ロッシュモンドベル
(間違いない……殺し屋だ)
悠真の背筋を、冷たい戦慄が駆け抜ける。
月明かりの下、男は身にまとったボロ布のようなマントの隙間から、不自然にしなびた腕を突き出した。
手袋をしていてもわかる細い指先が、まっすぐに少年を指し示す。
「いま、ゆるキャラみたいな可愛いやつが出てきたなーって思っただろ。失礼なやつだな」
(ぜ、全然思ってない……!)
突拍子もない言葉に、悠真は内心で激しく首を振った。
恐怖と困惑が混ざり合い、喉の奥がカラカラに渇く。
男はやれやれといった具合に、大げさに手のひらを上に向けて両腕を振った。
まるで舞台役者のような、芝居がかった動きだ。
「聞いたことないかな、ロッシュモンドベル。解体屋程ではないにしろ、裏では有名人なんだけどね」
(解体屋……! この前の闘技場に現れた人だ)
その名前を聞いて、悠真の脳裏にあのおぞましい光景がよみがえる。
だが、あの男が何者だったのかは、まだよく知らない。
悠真は足の震えを抑え、恐る恐る尋ねた。
「その解体屋って、どういう人なんですか」
男の動きがピタリと止まる。
少しの不気味な間の後、男は顔を覆うマスクの額に手を当て、狂ったように笑いだした。
「なぁ〜んだ! 解体屋も知らない無知なガキンチョだったかぁ! それならそうと最初から言ってくれたらいいのに……」
男は手袋越しにパチパチと手を叩き、深々《ふかぶか》とお辞儀をした。下げた顔のマスクだけが、悠真を向いている。
「改めて自己紹介するよ。おじちゃんはね、ロッシュモンドベル。君のお師匠さんを殺す男さ」
「っ……!」
悠真は思わず後ずさりをしそうになる。
だが、背後で眠る師匠の気配を感じ、ぐっと踏みとどまって言い返した。
「そうはさせませんよ。これ以上近づくなら、師匠を起こしますから!」
悠真はそう鋭く言い放つと、背後のテントへ今にも駆け出すかのように半身を引いた。
師匠を呼びに行くフリ――男の出方を探るための、咄嗟のブラフ。
同時に、いつでも男の突撃を迎え撃てるよう、全身の神経を研ぎ澄まして構える。
男は足を止め、マントから出した掌を悠真へ向けた。
その肩が、せせら笑うように揺れる。
「脅しは無駄だよ。できないんだろ、あの男は起きない」
男は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「君たちがこの街に入ったときからずっと観察していたんだ。500億の賞金をかけられてなお、それを思わせずに日常を過ごせている。それだけでただならぬ相手なのは分かっていたからね」
男の言葉には、確かな執念がにじんでいた。
「最初の違和感はホテルの夜だった。イビキがうるさいからとあの男の口にタオルを詰め込んだだろ。なぜそれほどの男が口にタオルを詰め込まれて目を覚まさないのか、甚だ疑問だったよ」
男は再び、自身の両の掌を見せつけるようにひらひらと動かした。
「おお〜っと。どうやって部屋の中を見ていたか、タネは明かさないよ」
悠真は男の位置と、テントまでの距離を交互に確かめた。
脅しは通じない。これ以上、近づかせるわけにはいかなかった。
「それからしばらくはテントの前をうろついたり、石を投げてみたりしたが反応はまるで無い。最初は誘われてるのかと思ったがね、昼間の戦いを見て確信したよ」
男は自身の頭を抱えるように、マスクの額に両手を当てて天を仰いだ。
「あの男は強すぎる! 強すぎるがあまり警戒心がないんだ!」
男は人差し指を立て、悠真へ向けた。
「野生で生きる動物は水を飲む瞬間に最大限の警戒をする。だがそれには例外がある。そこの頂点に君臨する動物だけは、誰もそいつを襲わないため警戒する必要が無い」
男はそこまで言うと、深くため息をつき、首をぐにゃりと不自然に横へ傾げた。
「きっと昼の連中じゃ寝ているだけのあの男を殺すことすらできないだろうね」
悠真は、男の独白を聞きながら、ずっと胸の内に渦巻く違和感を拭えずにいた。
(なんだ、まるで殺気を感じない……。動きもコミカルっていうか、大げさで……一体何なんだこの人……)
悠真の背に冷や汗が伝った。師匠を殺すと宣言しているのに、その気配がまるでつかめない。
男は自分の胸に一度手を当ててから、それを突き出すようにして手をギュッと握りしめた。
「だが私は違う」
パッと、握っていた手が大きく開かれる。
「私ならあの男を殺せる」
直後、周囲に広げたオーラの中へ、何かが飛び込んできた。
悠真は考えるより先に、弾かれたように身体を反らした。
その鼻先を、凄まじい速度の黄色い閃光が駆け抜ける。
ドゴォン!!
激しい衝撃音が響いた。
足元を見ると、地面に奇妙なものがめり込んでいた。
――精巧に作られた、女性の形をした金属の像。
数秒と経たずにその像は陽炎のように跡形もなく消滅したが、そこには硫黄にも似た、鼻を刺す強烈な臭いが立ち込めていた。
「いまの、偶然ってわけじゃないねぇ」
ロッシュモンドベルの声が、やけに低く響く。
悠真の頭の中を、最悪の仮定がよぎった。
(いま……、よけ、よけられなかったら……死んでた…………)
「可哀想に、本当に運のない子だ。中途半端な力を持たなければ、苦痛や恐怖を感じる間もなく死ねたというのに」
(師匠が言っていた。これが、一撃で『詰み』になる能力……!)
悠真は恐怖を噛み殺し、拳を構えた。
そこへ大量のオーラを集める。拳を包むオーラが、みるみる濃くなっていった。
(長引かせたら絶対にいけない……! 速攻で終わらせる!)
一瞬の爆発力で、悠真は男の懐へと鋭く飛び込んだ。
がら空きの腹部を狙い、全力を込めた拳を叩き込む――!
ガギィィン!!!
「か、硬いっ!」
岩のように硬い。それなのに、拳に痛みがない。
男はびくともせず、その周囲へ衝撃波が広がった。
逃げる間もなく、悠真の身体が押し返される。
「くっ……ああっ!」
目に見えない壁に押されたように、悠真は後方へ飛ばされ、地面を転がった。
(そんな……、ホーガンさんにも通用したのに。あのヒラヒラのマントが、まるで岩みたいに硬い)
砂埃の中で息を詰まらせる少年を、男は見下ろす。
「私は慎重な性格をしているからね、たまに勘違いされるんだ。戦闘のまるでできない、奇襲しか能のないやつだってね。――昼間の五人くらい、正面から戦ったとしてもだ、私ならまとめて殺せる!」
男は傲然と指を天に向けた。
「さぁ、よけた方がいいよ。次のトーチが降ってくる」
「っ!?」
悠真がハッと上空を見上げると、夜空の彼方に、またしても3つの禍々《まがまが》しい光が明滅していた。
本能が叫んでいる。今すぐによけなければ、肉体ごと消し飛ばされる。
悠真は死に物狂いで体勢を整えると、次の瞬間、高速で落下してきた像の群れを、紙一重のステップで躱し続けた。
落下してくる像を悠真は肉眼にとらえた。
美しい女性の像だ。台座だけが強い光を放っている。
落下の衝撃で、先にできた穴の縁が砕けた。薄い破片が地面を走り、悠真は足を引いて避ける。
(今度こそ……! マントがだめなら……!)
躱した勢いのまま、悠真は再び男へと肉薄する。
マントが防御の要なら、そこから出ている頭部――あの仮面なら通じるかもしれない。
悠真は跳躍し、男の仮面へ向けて拳を叩きつけた。
しかし、男は微動だにしない。
再びあの鈍い衝撃音が鳴り響き、悠真はまたしても不可視の衝撃波によって空中へ押し出された。
(まただ……。あれだけ強く殴ったのに、手が痛くない。衝撃波も痛くはないけど、すごい力で押し出される……!)
地面に着地し、ずるずると後退しながら悠真は歯を食いしばる。
「よく考えたね。マントに攻撃をしても意味がないとマスクを狙ったのは筋がいい」
男はトントンと、自分のマスクを指先で叩いた。
「だがあいにくながら、私のシェルターはマスクも対象だ」
悠真の拳では、マントにもマスクにも傷一つつけられない。
男は、最初に拳を受けた場所から動いていない。
(離れれば空から火の像、近づいても攻撃は通じなくて衝撃波で押し出される……! 強すぎる……!)
拳を握り直す。殴る場所を変えるだけでは、駄目なのだ。
(だけど絶対に、なにか手はある……!)
迫り来る死線の中、悠真はまたしても上空から超高温で降り注ぐ像の気配を察知し、敏感に身体を動かした。
だが、穴の脇へ踏み出した瞬間、緩んだ地面に足が沈んだ。
すぐ横で、ガラスのような薄い縁が月明かりを返している。
(うそ、足場が……っ!)
「しまっ――」
完全に体勢を崩しながらも、悠真はぐっと強引に身体をよじり、間一髪で頭上をかすめたトーチを泥臭く躱した。
頬が熱風で焼けるように熱い。
「ほう、今のを避けるか。だが気が付いたろ、小さな穴だと思って踏んだら大けがをする」
ロッシュモンドベルは、自慢の品を披露するように語り始めた。
「もともとはトーチの威力を底上げするために、台座から出る輻射熱を3mmの範囲に制限したんだ」
男は立てた人差し指と親指で、3mmほどの小さな隙間を作り、愛おしそうにそれを見つめた。
「その外でも、温められた空気で熱は感じる。だが、確実に仕留めるには台座を直接当てる必要がある。その代わり、人体を一瞬で蒸発させる温度まで高められた」
男はマスクの奥で喉を鳴らした。
悠真は呼吸を整えながら、男の動きと上空を警戒する。
「だがね、思わぬ副産物があったんだ。トーチが地面を穿つと、穴の内壁が厚さ3mmのガラス状になる。地中に薄いガラスの筒ができるわけだ」
男は、先ほどトーチが穿った穴を指した。
「近くへ次のトーチが落ちると、その衝撃で薄い壁が砕ける。鋭利な破片が辺りに飛び散るのさ。これがまた凄い切れ味なんだ」
悠真は自分の足元へ一瞬、目を落とした。
散らばった破片が月明かりを反射している。衣服の裾は、いつの間にか切り裂かれていた。
足に傷はない。だが、さっき踏んだ場所が少しずれていたら、薄い壁ごと踏み抜いていたかもしれない。
「破片を踏めば怪我は免れない。穴の周りの土も、熱せられたガラスから熱が伝わって緩くなる。さっき足を取られたのは、それだよ」
男の声が、愉悦に歪む。
「わかるかな、戦いが長引けば長引くほど君は不利になっていく。私の小さな世界が作られるわけだ」
悠真は荒い息を吐きながら、周囲の地面を見回した。
穴の周りは熱で緩み、割れたガラスが散らばっていた。
避ける場所を選ばなければ、次は足を取られるだけでは済まない。
(悔しいけど、師匠の言った通りだ。見た目で油断してる。僕なら勝てないと思って、能力のことまで喋ってる)
悠真は乱れた呼吸を必死に整えながら、熱気で歪む視界の向こうの男を睨み据えた。
(これだけの攻撃、僕一人ならなんとか避けきれる。だけど、もし師匠を狙われたらどうしようもない)
焦燥が募る。しかし、そこで悠真の思考が別の可能性に引っかかった。
(だけどなんでだろう。なんで最初から師匠を狙わない……、狙えない理由がある……?)
また夜空から6つの光が、異なる場所へ降り注ぐ。
悠真は穴の縁を避けて跳び、飛び散るガラスから足を引いた。
テントからは離れすぎない。男がそちらへ向かえば、すぐに間へ入れる距離を保つ。
一方、その様子を見る男のマスクの奥の目は、冷徹に光っていた。
(いい動きをする。いきなりあの男を狙わなくて正解だった。おそらくこのガキなら男を抱えたままでも直撃を免れるだろう)
男は冷静に戦況を計算していた。
(最悪のパターンは死なない程度に男にトーチが当たること。いくらあの男といえど、身体の一部が蒸発すればさすがに目を覚ます)
男は、師匠の眠るテントと、その前から離れようとしない悠真を交互に見た。
(昼の戦いぶりを見るに、おそらくあの男の攻撃はシェルターを貫通できる。そうなれば生身の私はおしまいだ)
ゾクリとした不快な想像に、男の背中に嫌な汗が流れた。
(シェルターを破壊されたとしても衝撃波は発生するが、それがあの男を前にしてなんになる)
男の結論は1つだった。
(ここはどうしても先に、このガキを殺さねばなるまい)
男は不意に、左手を優しく前に突き出して少年に呼び掛けた。
その一方で、右手はマントからギリギリ出た位置でぐっと強く握り締められている。
「坊や、話をしようじゃないか。参ったよ降参だ、このままでは私は君を殺せそうもなくてね」
男は左手のひらを上へ向けたまま、手首をくねくねと回し、大げさに肩をすくめてみせた。
いかにも「お手上げだ」と言わんばかりの芝居がかったジェスチャーだ。
(嘘だ。僕の攻撃は効かない。こっちは一発でも当たったら、それで終わりなのに)
「私はね、別に500億なんて金に興味はないんだ。私は実績が欲しいんだ、世界中の殺し屋が狙う500億の男を殺した実績がね」
男は左手の指を立て、悠真の目を引くようにひらひらと振った。
悠真は距離を保ったまま、上空にも気を配っていた。
「そこでだ、私があの男を殺したら500億のすべてを君に渡そう」
男は左手の親指と人差し指で輪っかを作り、少年に見せつけるように突き出した。
「みたところ、ずっとあの男と一緒に貧しい生活を強いられているのだろう」
男は左手で、師匠の眠るテントを示した。
「500億、それさえあれば君がこの前泊まったホテルにだって毎日泊まれる」
左手の掌が上を向く。賞金を差し出すような仕草だった。
「ギャンブルでもしなければ何回でも人生を遊んで暮らせる額だ。――もちろん、君だけじゃない」
男は声を柔らかくした。
「お母さんにも、何不自由ない暮らしをさせてあげられるね」
悠真は返事をしなかった。
握った拳を下げることもなく、ただ黙って男を見つめている。
男は小さく首を傾げた。
少し待っても返事がないと、マスクの奥で低く笑った。
「そうかそうか。やっぱり、自分のことだけじゃ決められないよね。優しい子だ」
男の左手が、悠真をなだめるようにゆっくりと上下する。
「難しく考えることはない。そこをどいてくれるだけでいいんだ。あとはおじちゃんに任せて、お母さんのところへ帰ればいい」
悠真は黙ったままだった。
その視線が、男の顔からわずかに下がっている。
「君も、お母さんに喜んでもらいたいだろう?」
男の左手が、せわしなく身振り手振りで動く。
だが、悠真が見ていたのは、そちらではなかった。
マントの端から出た右手。
それだけが、固く握られたまま動かない。
これまで足場と落下する像ばかり見ていた。
男の両手が、それぞれ何をしているかまでは気に留めていなかった。
ふと上空を見上げる。はるか高みに、1つの光。
先ほどまでのそれと同じ小さな光。だが、悠真の直感が、これまでのどれよりも凶悪な何かが来ると告げていた。
(あいつの右手が――!)
悠真が上空へ視線を移した瞬間を、男は見逃さなかった。
男は右手をパッと開いた。
「しまっ――!」
悠真は全神経を足に集中させ、全力で後ろへと飛び退いた。
瞬間。
悠真の目の前に、夜空を割るような巨大な閃光が突き刺さった。
ドズウウゥゥゥゥン!!!
凄まじい衝撃で、地面が波打ち、膨れ上がった。
悠真はその狂暴な風圧に煽られ、たまらず吹き飛ばされて尻餅をついた。
視界を覆う煙が引いていく。
そこに現れたのは、これまでのものとは一線を画す、高さ5mを超える女性の金属像だった。
地響きを立ててその巨大なトーチが消滅した跡には、底すら見えない巨大なクレーターが、ぽっかりと口を開けていた。
「バレてしまったか。観察力が優れているね」
男はクレーターの向こう側で、感心したように肩をすくめた。
「だけど坊や、強い能力にはバレなけりゃ強い能力と、バレても強い能力があることを知ったほうがいい」
もう逃げ場はないと言わんばかりの圧倒的な破壊の痕跡。
しかし、激しい風に髪を揺らされながら、尻をついたままの悠真は、男をまっすぐに見据えていた。
その瞳には、絶望ではなく、確かな光が宿っている。
(見つけた……。この人に、勝つ方法……!)




