夢の始まりみたいなやつ、かな……? ちょーっと恥ずかしいんだけどさ、私昔ヒーローになりたかったんだよね」
「ヒーロー?」
「あー、本もあんまり手に入らないって言ってたもんね。ヒーローっていってもピンとこないか」
人差し指を口元にあて、ミーシャは少し考えた。
「簡単に言うとちょーかっこいい人。困ってる人を助けて、誰かの心の支えになれる、まさに太陽みたいな憧れの存在」
その目は、楽しそうに輝いていた。
「私はアニメやゲームのキャラクターにいっぱい勇気もらえたから、彼女たちが私のヒーローかな」
「それならミーシャさんもヒーローだと思いますよ。会場にいた人たち、きっとみんなミーシャさんに夢中になってたと思いますし、僕も正直、戦いながらかっこいいって」
ミーシャは両手を頭の後ろに組み、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
ベンチから落ちないようにロープを作り、身体を柔らかく受け止めさせる。
「あは、照れちゃうなぁ。でも今のところやったのは子供相手に全力出してギリギリ勝っただけの大人だけどね」
よっこらせと起き上がり、今度は前のめりに悠真の顔を覗き込んだ。
「君にとってのヒーローはだれ? やっぱりお師匠さん?」
悠真は少し照れくさそうに、けれど誇らしげに笑った。
「師匠は、憧れとかかっこいいとか思ったりもしますけど、太陽みたいな遠い存在っていうより、もっと身近なお父さんって感じなんです」
先ほどの空き缶を、指先でコロコロと転がす。
「僕が小さいころには、お父さんはもう居なくて、なにも覚えてないんですけど。もしお父さんがいたら、きっとこういう感じなのかなって」
右手でふわふわとした髪をくしゃりとかき乱した。
「無理やりついていって、ご飯の世話までしてもらっているのに、そんなの忘れてつい甘えちゃうんですよね」
ミーシャは前を向き、優しく目を細めた。
しばらく足をブラブラと揺らしてから、悠真へ顔を向ける。
「ふーん、素敵な関係じゃん。じゃあそのお師匠さんが風邪ひく前にもう行こっか。私はコスチュームの着替えしなきゃだからここでお別れだね」
「ありがとうございました、ミーシャさん! また会いましょう」
「もちもち! その時も、私がまた勝っちゃうけどね!」
「あ、戦う前提なんですね」
「ありゃ、ミーシャ振られちった?!」
ミーシャが大げさに両手を広げ、おどけてみせた。
悠真は声を上げて笑いながら、控え室を後にする。
(ホーガンさん、ごめんね。あの人との試合を引き受けてもらう条件で、この子をここに誘うって約束したのに……。最後まで言い出せなかったよ)
ミーシャは、悠真が出ていった扉をしばらく見つめていた。
(この子がいてくれたら、この闘技場も安泰だろうけどさ……ダメだよ、こんな子の旅を邪魔しちゃ)
一人になった部屋で、ミーシャは大きく身体を伸ばした。
「気持ちもずいぶん軽くなったし、『新生ミーシャちゃん』って感じ! せっかくだしコスチューム新しくしようかな。そうだな、次はレアンビーをベースに青のショートかな」
――闘技場の外では、冷たい夜風のなか、師匠が煙草をくゆらせて待っていた。
(今日は葉巻じゃないんだな)
そんなことを考えたのも束の間、師匠の姿を前に、悠真の胸へ不安が戻ってきた。
「お、悠真、やっと起きたか。風邪ひくかと思ったぜ」
頭上の街灯には虫が群がっていた。
ミーシャと話していたときは、あんなに気持ちが軽くなったのに。
いざ師匠へ報告するとなると、どんな言葉が返ってくるのか怖かった。
それでも、この事実だけは自分の口から伝えなければならない。
「……師匠。僕、負けました」
師匠は煙草を深く吸い込んだ。
わずかな沈黙のあと、白煙をふっと吐き出す。
「そうだな。お前はやっぱり、挑戦される側より、挑戦する側の方が似合ってるってことだ」
師匠は悠真へ顔を向けず、夜の街を眺めていた。
悠真の視界が、ほんの少し滲む。
ぐっと堪え、微笑みを作って言い返した。
「せっかく『挑戦される側』になれたと思ったんですけどね。まだまだ、チャレンジャーは卒業できないみたいです」
「うらやましいねぇ、俺もまたチャレンジャーになってみてぇなぁ」
「えー、挑戦するより、挑戦される方が気持ちよくないですか?」
「いつかわかるさ。今は全力でチャレンジャーを楽しみな。んじゃ行くか」
師匠が背中を向け、夜の街へ歩き出した。
「はいっ!」
悠真はその大きな背中を追い、小走りで駆け出した。
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