夜と殺し屋
師匠が黒髪の青年に向けてゆっくり歩き始めた。
(なんだ……、一体なんの能力だ……! 時間停止、瞬間移動……、それとも時間を飛ばしているのか……?)
青年が冷や汗を流す中、気が付けば師匠はすれ違うように隣に立っていた。
「やっぱりそう思っちまうか」
(心が読めるのか……!)
「顔に出てんだよ」
青年は慌てて手で大きく振り払うが、その瞬間にはすでに師匠の姿は消えている。
「せっかくだ、面白いもん見せてやる」
少し離れた場所で、師匠が深く腰を落とした。
左手で鉄パイプを腰の位置に固定する。その手を鞘に見立てるように、右手は引き抜く側の端を握った。
刀を持っていたなら、そのまま抜き放つと分かる構えだった。
(抜刀……鉄パイプでか……!?)
構えの意味は分かる。だが、次の動きをどう防ぐか、何一つ思いつかない。
青年の視線は鉄パイプに釘付けになった。
(どうする……、何ができる……。無理だ……、勝てない、終わりだ……)
青年は目に光を失い、その場に立ったまま目を瞑り、うつむいた。
だが、いつまで経っても次の一撃はやってこない。
青年が恐る恐る目を開くと、すぐ目の前に鉄パイプの先端があった。
師匠はいつの間にか間合いを詰め、青年の顔に鉄パイプを突き付けていた。
「せっかく面白いもん見せてやろうと思ったのに、冷めちまっただろ」
師匠は呆れたように息を吐き、鉄パイプを下ろして悠真へ顔を向けた。
「対能力者で、相手の能力を決めつけるのはタブーだ。こいつはさっき、俺が消えたことに気づいた。そして他のやつらは気づかなかった。ちゃんとヒントはあっただろ」
鉄パイプの先で、青年を示す。
「時間を止めて移動しただけなら、動きが見えねぇのは全員同じだ。なのに、自分が何を見たかも忘れて、どうせ勝てねぇと諦めた。間違ったとしても仮説を立てて逆転の一手を打つなら、まだ評価できたがな」
青年は何も言えず、立ち尽くしていた。
「こいつは自分の能力すら使おうとしなかった。諦めは最悪の選択だ。0点だな」
師匠は鉄パイプの先端でコツンと青年の額を押した。
たったそれだけで、青年は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「はい、一本」
振り返れば、五人の殺し屋たちは誰も動かなかった。怪我一つないのに、気絶したように倒れたままでいる。
今すぐ逃げたい。それでも、師匠の言葉に逆らって立ち上がる者はいなかった。
かかった時間は、3分もしなかった。
「どうだ悠真! ちゃんとわかったかー?」
(え……、全然わかんない……!)
「わかんなかったら、もっかいやるがどうだー?」
この人なら本当に、倒れた殺し屋たちを立たせて無理やりにでも見せ直しかねない。そんな嫌な予感が、悠真の頭をよぎる。
「だ、大丈夫ですー!」
悠真が慌てて手を横に振ると、師匠は鉄パイプを肩に引っ掛けてからからと笑った。
「そうか。じゃ、俺らはここでまだ用事があるんだ。もう動いていいぞ、とっとと行きな」
許可が出た途端、殺し屋たちは身体を起こした。師匠の気が変わる前にと、言葉もなく森の奥へ去っていく。
それを見届け、師匠は悠真へ振り返った。
「どうだ? 能力者との戦いを初めて見た感想は」
悠真は目を輝かせて言った。
「かっこよかったです! 僕も能力ほしいです、師匠!」
師匠は露骨に顔をしかめた。
「ダメだ! だーからまだ見せたくなかったんだよ」
「なんでですか! かっこいいじゃないですか! 僕もあんな風にハンマーとか炎とか使いたいです!」
興奮する悠真を前に、師匠はわざとらしく大げさに息を吐き出す。
「悠真、さっきのやつらに共通して悪い点が1つある。何かわかるか?」
悠真はしばらく腕を組んで考えたのちに、師匠の顔を伺うようにしておずおずと答えた。
「……相手が悪かった?」
それを聞いた師匠は一瞬の間の後、額を手のひらでバシッと叩いた。
「あのなぁ、そういうことじゃなくてな」
師匠は悠真の前にしゃがみこみ、しっかりと目線を合わせた。
「さっきのやつらは、最後は自分の能力で殺すことしか考えてなかった」
「え、それのなにが……」
「能力でとどめを刺すのが悪いんじゃねぇ。そこにこだわって、他の勝ち方が見えなくなるのが悪いんだ。組むのも、騙すのも、全部自分の能力を当てるためだったろ」
悠真は、逃げるふりをしていた女を思い浮かべた。
「能力が通じなかったら、それでおしまいじゃ困る。持ってるもん全部使って勝つんだ」
「全部使って勝つ……」
「能力は一番の武器かもしれねぇが、あくまで武器の1つだ。別に能力で倒したからって、特典が貰えるわけでもねぇ」
師匠はひょいと立ち上がり、テントのほうへ歩き始めた。
「てことだ。お前が能力を作ってもそれにかまけないって俺が判断するまでは、お前の能力は無しだ」
師匠にバッサリと否定され、気分がどん底まで落ちてしまった悠真だったが、ふと、いまさらながらの疑問が湧いてきた。
「師匠!」
「なんだ、駄々捏ねても能力はダメだぞ」
「能力ってなんですか!?」
師匠はその場でふっと全身の力を抜き、両肩をだらりと垂らした。
「分からずに欲しいつってたのかよ。まあ、教える気ないから隠してたしな」
「隠してたんですか……」
「一般的に言やぁ、能力ってのはオーラを使う特殊な力ってわけだが……」
「だが……?」
「いや、普通はプログラムに例えて説明するんだが、お前にそんな説明しても分かるわけねぇしな」
師匠は頭をポリポリとかき、考え込みながら歩き始めた。
「癖……だな! あぁうん、癖だ癖!」
急に声のトーンを上げた師匠は、思い出したようにくるっと悠真のほうへ向き直った。
「能力をお前に向けて分かりやす〜く歪曲させるとだな、能力ってのは癖の積み重ねだ」
「歪曲って……」
「今そこはどうでもいい。そもそも、ちゃんと能力の仕組みについて理解できてるやつなんざ見たことねぇから気にすんな」
師匠は説明を続けた。
「いくつものオーラの動きを、ひとまとまりの癖にする。長い時間をかけて作っとけば、あとは必要な代償を払って、その流れを呼び出せる。毎回、一から操作しなくても済むわけだ。それが能力だと思っていい」
「それだけ……、それだけでさっきみたいな分身とか火の茨とかが作れるんですか?」
「ああ。もっとも、作るのは簡単じゃねぇ。何をどうすりゃ狙った動きになるか、分からねぇまま手探りで組み上げるやつが大半だ」
師匠は少し考えてから、ひらりと手を振った。
「まぁ、あとは裏技みたいなもんもあるんだが、今は気にしなくていいわ」
師匠はトンと悠真の胸に拳を押し当てた。
「お前の『空気の壁』だって、知らねぇやつには立派な能力に見えるだろうな。見た目だけで、能力か、その場のオーラ操作かなんて分かりゃしねぇ」
「……? ってことはもしかして、能力にしたほうが複雑なオーラ操作しなくてもいいってことじゃないですか? わざわざオーラの操作に拘らなくても――」
「まぁそう思うよな。だが、一度完成した能力はなかなか修正が利かねぇ。自分で作ったのに、どこをどう変えりゃいいか分からねぇんだ。染みついた癖を直すのが難しいのと似たようなもんだな」
師匠は、悠真が口を開くより先に続けた。
「それより、その場で柔軟に対応できるオーラ操作のほうがお前には向いてる」
「『なかなか』ってことは、頑張れば僕にも……」
「能力をその場でコロコロ修正できるのは限られた天才だけだ。お前は諦めろ」
悠真は面と向かって才能を否定され、しゅんと肩を落とした。
自分が天才ではないことくらい、悠真自身も理解している。
だがこれまでずっと修行についてきたんだから、少しくらい師匠に認めてほしい気持ちがあった。
悠真が言葉を探している間に、師匠は話を進めた。
「そもそも、オーラや能力の本質は『世界のルールを部分的に書き換えること』だ」
「えっ!? 話の内容全然違いましたよ!?」
「能力ってのは、それを決まった形で呼び出すためのものだ。だが、ルールを書き換える性質自体は、オーラそのものが持ってる」
「入らない! 話が全然入ってこないです! 癖の話はどこに行ったんですか!」
「技術と知識がありゃ、すべての能力をオーラの操作だけで再現できる」
「あー、なんか話のオチが読めてきました」
「そういうこと。引き続きオーラ操作の修行がんばれよ」
「あーうん。ですよね」
この日もいつものように、日が暮れるまで修行を続けた。
修行を終えると焚き火を囲んで師匠の作った食事を食べる。
今日の食事は魚の切り身がごろごろ入ったスープだ。
師匠は自分の器にスープを注ぐとぐびっと一気に飲み干した。
「いやぁ、疲れたときにゃ味濃いのが染みるねぇ」
「師匠でもやっぱりあの数を相手するのは疲れましたか?」
師匠は悠真の顔をじっと見つめると、自分の頭を指でトントンと叩いた。
「ここだよここ。お前にいろいろ説明するのに疲れたんだよ」
悠真は頬をぷっと膨らませ、師匠とは反対方向へと露骨に顔を背けた。
「すみませんね、頭良くなくって!」
悠真も自分の器にスープを注ぎ入れるとぐびっと口に入れた。
だが想像以上の濃い味付けにむせてしまう。
「うぅ、めちゃくちゃ塩辛いじゃないですか。師匠、ただでさえお酒飲むんですから身体壊しても知りませんよ?」
悠真は使い古したコップになみなみ入った水でのどにへばりつく塩味を洗い流す。
「お前こそそんなに水飲んで知らねぇからな。夜中にトイレ行きたくなっても起こすなよ」
「起こそうとしたって起きないじゃないですか」
悠真はスープの魚をつまみながら、何度も水を飲んだ。向かいでは、師匠が平然とおかわりしている。
食事を終えたころには、魚より水でお腹が膨れた気がした。
――眠りについてしばらくした時のこと。
「ん……、トイレ……」
悠真は目を覚まし、用を足すために外へ出た。
夜気はひんやりとしていた。雲に遮られた月明かりが、湖のほとりを薄く照らしている。
今夜は静かだ。連夜の物音は、昼の殺し屋たちの仕業だったのだろう。もう帰ったのだから、安心していい。
そう思っていた悠真の目に、動くものが映った。
湖の方角から黒い影が静かにこちらへ歩いてくる。
「可哀想に、運のない子だ」
雲の隙間から月が顔を出し、男の姿を照らした。
マントに覆われた身体は、丸みを帯びた山のようだった。どこか、デフォルメされたフクロウを思わせる。
のっぺりとしたマスクから、ゴーグルのようなレンズが突き出していた。口元に並ぶ縦のスリットは、作り物の笑顔に見える。
さっきの声も、そのマスクの奥からくぐもって響いていた。
その男から殺意は感じられない。だが、本能が悠真に告げている。
(殺し屋だ……!)
男は立ち止まり、マントから出した手で悠真の後ろを指した。
「坊や、そこをどいてはくれないかね」
悠真の背後には、師匠の眠るテントがある。
昼の師匠なら、こんな相手にも負けないだろう。だが、寝てしまえば、顔を叩いても起きない。
触れたらそれだけで終わる能力もあると、師匠は言っていた。
悠真はぐっと歯を食いしばり、その場で身構えた。
(今度は僕が……師匠を守る!)




