闘技場
以前とは違う明るい喧騒の中を、師匠はズカズカと歩いていく。
悠真は周囲を見回しながら、小走りでその後ろをついていった。
かつて鉄と血の臭いに満ちていた闘技場には、若者や野次馬の姿も混じっている。
客席からは歓声と一緒に、気軽な笑い声が聞こえていた。
少し向こうに、見覚えのある背中を見つけた。
大きく隆起した筋肉に、天井の照明を反射するスキンヘッド。一目でそれと分かる巨躯だった。
「ホーガンさん! お久しぶりです!」
悠真はリング上の勝負には目もくれず、駆け寄った。
振り返ったホーガンは目を見開き、すぐに顔をほころばせた。
「おー、坊主じゃねぇか! なんだよ、またこんなとこにやってきたのか!」
「偶然近くを通りかかって、せっかくだから挨拶だけでもって師匠にお願いして、ここに来たんです」
「そうかそうか。あの時から2か月くらいか? お前も、この2か月で随分と逞しく……って、若干髪も伸びて、前より女らしくなってないか」
ホーガンはからかうように、悠真の顔を覗き込んだ。
悠真は「もう!」と頬を膨らませながらも、笑って言い返した。
「そんなこと言わないでくださいよ! こう見えても、前よりずっと強く立派になったんですから!」
「そりゃあ楽しみだな。当然、一戦やってくんだろ? ここの連中はみんな坊主のファンだ。お前が出てくれたら、大喜びするぜ」
「もう、仕方ないなぁ〜! 一戦だけですからね!」
楽しげな二人の傍らで、師匠は退屈そうに耳をほじっていた。
「二人楽しそうなとこ悪いな。俺もいるんだ、まぜてくれよ」
悠真にばかり目を向けていたホーガンが、ようやくその隣を見た。
笑っていた顔がわずかにこわばる。
「げっ……まあ、そりゃああんたも一緒だよな」
「げっとはひでぇな」
師匠はからからと笑った。
ホーガンが近くの青いベンチへ腰を下ろすと、その隣へドカリと座る。ベンチがメキメキと軋んだ。
「それにしても、2か月の割には随分とここも様変わりしたな。前より一段と若い連中が多いじゃねぇか」
「坊主が俺に勝った、あの日のせいさ。常連どもは手堅く稼げると思って、俺にたんまり賭けてたんだ。それをあんたに一人勝ちされて、賭けに使う金がなくなっちまった」
ホーガンは苦笑し、客席へ目を向けた。
「その日だけなら、運営が直接損したわけじゃねぇ。だが、それっきり来なくなった太客が多くてな。客が減りゃ、こっちも経営が厳しくなる。それで新しい客を呼ぶために、表向きの闘技場を開くようになったのさ」
大きな肩をすくめ、声を少し落とした。
「武器を使う試合は、残酷すぎて見てられねぇって客もいるからな。まずはこういう試合を見せて、その中から、もっと激しいのを見たがる客を探す。血が流れる試合でも喜びそうな奴を、メインの『裏』に引きずり込むわけさ」
「ほーん、苦労してんだな」
「誰のせいだと思ってんだか。……あ、そういや今まで名前を聞いてなかったな。いつまでも『あんた』って呼ぶのも座りが悪いだろ」
「あー、別にあんたで構わねぇよ。特に名乗るようなもんもねぇし、いつも旅の男で通してんだ。こう見えて、ちょっと有名人でな」
「どこが『ちょっと』だ。500億もの賞金を懸けられたそうじゃねぇか。いまじゃ裏社会中、あんたの話題で持ち切りだよ」
「なんだ、こんなとこまで知られてんのか」
「こう見えても、一応ここも裏社会の端くれだからな。そういった情報くらい自然と入ってくるさ。もっとも、あんたを襲うようなバカは誰もいねぇよ。……で、いったい何をやらかしたらそんな額になるんだか」
「さぁな。モテる男はつらいんだよ」
師匠が煙に巻く横で、悠真は「あの……」と声をかけた。
足先をもじもじと動かしながら、大人たちの会話が途切れるのを待っている。
「ん、ああ、坊主、仲間外れにして悪かったな」
「なんか、僕がホーガンさんに勝ったせいで、ここに来るお客さんが減っちゃったんですね。ご迷惑おかけして、すみませんでした」
「気にするな、お前さんのせいじゃないさ。どっちみちあのままじゃ経営はジリ貧だったしな。むしろ、今のほうが俺はいい息抜きになってるぜ」
「それならいいんですけど……本当にいいのかな」
「いいんだよ。俺も、お前と本気で戦えていい経験になったしよ。……おっと、ギャリスの野郎も随分と変わったぜ」
ホーガンがニヤリと笑った。
「うっ、ギャリスさんですか?」
名前を聞いただけで、悠真の顔が引きつる。
「あいつもともとイカれてたからな。坊主の蹴りを顔面に食らったせいか、一周回って今は真っ当に闘技者やってるよ。剣持ってるときに背中見たら襲う癖は抜けてないけどな」
悠真は肩を震わせ、あたりを見渡した。
「……あれ? でも、今日はギャリスさんいないんですね」
「別に全員が毎回いるわけじゃねぇよ。そもそも今日は表向きの闘技場なんだ。武器持ちは不参加で、俺とか、今リングで戦ってるような客受けのいいやつだけ呼ばれてんだよ」
言われて、悠真はようやくリングへ目を向けた。
白い照明の下で、派手な衣装の女性ファイターが、対戦相手を追い詰めている。
ピンクと緑を配した、身体にぴったりのプロレス用コスチュームに、鮮やかな金色のツインテール。動くたび、2つに結んだ髪が大きく揺れた。
「うわー、ずいぶん派手な格好ですね……」
ホーガンはクスリと笑った。
「コスプレさ。もともとは表舞台の闘技者だったらしいが、オタクを拗らせて権利的にアウトな衣装しか着てこないせいで何度も揉めて、最終的に裏へ流れてきたクチだ。いまの衣装も色を変えただけで、ほとんどあいつがやってたゲームの衣装だしな」
「また癖の強い人がいたんですね」
「1か月ちょっと前に来たから、坊主の後輩ってところだな」
「僕は別にここに所属してるわけじゃないですからね……?」
悠真が訂正する間にも、リングでは相手が倒れ込んでいた。
ホーガンがそちらへ視線を戻す。
「おっと、そろそろ勝負がつくな」
女性ファイターはコーナーポストの最上段へ、軽やかに飛び乗った。
「さーて! 会心の一撃いっくよーー!」
よく通る声が会場に響いた。
倒れた相手めがけて身を躍らせ、全体重を乗せたエルボードロップを叩き込む。
ズシン、とリングのキャンバスが沈み込んだ。
『決まったーーーーー!! ミーシャによる華麗なフライング・エルボー・ドロップ!!!』
実況に重なって、大歓声が沸き起こった。
勝利を収めたミーシャは、喝采を浴びながら実況席へ歩み寄る。
そのまま、実況者の手からマイクをひったくった。
「ちょ、ちょっとミーシャちゃん――」
『はーーい! みんないつも応援ありがとーー! みんなのおかげで、今日もミーシャちゃんがまたまた完勝しちゃいましたーー! 引き続き、可愛いミーシャの勇姿を応援してよねーーーっ!!』
満面の笑みで、客席へ投げキッスを振りまく。
その姿を面白そうに眺めていたホーガンが、悠真の肩を豪快にポンと叩いた。
「なぁ坊主、お前さんミーシャの相手してやってくれないか」
「えっ……僕が!?」
目を見開く悠真の隣で、師匠は不敵な笑みを深めていた。




