ヒーロー
ミーシャはリングにぐったりと横たわっていた。
『きっ、決まったーーーっ! ミーシャの能力を利用した少年のカウンターが炸裂!! これにはミーシャ、立てな――』
ミーシャがもぞもぞと動いた。
目はうつろだった。それでも、ゆっくりと身体を起こした。
『まだだ! まだ落ちてなんかいない! ミーシャ、試合続行だーーー!』
試合を眺めていた二人組の男の片方が、すっと席を立った。
「おいヒューリ、まだ終わってないぞ。もういいのか?」
「あの女はもう終わりだよ、目が死んだ。今立ったのもあの女のプロレスラーとしての本能だろう。戦う意思は残ってないな。それより今のうちに今後の手順を少し修正したい、仕込み相手に連絡してくるよ」
「そうか、俺はまだやれると思ったんだけどな。あぁ、決着のゴングが聞きたかったなぁ、仕方ないか」
もう一人も腰を上げた。
二人は静かに闘技場を後にした。
(あれ……、なんで私立ったんだろ。痛てて、もう限界じゃん。それに、せっかく作った衣装もこれ以上戦ったらボロボロなっちゃうし……)
ミーシャは体勢を崩し、再びリングへ膝をついた。
(ほら身体もいっぱいいっぱいだし……、このまま負けてもいいよね。でも、みんな私のことどう思うかな。子供に負けて弱っちぃって思っちゃうよね。せっかくRリカのコスプレしたのに、かっこ悪いなぁ)
衣装へ目を落とす。
(そういえば、なんでコスプレ始めたんだっけ……。最初は何になりたかったんだっけ……。Rリカ、メイチェル、レアンビー……?)
ミーシャは衣装の端を指でつまんだ。
見慣れた色を眺めているうちに、幼い日の記憶がよみがえる。
(あぁ、思い出した……。小さいころ『ヒーロー』になりたいって言ったらみんなに笑われたんだった。もっと女の子らしい夢持ちなさいって……)
俯いたまま、ミーシャはゆっくりと息を吐いた。
夢中で見ていたテレビの画面が、記憶の中に浮かび上がる。
(あの頃にテレビで見たレアンビー、かっこよかったな。女の子なのに強くて……、何があっても諦めなくて……。あ、でも恋路はヒロインに譲ったんだっけ……)
ミーシャはフフッと小さく笑った。
(古いアニメで誰とも話が合わなくて、格闘技始めて、ついでにオタクも拗らせちゃって……)
リングについた手へ、力がこもる。
(このまま諦めたら、衣装なんかより大事なものを無くしちゃう。私の中の憧れを殺しちゃう!)
震える身体を両手で支え、ミーシャは立ち上がった。
(レアンビーもRリカもメイチェルも……! みんな自分を曲げずに貫き通してんだもん……!)
(身体中痛いとこ悪いけど、もう少しだけ頑張ってね。『ミーシャ』!)
震える声で、悠真に尋ねる。
「君は、ホーガンさんに勝ったんだよね」
「……? はい、なんとかですけど」
ミーシャは小さく頷いた。
「ホーガンさん強いもんね。君が苦労して勝ったってのは、戦っててわかるよ。きっとボロボロになりながら、やっとの思いで勝ったんだって」
悠真を見つめ、口元を緩める。
「ヒーローみたいでさ、絶対かっこいいじゃん。私も見たかっ……」
言いかけて、自分に呆れたように頭をポリポリとかいた。
「だけど、今回はミーシャがそっち側だからさ」
そして、笑った。
「ミーシャがここで勝てばサイッコーにかっこいいってことだよね! 悪いけど、100%中の100%、いや、とびきり全開を超えた120%で行くから!」
(なんだろう、すごく気分が高まる。ミーシャさんが、きっとこの人が僕をもっと高くまで連れてってくれる)
ミーシャはロープに飛び乗り、再び悠真めがけて飛び出した。
悠真は守りを固める。
その腕を掴もうと、ミーシャが手を伸ばしてきた。
(その攻撃はもう通用しないって分かってるはず……!)
悠真の足元に1本のロープが現れた。
それが後ろから前へ動き、足をすくう。
同時に、ミーシャは自分の後方、少し高い位置にロープを作り、足を引っ掛けた。
(そんな、さっきまでロープが動くなんて無かったのに……?! ずっとミーシャさんが出し惜しみしてた……?)
今のミーシャの顔を見て、悠真は確信した。
(違う、能力を作り替えたんだ。たった今、もっと自由な戦いができるように……!)
足をすくわれ、悠真の身体が浮いた。
ミーシャがその両手を掴む。足を掛けたロープが縮み、彼女の身体を後方へ引いた。
その勢いを使い、サーカスの曲芸のように悠真を高く放り投げる。
(もっと自由に! 可能性をどこまでも! メイチェルのルチャリブレのように、どこまでも自由に!)
悠真は空中に張られたロープへぶつかった。
ミーシャは別のロープへ足を掛け、落ちてくる悠真を蹴りで迎え撃とうとする。
だが、悠真はぶつかったロープをしっかりと掴んだ。
そこへ空気の壁を作って固定し、落下を止める。
ミーシャが蹴り出そうとした脚を、その動きが加速する前に蹴り返した。
『空中戦です! この闘技場始まって以来の空中戦が繰り広げられています!』
悠真の掴んでいたロープが消えた。
支えを失い、身体が落ち始める。
ミーシャはまたロープの反動を使い、さらに高く飛び上がった。
宙を落ちる悠真に、ミーシャの蹴りが迫る。
(いまなら……、いまならできる!)
悠真が手のひらを突き出した。
そこへオーラがギュッと凝縮されていく。
ミーシャの蹴りが間合いに入る瞬間、オーラの塊が放たれた。
その反動で、悠真の身体もわずかに後ろへ押される。
(出た! できましたよ、師匠!)
塊は、ミーシャの顔面を捉えた。
だが、踏ん張る足場のない身体は、衝撃を受けて後ろへ逃げる。まだ十分に加速していなかった突進も止まり、わずかに仰け反った。
ミーシャはすぐに背後へロープを作り、掴んだ。
後ろへ倒れ込む勢いでロープを大きく伸ばし、その反動で身体を切り返して悠真を蹴り上げる。
悠真はその蹴りを受け止めたが、身体は上方へ弾き飛ばされた。
ミーシャがロープの上へ立つ。
悠真の落ちていく先にも、1本のロープが現れた。
今度は身体へぶつけるためではない。着地できる位置に、足場として用意されていた。
(観客だけじゃなく、君も楽しんでくれなきゃだから)
悠真が足を乗せるのを見て、ミーシャは大きく息を吸い込んだ。
「フィナーレはまだまだ! ちゃんとついてきてよね!」
二人は深くしゃがみ込み、同時に高く飛び出す。
「一緒に最高のショーにしよう、ヒーロー!」
片方が攻撃をすれば、もう片方が守る。
ロープへ降り、反発を使ってまた飛び上がる。
3度の激しい攻防のあと、ミーシャが勝負を決めにかかった。
一度高く飛び上がり、身体を返してリングへ急降下する。
その先に作ったロープがミーシャを受け止め、宙にいる悠真へ向けて弾き出した。
(この勢い、決めにくるつもりだ……! でも、ここでオーラを当てれば、ミーシャさんもさっきみたいには衝撃を逃がせない……!)
悠真は再びオーラの塊を飛ばそうと、手を伸ばした。
しかし、絞り出したオーラは途中で霧散してしまう。
観客席で、師匠が真剣な顔でその様子を見つめていた。
(ガス欠……?! まずい、ガードしなくちゃ)
ミーシャが頭を振りかぶった。
(頭突き……? いや、この人はフェイントしてくる。本命はなんだ――)
だが、今度はフェイントなどなかった。
ミーシャの頭が、真っ直ぐ悠真の頭へ振り下ろされる。
空中で二人の額が激しくぶつかった。
互いの身体が、反対方向へ弾き飛ばされる。
(フェイントが……ない! まずい、オーラが足りなくて……、ダメージが。せめて距離を取ってオーラを回復する時間を――)
後頭部が、何かに受け止められた。
悠真の背後にも、ミーシャの背後にも、ロープが現れていた。
双方のロープが頭を受け、飛ばされた勢いで大きく伸びる。
一瞬、二人の動きが止まった。
(ごめんね、大人気なくって)
限界まで伸びたロープが縮んだ。
二人は互いへ向けて弾き返され、再び額を激しくぶつけ合う。
(そん……な……)
2度目の衝撃で、悠真の意識が途切れた。
身体から力が抜け、そのまま落ちていく。
ミーシャも受け身を取れず、二人はリングへ叩きつけられた。
(子供相手に全力出して、鼻血まみれでグズグズに汚れちゃってさ。へへ、私、今……最高にかっこいいじゃん)
ミーシャも、とうに身体の限界を迎えていた。
手足に力が入らない。
すぐそばで、悠真は意識を失ったまま横たわっている。
会場は静まり返っていた。
実況も観客も、倒れた二人をただじっと、息を飲んで見つめている。
(まだ終わっちゃダメ……。最後までやり遂げなきゃ、ミーシャ……!)
ミーシャはリングに手をついた。
震える脚で立ち上がり、フラフラと実況席へ歩み寄る。
実況席へ向かう足取りは、おぼつかなかった。
実況者はマイクを口元へ運びかけ、そのまま動きを止めた。
ミーシャが、その手からマイクを奪い取る。
客席へ振り返った顔は、鼻血で汚れていた。
大きく息を吸い込み、口元をつり上げる。
震える拳を、天高く掲げた。
「勝ったどーーーっ!!!」
静寂が、割れんばかりの大歓声へ変わった。
観客が次々に立ち上がり、拳を突き上げる。口笛と拍手が会場を満たした。
ミーシャは拳を掲げたまま、笑っていた。
ふっと腕が下がり、身体が傾く。
受け身を取ることもなく、バタン、と床へ倒れ込んだ。
ホーガンは笑いながらも、冷や汗をぬぐっていた。
「おいおい、坊主のやつ灸をすえるどころか、ミーシャのやつを完成させちまったじゃねぇか。ったく、誰が今のあいつに勝てんだよ」




