リングロープ
脳天へ振り下ろされたミーシャの踵を、悠真は両腕で受け止めた。
「うそ?! ミーシャ、74キロもあるのに!」
ミーシャは体勢を崩し、蹴りの反動で後方へ弾かれた。そのままリングに落ち、背中を打ちつける。
(あんな小さい身体で私の蹴りを受け止めるなんて……。私が気づけないほどのスピードで、腕にオーラを集めたってわけだ……やるね、僕くん!)
『開始早々! 息をつく間もなく速攻で繰り出された、ミーシャによる華麗なるかかと落とし! それを少年は難なくしのぎ、ミーシャは反動で飛ばされちまったー!』
歓声が会場を包んだ。
――その頃、闘技場の入口では、二人の男が静かに扉をくぐっていた。
薄い青髪の男と、背が高く体格のいい男だ。
「あれ? もう始まってる。少し遅れたか」
「見た感じまだ始まったばかりだ。さすがにまだ少しは楽しめると思うぜ。それにヒューリ、リングの奥にターゲットを見つけたぞ」
「目的は楽しむことじゃなくて観察だ。加えてターゲットとの戦闘は諦めて弟子を狙うって、この前決めただろ」
「卑怯な手でどうも気が進まないが、そうでもしないとやりよう無さそうだしな」
「そのためにも、ある程度動きや実力を見ておきたい。仕込みのせいで遅れたが、せっかく来たんだ。楽しませてもらわないとな」
「結局お前も楽しむ気じゃん」
――リング上では、悠真が構えたままミーシャの起き上がるのを待っていた。
倒れている女性に追い打ちをかけるのは、気が引ける。
それに、これは殺し合いではなく試合だ。ちゃんと起き上がってから戦う方が、正々堂々《せいせいどうどう》としていると思った。
一方、横たわったミーシャは、迫ってこない悠真を見上げていた。
(追撃が……、来ない?)
ミーシャがゆっくりと体を起こすのを、悠真はそのまま見守る。
(……ああ、そう! そういうこと! なに、私が女だから? それとも、私のこと格下だって思ってんの?)
これまでの試合なら、倒れたところへ追撃が来るのは当たり前だった。
さっきのオッズも思い出す。観客だけでなく、この少年まで、自分が負けると思っているのだろうか。
体勢を整えると、ミーシャは悠真をキッと睨みつけた。
「あのね――!」
ミーシャが口を開きかけた瞬間、師匠がそれよりも大きな声で割って入った。
「おい悠真! 手ぇ抜くんじゃねぇ!」
「だって師匠――」
「お前だってガキだからって手抜かれたら腹立つだろ。おんなじこと相手にすんじゃねぇよ」
「……、はい」
悠真は構えをほどき、ミーシャに向けて深々《ふかぶか》と頭を下げた。
「ごめんなさい! 僕、失礼なことしちゃいました!」
その様子を見て、ミーシャはあきれて怒る気力さえ失ってしまった。
「ミーシャも子供だからってナメてたし? ここはお相子ってことにしたげる!」
「ここからは、ちゃんと本気でいかせてもらいます!」
ミーシャは小さく笑い、宙へ跳んだ。
その足元に3本のロープが現れた。リングの側面に張られたものを短くしたようなロープが、上下に並んでいる。
ミーシャはそのうちの1本へ降り立った。足元がたわんでも、身体はほとんど揺れない。
「ミーシャも全身全霊、本気で行くよ!」
その様子を見ていたホーガンが、隣の師匠に話しかけた。
「どうだ、驚いたか? すごいだろあいつ、ここで唯一の能力者だよ」
「どうだって言われてもな、見りゃわかんだろ」
「まぁ、あんたからしたら能力者なんか珍しくもないか。だがあの坊主は能力者との経験はないんじゃないか? 俺はなんとか筋肉のアドバンテージで勝てたが、なかなか強いぜ」
「能力者との経験ねぇ。一応はさせてみたよ」
「……、スパルタ教育ってやつか。どうりで2か月にしちゃ育ちすぎてると思ったんだよ。2か月前のおどおどした感じがまるで消えちまってる」
「だがあのミーシャっての、センスいいな。少しは悠真に分けてやってほしいくらいだ」
「まさか、あの坊主よりセンスと才能に溢れたやつなんざ見たことねぇよ。あの年であのレベルまで鍛えられるなんてまだ信じらんねぇぜ」
一方、リングの上の悠真は、空中に立つミーシャを見上げていた。
ミーシャは細いロープの上で姿勢を保ったまま、客席へ手を振っていた。
「ごめんねー! 本気で戦うっていっても、ミーシャはみんなを楽しませなきゃだからさ! これはちょっと許してね♡」
(空中にロープ……、この人も能力者なんだ)
「でもちゃんと手は抜いたりしないから! そこだけはミーシャのこと信じてよね!」
ミーシャがチラリと実況席へ視線を送ると、それを合図するように実況の声が響いた。
『でました! なにを隠そうこのミーシャは、表格闘技でも珍しい能力者! 前回能力を披露した際は惜しくも一歩及ばずホーガンに敗北を喫しましたが、今回はこの能力で勝利を掴みとれるのでしょうか!』
ミーシャが動くたびにロープはたわむが、その挙動に悠真は注目していた。
(あの体重で乗って動いてるのに、あれだけしか沈まないんだ……。きっとただのロープじゃない)
何が違うのかまでは分からない。悠真はロープの動きから目を離さず、警戒を強めた。
客席から声援が返った。
「はーい! サービスはここまで! これだけ見せたら初見殺しなんて言わないでね!」
ミーシャは深くしゃがみ込み、ロープを蹴って悠真へ飛び出した。
その背後、足を掛けられる少し高い位置に、新たなロープが現れる。
ミーシャは空中でそこへ足を引っ掛けた。前へ進む身体に引かれ、ロープが大きくたわむ。
間合いを詰めたミーシャの拳が、悠真へ迫った。
(速い! ……けど、全然これくらい!)
悠真は拳の軌道上に、先ほどと同じようにオーラを集めて守りを固めた。
だが、ミーシャの拳はすんでのところで開き、悠真の腕をしっかりと掴み取った。
「ガードするのなんてお見通しだから!」
伸びたロープが、急激に縮んだ。
足を掛けたミーシャの身体が、悠真から離れる方向へ強く引き戻される。
その勢いを使って腕を引き、ミーシャは悠真をリング際のロープへ投げ飛ばした。
(さっきのガードはすごかったけど、たぶん反射的に動いてるでしょ。勢いよく近づいたら、そりゃガード張っちゃうよね!)
悠真はリングのロープで受け止められ、今度はその反動でミーシャのいるほうへはじき返されてしまった。
だが、戻ってくる悠真の前へ、新たなロープが現れた。
それにぶつかり、再びリング際へ弾かれる。
リングに備え付けられたロープと、ミーシャの作ったロープ。その間で、悠真の身体は何度も往復した。
それを見た師匠は、呆れた様子でホーガンにぼやいた。
「あんだけ受けるな避けろって教えたのにもう抜けてやがる」
悠真がロープで跳ね返されるたびに、その勢いは増し続けていく。
(おかしい、リングの方のロープも普通の動きじゃない……! 勢いが弱まるどころか、どんどん増してる……! リングのロープにも能力が影響するのか……!)
ミーシャは、自分で作ったロープの向こう側へ回っていた。
さらに空中のロープを掴み、身体を縦に回転させる。悠真がこちらへ弾き返される時に合わせ、次の蹴りを準備していた。
『少年、前後のロープに挟まれた! 抜け出せない! その向こうではミーシャが次の一撃を狙っている! これは絶体絶命か!!』
悠真がリング際のロープから弾き返された瞬間、行く手を塞いでいた能力のロープが消えた。
止めるものがなくなり、悠真は回転するミーシャへまっすぐ飛ばされる。体勢を立て直す暇はなかった。
勢いよく放たれた蹴りが直撃しそうになった瞬間、悠真はなんとか両腕でガードを間に合わせた。
その衝撃を受け止めきれず、悠真は後ろへ倒れ込み、ずるずるとリングの反対側へ滑っていく。
「うっそ! そっから防御間に合うの?! 反射神経どーなってんの?!」
蹴りの勢いで回転しながらミーシャはリングへ降り立った。
『なんと少年、あの絶体絶命の状況から生還です! なんという反射神経! なんという防御力! なんという実力でしょうか!!』
悠真はすぐに体勢を立て直し、構えを固める。
「わお、復帰はや! でも、とーぜんダメージはあるよね。背中からズサーって滑ってっちゃったし。見た感じ反射的にガードしちゃうみたいだけど、ミーシャにどう対抗するのかなー?」
再び空中のロープに飛び乗り、ミーシャは軽口を叩く。
『またです! ミーシャ、またしても同じ攻撃に出るつもりだ! さぁ少年、どう対応する!?』
「ミーシャはこれ繰り返すだけで勝てちゃうかもね! ジリジリHP削ってさ! ちょっぴりかっこつかないけどね!」
対する悠真は腕によるガードを固めたまま、頭部にオーラを集め始めた。
(頭にオーラが……、腕のガードだけじゃ防ぎきれなかったときの保険? でも、あんなオーラ攻撃に使われたら困っちゃうし、守りに使ってくれるならラッキー!)
再び深くしゃがみ込んだミーシャが、勢いよく前へ飛び出す。
悠真はさっきと同じ構えを崩さない。
(あーらら! じゃあこのままアンコールいっくねー!)
ミーシャが悠真の腕を掴もうと両手を伸ばした瞬間、その手が何かに遮られた。
(残念ですけど、僕には『これ』があるんです)
悠真の腕の前には、小さな空気の壁が作られていた。
ミーシャの掌が、その表面に止められる。指を閉じても、掴めるものはなかった。手が壁の表面を滑り、悠真の腕へは届かない。
(え、腕に……届かない?)
悠真は頭を大きく振りかぶった。
(そして、この距離なら十分届きます!)
腕を掴めないまま、ミーシャはすぐ目の前にいた。
悠真は全身全霊の頭突きを放った。




