第8話 川越②
二度寝するには空が明るくなりはじめ、起きるにしてはヒマを持て余す明朝。
メモ帳にいろいろ書いて時間をつぶした。
朝食の時間が近くなり、わたしは物書きの手を止め、顔を上げた。
ホテルの窓から見える外の風景はまだ暗く、電力が足りないのか電灯の明かりすら無かった。
不夜リゾート地ハワイ視点だと閑静な住宅エリアにしか見えなかった。
チェックアウト後に戻らないから、いろいろと準備をする。
小机に置いた家族写真。
「ん、おはよう」
大事にバックへ入れる。
枕の下に隠していた折り畳みナイフ。
「使う日が来ないことを祈ります」
そう呟きながらポケットに入れる。
部屋のドアノブはレバータイプの取っ手だった。
そのレバー部分にバスタオルをぐるぐる巻きにしてあった。
取り外してバスタオルを元のバスタブに放り投げる。
さらにドアの前に置いたイスを部屋のもとの位置に戻す。
これらは暴漢対策。
昔、旅行に行ったときママに教わったことだ。
『よく覚えておくのよ。ホテルの部屋は安全を確保するまで安全じゃないの。ひとたび悪意ある人が入れば犯罪者にとって”安全に犯罪行為ができる場所”になってしまうの。だからこれから教えるとおりに身を守りなさい。そしてできれば――』
いい男を見つけてこんなことをしないで済むようにしなさい、と小言を言われた。
それに対してイライラしたのをよく覚えている。
日系人はアメリカンボーイにモテないんじゃい!
とにかく部屋の状態を元に戻した。
このホテルの朝食は――まあお察し下さい。
川越。
かつて小江戸川越と呼ばれた場所。
小江戸というのは江戸に次いで繫栄した江戸のような街から呼ばれるようになった。
古い時代から川越は近くを流れる荒川~入間川の水運が盛んで、物流の要だった。
交易品が川を越して来ることから川越と呼ばれていた。
もう一つ、入間川は氾濫しやすく、その後には山から流れてきた肥えた土が堆積するため、河肥える。
河肥えと呼ばれていたという。
どちらが正しいかわからないが、いつしか豪族たちが河肥氏と名乗ったため地名として定着していたのは確かだと言われている。
小江戸川越は旧日本国の小旅行先として人気があった。
東京から川越まで小一時間ほど。
それなりに見るところがあり、それでいて日帰りで十分楽しめる。
そんな川越を綴ったブログのデータがあった。
”――――――――
川越駅の東口から徒歩ですぐに川越の商店街がある。
その商店街はまっすぐ北へ長く長く続いている。
商店街の雰囲気は似た感じをまといながら次々と店が変わっていく。
まだ終わりが見えないのかと心細くなった頃に車が通る通りに出る。
そこから脇の車道をさらに進む。
すると昭和な雰囲気の、あるいは明治大正のような街並みが現れ、自分がどの時代を生きているのかわからなくなっていった。
そうこう思っていると急に江戸が現れるのだ。
小江戸川越。
想像の中の江戸の雰囲気の街並みの中を歩き、つい店の前で足を止める。
今日はココで一つお土産を買って帰ろう。
――――――――”
このデータはわたしの曾祖母のブログに書かれていた内容のコピーになる。
まさか100年越しにひ孫に読まれるとは思ってもいなかっただろう。
読んでいて当時の小江戸の雰囲気が何となくわかった気がした。
それとわたしのご先祖も旅行とか好きなんだろう。
それは孫とひ孫にも受け継がれていた。
さて、いまの川越に当時の面影はなかった。
川越駅東口を出てすぐ目の前。
そこには市場が広がっていた。
避難民への支援物資や禁制品。
売れるモノなら何でも。
買えるモノなら何でも。
手に入らないのはおいしい食材と連邦への片道切符ぐらいだ。
そのため小江戸川越とは言われず、今はこう呼ばれている。
闇市川越。
まさかのコロナ…………治ってきたので再開します。




