太陽
悠真は空気の操作を解き、ふらつきながら地面に降り立った。
男に近づくと、その口から「カヒッ」という掠れた音が漏れる。続いて、荒い呼吸が始まった。
倒れたまま、意識は戻らない。だが、胸は動いている。
悠真はようやく、詰めていた息を吐いた。
「はぁ、はぁ……やった……」
息を整えるのももどかしく、悠真は弾かれたように振り返った。
衝撃波で跡形もなく吹き飛んだテント。そのあった場所に、何事もなかったかのようにポツンと横たわる師匠の姿が目に入る。
「師匠! 僕……! 僕! 勝ちましたよ! 勝ったんです! 殺し屋から師匠を守れました……!」
悠真は叫びながら駆け寄った。だが、近づくにつれて違和感が胸を締め付ける。
あまりにも静かすぎるのだ。
師匠の顔を覗き込む。……呼吸をしていない。
「そんな……うそだ……」
血の気が引いていくのを感じながら、悠真は師匠の胸元に飛び込み、耳を強く押し当てた。
しかし、いくら耳を澄ませても何も聞こえなかった。
(戦ってるうちに、ほかの殺し屋が……!?)
最悪の想像が頭をよぎり、悠真の目から大粒の涙が溢れ出した。
「うっ、し、師匠……! 師匠! なんで死んじゃうんですか! 師匠おおおお!」
少年が夜空に向かって絶叫した、その瞬間。
ガバッ、と。まるでゼンマイ仕掛けの人形のように、師匠が勢いよく上半身を跳ね起こした。
「ふぁあ、よく寝た。なんだ悠真、泣いたりなんかして」
師匠は大きなあくびをし、何事もなかったように伸びをした。
悠真は涙を流したまま、ぽかんと口を開けた。
「え、師匠。いま、だって心臓……、息だって……」
幽霊でも見るかのような弟子の視線に、師匠は不敵にニヤリと笑って答えた。
「なんだよ、こんだけ一緒に暮らして今更かよ。俺くらいになるとな、寝るときは息も鼓動もしなくなるんだよ」
悠真は言葉を失った。
師匠が生きている。それは分かるのに、涙は止まらない。
本当に死んだと思ったのだ。胸に残る恐怖を振り払えないまま、ホテルの夜のことを思い出した。
「うそだ! だってホテルのときいびきすごかったもん!」
師匠の肩がびくっと跳ねた。
言い逃れを見抜かれたうえ、悠真は思った以上に泣いている。からかうつもりで浮かべていた笑みが、口元で固まった。
悠真は涙を拭うより先に、師匠へ詰め寄った。
「師匠! まさか、ずっと起きて見てたんですか?! 弟子が死にそうになってるのを黙って!」
「いや、それはだな……」
師匠がバツの悪そうな顔で言い訳を始めようとした、その時だった。
背後から、おぞましい殺気が立ち上る。
ふと振り返ると、先ほど倒したはずの男――ロッシュモンドベルが、荒い息を吐きながら上体を起こしていた。
二人が言い争う間にも、男は呼吸を取り戻していたのだ。
男は狂気に満ちた目で残された右手を天に突き出し、ありったけの声を絞り出した。
「500億の男を殺す栄光は、このロッシュモンドベルの手に!!」
男の右手が、一瞬だけ激しく開閉する。
その直後、世界が昼間のように明るく照らされた。
突如として少年たちの真上の夜空に現れた「太陽」。
それは直径200mにも及ぶ、途方もなく巨大なトーチだった。
悠真は息をのんだ。
顔を上げたまま、思わず一歩後ずさる。
それでも、頭上に広がる光の端は、遠くにあった。
逃げなければ。
師匠も連れて、あれが落ちてくる場所から離れなければ。
師匠の服へ手を伸ばしかけ、悠真は周囲を見回した。
右へ走っても、左へ走っても、あの下から抜け出すまでに、どれだけかかるのだろう。
さっきまで必死に駆け回った場所が、すべて光に覆われている。
空気の壁なら。
そう考えて、もう一度、頭上を見た。
さっきまでの小さなトーチが地面を焼き、砕いた光景がよみがえる。
あれでさえ、空気の壁で受け止めようとは思えなかった。
その何百倍も大きなものが、今、頭上にある。
あんなものを防ぐために、どれだけのオーラが要るのか、想像すらできない。
それに、もう脚は震えていた。息も、まだ整っていない。
ついさっき、師匠を守れたと思った。
やっと勝ったと思ったのに。
「で、でかすぎる……」
逃げる先を探していた視線が、頭上の光へ戻った。
師匠の服をつかもうとした手が、力なく下がる。
「避けられない、無理だ。不可能だ……」
口にした途端、膝から力が抜けた。
悠真はその場に崩れ落ち、見上げることしかできなくなった。
だが、その隣で師匠の口元がほころんだ。
昼に披露し損ねた技を、ようやく見せられるのだ。
「ちゃんと言っただろ、最後まで気を抜くなって」
師匠はぐっと腰を落とし、左手で鉄パイプを腰の位置に固定した。
その左手を鞘に見立て、右手で鉄パイプの端を握る。
昼に見せた、抜刀の構えだ。
「まぁちょうどいい、昼間は見せてやれなかったからな。面白いもん見せてやる」
圧倒的な光に晒されながらも、師匠の纏う空気はどこまでも静かだった。
怯える弟子に向け、諭すように言葉を紡ぐ。
「悠真、よーく覚えとけ。不可能ってのはな、まだ誰もやり方を知らねぇってだけのことさ」
刹那、師匠の身体が沈み込み――勢いよく鉄パイプが振り上げられた。
まっすぐ天を衝くように伸ばされた鉄パイプ。その動きに合わせ、師匠は気の抜けた声で呟いた。
「はい、ぱっかーん」
――パキィン、と世界のひび割れるような音が響く。
次の瞬間、上空に浮かんでいた直径200mの巨大な太陽は、中心に走った一筋の不可視の線に沿って、綺麗に真っ二つに割れた。
巨大な光の塊は、轟音を立てて二人の左右へ落ちた。
地面に突き刺さった2つのトーチ。その切断面は、磨き上げた鏡のようだった。師匠と、尻をついたままの悠真の姿が、そこにくっきりと映っている。
やがて割れた太陽の残光は、粒子となって夜空に溶け、静かに消えていく。
「化け物め……」
男は乾いた声でそう一言だけ残すと、その場へ崩れ落ちた。
今度は、指先すら動かない。
「ったく、環境破壊してくれちゃって」
師匠は何事もなかったかのように鉄パイプを肩に担ぎ、倒れた男の方へとゆっくり歩いていく。
悠真もまだ現実感が戻らない足取りで、その背中を追いかけた。
「師匠、1つ気になることがあって」
「ん?」
師匠は歩きながら応じた。
「この人、戦ってるときはグーって握って降ってくる像を大きくして、パーにして初めてその像を落としてきてたんですよ」
悠真は先ほどの戦いを思い返し、疑問を口にする。
「それなのに、さっきみたいに一瞬で大きくできるなら、なんで最初からしなかったんだろうって」
「ああ、そりゃコストの後払いだな。昼に言った裏技の1つだ」
師匠はあっさりと答えた。
「別に難しくねぇが、できるって知ってるやつがそもそも少ねぇな」
師匠は男の目の前で立ち止まった。
「後払いは、先に能力を使う代わりに、後で支払う代償を決める技術だ。例えば、一定時間オーラが全くなくなるうえ、身動きもできなくなる、とかな」
「……でも、それっておかしいんじゃないですか? あのままだと、この人もトーチで死んじゃって、その後払いもできないんじゃ……」
師匠は悠真へ顔を向け、口元を緩めた。
「お、それに気づくか! ちゃんと分かってるじゃねぇか。だから、それだけを代償にしたんじゃ、自分を巻き込むあのトーチは出せねぇ。こいつは自分の命を支払うことにした」
悠真は倒れた男を見下ろした。師匠は、鉄パイプの先で男を示した。
「ただし、『トーチで自分も死んだ場合に限る』って条件をつけた。俺を殺せるなら自分も死んでいい。だが、防がれた場合に自分だけ死ぬのは御免ってわけだ」
「じゃあ、トーチを防いだ今は……」
「その場合の代わりの支払いも、先に用意してた。あのデカさまで育てるのに本来かかる時間、その間ずっとオーラが全くなくなる。それに加えて、身動き一つできなくなる。今の状態だな」
師匠は鉄パイプの曲がった先端を男のマントの襟元に引っ掛け、そのまま軽々と吊り上げた。
男の身体が宙に浮く。反応はない。
「気絶してるんじゃねぇ。意識はあるが、うめき声一つ出せない。代わりの支払いを用意してなけりゃ、トーチを斬られても命を取られてたな。ちゃっかり保険まで作りやがって」
「なるほど……」
「一般人でも無意識に多少のオーラ持ってるからな。敵の目の前はもちろん、こんな自然の中でオーラの無い状態で動けないなんてのは、仲間でもいなけりゃ自殺行為だ。昼の殺し屋たちの扱いを見て俺が殺さないと踏んだんだろうな」
師匠は鉄パイプの先にぶら下がった男へ視線を向け、冷たく言い放った。
「悪いがそれは、俺が相手した場合だけだ」
そう告げると、師匠は男から視線を外し、悠真へ向き直った。
「悠真、こいつどうする? 殺したいか?」
「こ、殺すって……」
「こいつはお前を殺す気できたのに加え、殺し屋だからな。放っておいてもまた他の人間も殺すだろうな」
悠真は鉄パイプの先にぶら下がる男を見た。
自分も師匠も、殺されるところだった。
それでも、今ここで殺してほしいとは思えなかった。
「……僕のわがままじゃないなら、殺すとかじゃなくて、警察に渡して、ちゃんと裁いてもらいたいです」
望んでいいのか分からず、悠真は師匠の返事を待った。
師匠は何も言わず、男を吊り下げたまま鉄パイプを肩に担いだ。
「とりあえずこいつ警察んとこ突き出してくるわ」
師匠は振り返らず、歩きながら悠真へ声をかけた。
「悠真、勝ったのはお前だよ。負けた後に自分ごと吹っ飛ばして終わりにしようなんざ、ズルだ。あれでお前の勝ちがなくなるわけじゃねぇ。気にすんな」
師匠は軽く片手を上げ、いつもの気楽な調子で付け加えた。
「もうこの街にゃ殺し屋いねぇから安心して寝ときな」
鉄パイプの先に男をぶら下げたまま、師匠は夜の闇へ消えていった。




