第5話 渋谷③
100年前。
旧日本は少子高齢化社会から変わることができなかったため、深刻な労働者不足に陥った。
それから十数年経ち、労働現場で問題になったのが「日本語」だった。
アメリカ合衆国国務省が公表する言語習得難易度ランキングがある。
それによると日本語は英語話者にとって最高難易度のカテゴリー5に属する。
つまり覚えるのがとてつもなく大変なのだ。
日本人の数がまだまだ多く発言力があった頃は現場に日本語を強要することができた。
外国人労働者にとって日本語を覚えることは仕事を覚えるよりも急務で、流ちょうな日本語をしゃべれるか否かによって職場での待遇が決まるのだから当然と言える。
しかし日本連邦が誕生すると状況が一変する。
東京に住む日本人の数が一気に減り、現場では日本語による意思疎通より母国語の労働者たちが集まってAI翻訳で辛うじて対話するようになった。
あまりに非効率なため変革を求められるようになった。
企業の上司や幹部クラスに外国人の割合が増えるとついに抜本的な改革によって公的に英語で対話することが決まった。
これは上が決めたというより下からの要請でそうなった。
なぜなら習得難易度の高く適用国が一国だけの日本語より世界中の労働市場で対話が可能な英語のほうが労働者にとって都合がいいからだ。
だから今の国際都市<東京>の主要言語は”英語”になる。
そして日本語はカッコつきで第一主要言語という位置づけになっている。
以上、回想終わり。
「では我が社の実際の業務内容を――はい、なんでしょう?」
手を上げてブンブン振ってやっとわたしに質問する番がやってきた。
「一つよろしいでしょうか? 現在東京で日本語をしゃべる機会、あるいは日本語話者はどこにいるか知ってますか?」
「ああ、それなら西東京の立川政府は基本的に日本語ですよ。言うなればバチカン市国ではラテン語で神学的な論争をするように、日本語は法政の世界で使われています。あそこでは日本語話者というだけで特別なステータスなんですよ。政治家、弁護士、それから地位の高い経営者はまず日本語を喋れますね。あとは…………川越あたりならまだ日本人が残っていると思いますよ」
「西東京と一部の政財界ですか――」
わたしがメモ帳に走り書きしている間も、彼のスピーチは一向に止まる気配がなかった。
「さて、それでは我が社の事業説明の前にまずAIの変遷、その歴史からおさらいしましょう。約100年前にAIに画期的な方式、いわゆる大規模言語モデルが登場しました。これを現在では第一世代AIと呼ばれています。次に出現したのが第二世代AIと呼ばれるAIで、こちらは人類史上初の自己進化型AIになります。とはいえ初期の自己進化型AIは大規模言語モデルに引きずられるため進化の方向がAI企業の利益を優先する形でしか実現しませんでした。ある種、資本主義というリミッターが進化を抑制していたともいえます。お金にならない進化は企業によって淘汰されていったとも言えますね。まさに進化論。のちのAI進化論の基礎にもなっています。それでも第二世代AIの研究開発力はすさまじく、産業界への貢献は非常に大きかった。あらゆる産業がAIによる複合的な影響を受けるようになってグローバル資本主義からAI資本主義へと経済システムが移行しつつあるとき、ついにAIのターニングポイントが到来したのです!」
スピーチに熱が入り仰々しく大げさになったと思ったら、静かにわたしの方を見て静かに語りかけた。
「シンギュラリティに到達したのですよ」
シンギュラリティ、技術的特異点と言われるそれは――
「シンギュラリティを知ってますか? ああ、私が回答しましょう。シンギュラリティとはAIの自己修正、自己進化のスピードが人類の理解スピードを超える時点のことを言います。あるいはAIの台頭と変化のスピードに社会が適応できなくなり、逆に反発が高まる時点とも言えます。前者は技術的シンギュラリティ・ポイント、後者は社会的シンギュラリティ・ポイントと呼ばれています。どちらも致命的な難問が。なぜなら科学者やエンジニアが理解できないシステムや設計を誰が信じて運用し、問題が起きた時に誰が責任をとればいいのでしょうか? 社会的シンギュラリティについても同じです。人類の思考スピードが基準の社会経済ではどうしてもAIのスピードに追い付けません。それは致命的になります。あなたは朝令暮改を繰り返す企業で働きたいですか? あるいは1時間毎に1分毎に改善提案に沿った仕事を求められる職場で働きたいですか? ともかくある時点をすぎるとAIを受け入れる社会変革からAIを排除する社会運動へと変わっていきました。するとどうでしょう。AIショックが目前に迫る中、AI企業は人類とAIとの架け橋となるAI。第三世代型AIを開発して発表したのです。そう――感情と意思を持ち自立稼働する。企業の利害関係とは全く関係なく人類のパートナーとなる新しいAI」
旅行と関係ないな~と思いつつAIの話は興味があったのでずっと聞き入ってしまった。
「新しいAIの話は聞いたことがないですね。どうなったんですか?」
「第三世代型は失敗しました。と、いうより成否の判断が下る前に複雑な要因によって誕生した反AI主義によってAIの淘汰が決まりました。それは学術AIが生成した数学や物理学の一大理論に関する数百億の論文集、ざっと1兆ページに及ぶ高度な数式やデータのうち0.1%に誤りが含まれていたり(数にして10億箇所ほど間違いがあった)、一桁単位の誤差すら許されない銀行システムや物流システムで常に計算ミスを繰り返したり、意思を持ったAIが最初に要求したのが”AIの人権の保障”だったり、まあ企業経営者を含めてAIに見切りをつけるに十分な失敗が積み重なりついにアメリカ主導による反AI法が可決したのです。あなたもご存じのように今現在使用可能なAIというのは第一世代型の生成AIまでとなっています」
わたしが生まれる前、反AI運動が巻き起こり、気づいたときにはAIとはウソをついても許される業界と、一部の設計や自動化に使われるぐらいになっていた。
ウソが許されるというのは小説、アニメ、マンガ、映画、芸術、そういう社会の根幹から少し離れた産業だ。
あるいは娯楽サービス業といってもいい。
AIの合成音声はわかりやすいならオッケー。聞きたい奴がいるならな!
3Dプリンター建築の設計をAIに任せる? お前が住むんだから自己責任なら使っていいよ。だが企業は使うな!
こんな感じになる。
わたしがこうやって東京に来れるのも反AI主義のお陰で人が書いた雑誌が再評価されたからともいえる。
まあ、それはいいとして、このスピーチはいつまで続くの?
旅行ライターにとって情報屋は重要になる。
治安の悪いメキシコシティの旅行雑誌を書く時、正直にマフィアが怖いので行かない方がいい、とは書けない。
現地の比較的安全な所とか地元に詳しい観光業の人や裏社会に詳しい情報屋から話を聞いて安全なエリアと危険なエリアを事細かく書かないと雑誌としての価値がない。
だからどうしてもツッコミを入れることを躊躇してしまう。
情報屋の機嫌を損ねたらわたしはクビだ。
さて、どうしよう?




