誘われていた
巨大な像――トーチが穿った深い穴を挟み、悠真とロッシュモンドベルは対峙していた。
夜の静寂を切り裂くように、仮面をつけた男が勝ち誇った声をあげる。
「もうわかっただろう、君では私に勝てない。最後の忠告だ、おとなしくその男の命を差し出しなさい」
男の視線は、少年の背後にあるテントへと向けられている。
そこには標的である「500億の男」が眠っている。
男は歪んだ優越感を隠そうともせず、言葉を重ねる。
「小さな子供ながら、私を相手にここまで戦ったんだ。十分だろう、あの男も死んだ後にあの世で褒めてくれるさ」
対する悠真は、肩で息をしながらも、その瞳から光を失っていなかった。
悠真は息を整え、わざと口元をつり上げた。
さっき、男は自分から解体屋の名を持ち出した。その名前を意識していることは、話しぶりから分かっていた。
「きっと解体屋って殺し屋なら、こんな小さな子供はもうとっくに死んでるでしょうね」
男の動きが一瞬、ピタリと固まった。
悠真は容赦なく追撃の言葉を投じる。
「あなたと違って。ナッツアーモンド……なんでしたっけ」
「ロッシュモンドベルだ!」
男は、周囲の空気を震わせるほどの怒号を上げた。
「……解体屋。殺し屋といえば解体屋だと誰もが口をそろえて言う。解体屋がそんなに偉いか! 私と奴とではそれほどに違うと言いたいのか!」
激情のままに両腕を振り回し、男は日頃の怨嗟を吐き出し続ける。
「昼の五人だってそうだ。別に解体屋クラスの殺し屋といわずに、ロッシュモンドベルクラスの殺し屋って言ったっていいじゃないか! 言葉の響きもそのほうが幾分か優れているだろう!」
男は両腕を広げた。自分の名を知らなかった悠真に、その実績まで叩きつけるように声を張る。
「私だってこれまで数々の大物を殺してきた! 解体屋と比べても遜色のないほどにな!」
マスクの奥から、荒い息が漏れた。それでも男は口を止めず、さらに言い募る。
「そもそも解体屋は同業者にも手をかけるというが、私には一度たりとも戦いを挑みに来たことはない!」
そこで一度、言葉が切れた。男は顎を上げ、自分にも言い聞かせるように叫んだ。
「それはなぜか! 奴は私を恐れている!」
男の叫びは、もはや狂気じみた自己暗示のようだった。
男はギラついた目でテントを指差す。
「解体屋が裏から姿を消した今、その500億の男を殺して私が新しい伝説になる!」
悠真は男の両手から目を離さず、構えを直した。
挑発は効いた。だが、これで攻撃が弱くなるわけではない。
「もう能力の条件はバレたんだ、カモフラージュは必要ない。全力で行かせてもらうよ」
男は焦りを隠すように、両手のひらを激しく開閉させ始めた。
(右手だけが条件じゃ無かったのか……!)
グーパー、グーパーと不気味なリズムが刻まれる。
それと連動するように、はるか上空の暗闇に数えきれないほどの光の塊――「トーチ」が出現しては落下を始め、星空を覆い尽くしていく。
(トーチの降るタイミングを教えたり、能力の説明も全部僕を舐めてたからじゃなかった。ずっと能力の発動条件から視線をそらしてたんだ)
悠真は頭上の気配に合わせて身をそらし、開閉を繰り返す男の手を見据えた。
(でも、他の情報を教えてまで隠そうとしたんだ。あの手の動きが、それだけ大事な条件なんだろう。きっと他のやり方はない。なら、手を見ていれば不意打ちは避けられる)
「さぁ、どうする! 足元はすでにトーチによってグズグズだ! まともに歩くことすらできないだろう!」
周囲は穴だらけだ。緩んだ土に、鋭いガラスの破片が散らばっている。
悠真は踏み込む場所を見定め、そこの土にオーラを通した。
灰が崩れないよう支えたときと同じだ。今度は、自分の体重を受けても崩れないように地面を補強する。
(空気を送って、煙を真っすぐにして、灰も支えて……ずっと一度にやってきたんだ。今は補強に集中できる)
周囲に広げたオーラは、考えなくても落下物の接近を捉えていた。
悠真は鋭く息を吐き、補強した足場へ踏み込む。足を取られない。
(――灰を落とさないようにするより、よっぽど簡単だ!)
悠真は穴の縁の土も補強して蹴ると、一足飛びに巨大な穴を飛び越え、男の懐へと一気に潜り込んだ。
「なにっ!」
仮面の奥で男の目が驚愕に見開かれる。
しかし、男はすぐに己の絶対的な防御壁を信じて口元を歪めた。
(だが、この少年にシェルターを破られなどしない……!)
男を覆う強固なマントの防御。
だが、悠真の狙いはその破壊ではなかった。
悠真はマントの表面を滑るように駆け上がると、そのまま男の頭の上によじ登り、ガチリとその場を陣取った。
「しまっ……!」
男は手を伸ばした。だが、腕が強固なマントと大きなマスクに阻まれ、頭上まで上がらない。
マスクは顔の前だけではなく、頭全体を包む形だった。悠真はその上で身を縮め、届かない位置に留まる。
(攻撃をしてこない……!)
「なにが目的だ! そこを降りろ!」
男の指が、悠真の足元へ届く前に止まる。
しかも、トーチは降ってこない。悠真は確信を得た。
(やっぱりだ! この人、自分にトーチを落とせない……!)
悠真は男の頭上で身を低く保ち、次にどう動くかをうかがった。
(このマントの防御に限界があるのか、トーチが特殊なのかは知らないけどどっちだっていい。自分にトーチが効かないなら、衝撃波で押し出さずにそのまま引き寄せて自分ごと狙えばいいのに、それをしなかった!)
男はふっと笑った。
「素晴らしい、確かに攻撃をされずに手の届かない範囲に居座られては、トーチを降らせることはできない」
その声には、まだ余裕があった。
「だが、それに気づいて実行したのは君が初めてではない。そして、それに対する解答も私は持ち合わせている」
男は自分の腹部を拳で叩いた。
ドン、という音とともに、周囲へ衝撃波が広がる。悠真が殴ったときより、はるかに弱い。
「私のマントはとっかかりが無いからね。私の手で叩くだけで出せる小さな衝撃波でも……」
――落とせる。
そう続けようとした男の言葉が止まった。
奇妙な違和感が男を襲う。
衣服は激しくなびいているのに、少年の身体は頭上から離れない。
マントをつかめない以上、落とせるはずだった。
男の頭上で、悠真は歯を食いしばっていた。
(僕には……師匠が最初に教えてくれた『空気の壁』がある!)
悠真は、自分と男の両方をちょうど包む大きさに、空気の壁を作っていた。
ドーム状の壁は、悠真の背中のすぐ後ろを覆っている。衝撃波が身体を押しても、その壁が受け止め、頭上から落とさせない。
防御に使っていた空気の壁が、今はこの場所に留まるための支えになっていた。
そして、もう1つの、より致命的な違和感が男を襲う。
(なんだ、息苦しい……? いや違う、空気が薄い!)
悠真は壁を保ちながら、口元のスリットへ意識を向けた。
(この人は慎重だ。あのレンズも、口元のスリットも、毒ガスや奇襲への対策なんだろう。なら、空気の出入り口はあそこだけのはずだ)
スリットを通る空気を、中から外への一方通行にする。
外からは入れず、マスクの中の空気を積極的に送り出す。
(――中の空気を、全部外へ出す!)
「がはっ……!?」
男は少年の真の目的に気が付き、血の気が引いた。窒息の恐怖が理性を塗りつぶす。
男は狂ったように腹部を叩く拳を加速させた。
「うおおおお! 落ちろ! 落ちろ! 落ちろ!」
「離れるかあああ!」
衝撃波のたびに、悠真の背中が空気の壁へ押し付けられた。
身体を挟まれる痛みに歯を食いしばる。それでも、壁も空気の流れも維持した。
男が息を吸おうとしても、スリットから空気は入ってこない。
息を吸っても満たされず、男の思考が鈍り始めた。
(おかしい。かみ合いすぎている……!)
脳裏をよぎるのは、この少年との戦闘の軌跡だ。
(空から降り注ぐトーチを華麗にかわし、荒れた地面をものともせずに歩き、衝撃波を受けても落とされず、マスクの中の空気を抜こうとしている。私に対する対策が徹底しすぎている……)
薄れゆく意識の中で、男はテントへ目を向けた。暗闇の中で、その影は静まり返っている。
(まさか、私は本当に誘われていたのか。あの男に……!)
戦慄が男を支配する。
だが、目の前の酸欠は一刻の猶予も許さない。
(どうする。トーチを降らせるか。いや、トーチはこの少年とともにシェルターを貫き、私まで死んでしまう……! かといってこのまま腹部への攻撃を続けても、この程度で発生する衝撃波ではこの少年を振り落とせない!)
拳がマントを打ち、また衝撃波が広がった。それでも、頭上の重みは消えない。
(まずい、空気がもうない……。意識が、遠のく……)
窒息への恐怖が、男の思考を追い詰めていく。
(馬鹿な、私は……、私は……!)
裏社会をのし上がってきた誇りが、消えかける意識の底で激しく火花を散らした。
「私はロッシュモンドベルだ!!」
男は腹部を叩くのをピタリと止め、両手のひらを激しく開閉させた。
女神像の形をしたトーチは、複雑な空気抵抗により落下の軌道を正確には読めない。
身体のすぐ脇を狙えば、逸れて自分を巻き込むかもしれなかった。
男は左手でマントを握り、その腕を身体から大きく前へ突き出した。
狙うのは、そこだ。
「左腕はくれてやる!」
――狂気。
上空から降り注いだトーチは、男の突き出した左腕をマントごと無慈悲に巻き込み、一瞬にしてその存在を消滅させた。
ジッ、と焼ける音がした。骨が焦げる嫌な臭いが立ち込める。
しかし、超高温の輻射熱によって切断面は瞬時に焼き固められ、血が一滴すら流れない。
(なっ、自分の腕を犠牲にしてシェルターに攻撃した……! まずい、大きいのが来る!)
悠真の肌に粟が立つ。
悠真は空気を排出する操作への集中を減らし、壁の維持へ力を回した。
ここでドームが壊れれば、頭上から弾き飛ばされる。
ありったけのオーラを込め、空気の壁を分厚く、強固にした。
ドオオォォォン!!
ひどく鈍く、そして鼓膜を破らんばかりの巨大な音が響き渡った。
最大威力の衝撃波。
その余波だけで、少し遠くのテントが吹き飛んだ。
布が剥がれても、師匠は元の場所に横たわったままだった。
(うぐっ! 押し出しが強すぎる……!)
凄まじい圧力が悠真を襲う。
(空気の壁に押し付けられて、つ、つぶれそうだ……!)
骨がきしむ音が頭の中で響く。
意識が飛びそうになるのを、悠真は奥歯が砕けんばかりに噛み締めて耐えた。
(だけど、この人も、もう限界なんだ……!)
壁を崩さない。頭上を離れない。
悠真は残した空気の流れを保ち、さらに背中へ力を込めた。
(離れてたまるかあああ!!)
少年の背中が自ら作った空気の壁に猛烈に押し付けられ、ミシミシと不穏な音を立てる。
――そして。
嵐のような衝撃波が唐突にやんだ。
男の仮面の奥から、絶望の混じった掠れた声が漏れる。
「この……私が……」
男は息を吸おうとした。だが、必要な空気は戻らない。
酸欠に耐えきれず、その身体が崩れ落ちた。




