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64/70

投手戦

西東京大会、準決勝。


創部一年目の蒼凛学園が、甲子園まであと2勝のところまで来た。

相手は私立三笠高校。


試合前、両校の主将がホームベースの近くで向き合った。

蒼凛の側に立ったのは神代だった。

じゃんけんで決まった攻守は、蒼凛が後攻。


スコアボードに両校のスターティングメンバーが表示される。

蒼凛学園は、


一番ショート九条、二番セカンド白石、

三番ファースト神代、四番サード轟、

五番ライト御堂、六番キャッチャー朝倉、

七番センター鷹野、八番レフト橘。

そして九番、ピッチャー黒崎。

ベンチには水城と藤堂が入った。


準々決勝では背番号3の神代が9回を投げ切った。

だが今日は、背番号1の黒崎が最初からマウンドへ向かう。


黒崎はロージンバッグに触れると、ホームの朝倉を見る。

朝倉が軽く右手を上げた。

黒崎も頷く。

昨日まで何度も確認した。

無理に神代より速い球を投げる必要はない。

まず七回を投げ切る。

三笠から21個のアウトを取ればいい。

黒崎がボールを握った。

そして準決勝が始まった。


一回表。

三笠の一番打者が右打席へ入る。

初球を受けた朝倉は、返球しながらすぐに分かった。

球が走っている。

ブルペンでも悪くなかったが、試合に入ってさらに良くなっている。

黒崎はストレートで押し込み、最後は外角へ逃げるスライダーで先頭打者から空振り三振を奪った。

続く二番には低めを打たせる。

打球はセカンド正面へ転がり、白石が落ち着いて処理して二アウト。

三番打者には高めのストレートを打たせ、

鷹野がセンターで捕球した。

三者凡退。


黒崎は表情を変えずにベンチへ戻る。

朝倉が隣を歩きながら言った。

「今日の大雅、調子いいね」

「せやろ」

「自分で言うんだ」

「ええ時くらい言わせろや」

黒崎はベンチへ戻ると、そのまま水を取った。

神代が一度だけ黒崎を見る。

球速ではない。

ストレートの伸びも、スライダーの曲がりも、昨日よりいい。

何より、黒崎自身に余計な力が入っていなかった。


一回裏。

今度は蒼凛打線が秋月航平と対峙する。

先頭の九条は、打席へ入る前から三笠のエースを見ていた。

映像では何度も確認した。

ストレートと似た軌道から縦に落ちるスライダー。

それは分かっている。


だが実際に打席へ立つと、印象は少し違った。

「思ったより遅く見えないな」

初めて間近で見た縦スライダーは、

途中まで本当にストレートと区別がつきにくい。

九条は何球か粘ったものの、最後は低めへ鋭く沈む球にバットを出した。

空振り三振。


ベンチへ戻った九条が短く伝える。

「映像より落ちるのが遅い。かなり近くまで来てから落ちる感じ」

次の白石が頷いた。

「分かった」

ただし、それをそのまま答えにはしない。

白石は自分の目で秋月を見る。

最初の縦スライダーは見送った。

低め。

だがストライク。

その後に追い込まれてから、今度は同じような高さへ来た球に反応する。

その球はさらに下へ沈んだ。

白石のバットが空を切る。

二者連続三振。

三番、神代。


スタンドの反応が少し大きくなる。

準々決勝で帝明を相手に152km/hを記録し、12奪三振。さらに逆転3ランまで放った一年生。

一昨日の記事で名前が広がったこともあり、蒼凛側だけではなく三笠側のスタンドからも視線が集まっていた。


桜庭も身を乗り出す。

「怜司くん」

隣の篠宮がグラウンドを見る。

「一昨日の記事の後だから、前より見られてるね」

桜庭は周囲を少しだけ見回した。

「……別にいいけど?」

「何が?」

「何でもない」

千夏は二人の会話を聞きながら、打席へ視線を向けた。


神代は秋月の投球だけを見ている。

最初の打席で無理に結果を出す必要はない。

ストレートと縦のスライダー。

映像との違いを確認するだけでもいい。


秋月も神代に簡単な球は投げなかった。

神代は低めのスライダーを見送り、ストレートにはファウルで対応する。

最後はストライクゾーンから落ちる球へバットを合わせたが、少し先で捉えた打球はセンターへ高く上がった。

三アウト。

蒼凛も三者凡退。

一回を終えて0対0。


神代がベンチへ戻ると九条が聞いた。

「どうだった?」

「いい球だな」

「それ昨日も言ってたな」

「実際に見た方がさらに良い」

神代はバットを置く。

「落ち始めるのがかなり遅いからな」

白石が頷いた。

「俺もそう見えた」

「それと、スライダーだけ待つのも難しい」


秋月のストレート自体にも十分な力がある。

落ちる球ばかりを意識すれば、そのストレートに振り遅れる。

九条がグラウンドを見る。

「面倒だな」

「ああ」

神代は素直に認めた。


二回表。

三笠の四番が黒崎のストレートをセンター前へ弾き返した。

この試合、三笠の初安打。

無死一塁。


スタンドから歓声が上がったが、黒崎は走者を一度確認しただけだった。

朝倉もマウンドへは行かない。


五番打者にはストレートを見せた後、外角低めのスライダーで空振り三振。

続く六番には内角を詰まらせ、打球をショート正面へ転がさせた。

九条が捕球し、二塁の白石へ送る。

白石から一塁の神代へ。

ダブルプレー。

三アウト。

神代がボールを持ったままマウンドの黒崎を見ると、黒崎はすでにベンチへ歩き始めていた。

走者を出しても表情は変わらない。


二回裏。

先頭は四番の轟。

前日に何度も秋月の映像を見た。

落ちてから対応するのでは遅い。

そう考えて打席へ入った。

だが、分かることと打てることは同じではない。


秋月はストレートで轟の目線を上げてから、低めへ縦のスライダーを落とした。

轟は途中まで見極めようとした。

それでもバットが出る。

空振り三振。


轟は打席を離れながら、最後の球が落ちた場所を見る。

「やっぱり遅いな」

落ち始めるのが遅い。

自分が思っていた以上に、打者の近くまで来てから消える。

続く五番の御堂は、轟とは違う入り方をした。

スライダーを追いかけず、まずストレートへ合わせる。

秋月も簡単には同じ球を続けなかったが、

御堂は外寄りに来たストレートを逆らわず振り抜いた。

打球は三遊間を抜ける。

レフト前ヒット。

蒼凛の初安打。

一アウト一塁。


「ナイス、悠真!」

橘の声がベンチから飛ぶ。

御堂は一塁上で秋月を見る。

打てない投手ではない。

ただ、一球でも判断を間違えれば簡単に追い込まれる。


六番の朝倉も、そのことはすぐに分かった。

御堂が出塁しても秋月の投球は変わらない。走者を気にしながらストレートでカウントを整え、最後は低めの縦スライダーで朝倉から空振りを奪った。

二アウト。

続く鷹野も高めの球をライトへ打ち上げて三アウト。

御堂のヒットは得点には繋がらなかった。


三回表。

黒崎は下位打線を相手に、さらに調子を上げていた。

七番を外角のスライダーで空振り三振に取ると、八番はストレートを打たせてサードゴロ。

轟が正面で処理する。

九番打者にはストレートで追い込み、最後も力のある球で空振りを奪った。

三者凡退。


朝倉がベンチへ戻りながら黒崎に声をかける。

「スライダー、さっきよりいいよ」

「俺もそう思うわ」

「今日は素直だね」

「ええから次の回もそのまま構えろ」

「はいはい」

黒崎の表情には余裕がある。

力を抜いているわけではない。

抑えるために必要な力だけを使っている。


ベンチの水城もその投球を見ていた。

「本当に調子いいね、大雅」

神代が頷く。

「ああ」

「昨日の大雅なら、ここで球速聞いてそうだけど」

「今日は聞かないんじゃない?」

少し離れたところから黒崎の声が飛んでくる。

「おいそこ、聞こえとるぞ!」

水城が笑った。


三回裏。

八番の橘は秋月のストレートを打ってセカンドゴロ。

九番の黒崎は、自分の投球とは違って打席では完全に秋月に上回られた。

縦のスライダーにバットが空を切る。

空振り三振。


ベンチへ戻る黒崎に九条が言う。

「ピッチングに集中しといて」

「うるさいわ。次は打ったる」

「その前に俺な」

九条が打席へ入る。

一打席目よりも長く秋月の球を見ることはできた。

それでも最後は内角のストレートに差し込まれ、打球はショート正面へ転がった。

三アウト。

三回終了。

0対0。

三笠は黒崎から一点を取れない。

蒼凛も秋月から一点を取れない。

試合は予想以上の速さで進んでいった。


四回表。

打順は三笠の一番へ戻る。

黒崎は先頭打者に対して、この日初めて四球を与えた。

無死一塁。

三笠はすぐに動いた。


二番打者が送りバントを決め、一アウト二塁。

三番は低めのストレートを右方向へ転がし、その間に走者が三塁へ進んだ。

二アウト三塁。

この試合で初めて、三笠の走者が三塁まで到達した。


打席には四番。

二回には黒崎からセンター前ヒットを打っている。

三笠側の応援が大きくなる。


黒崎はマウンド上で一度だけ息を吐いた。

朝倉がサインを出す。

頷く。

ここで黒崎が選んだのは、力任せのストレートではなかった。

外角へストライクを取るスライダーを見せ、打者の意識を外へ向ける。

その後で内角へストレートを投げ込み、

最後はもう一度外へ逃げるスライダー。

四番打者のバットが空を切った。

空振り三振。

三アウト。


黒崎は三塁走者を残したままベンチへ戻ってくる。

水城がタオルを差し出した。

「危なかったね」

「点取られてへんやろ」

「まだね」

「最後まで取られへんわ」

黒崎はタオルで汗を拭く。

息も大きく乱れていない。

神代はその横顔を見る。

今日の黒崎は本当に調子がいい。


四回裏。

先頭の白石は秋月の縦スライダーを警戒しながら粘ったものの、最後は外角のストレートを打ってセカンドゴロに倒れた。

一アウト。

三番、神代。

これが二打席目。

秋月が神代を見る。

神代もマウンドを見る。

一打席目で球筋は確認した。

落ち方。

ストレートとの違い。

秋月がどの高さからスライダーを使ってくるのか。

全部ではない。

だが、一打席目より情報は増えている。


神代は低めの縦スライダーを見送った。

秋月も次は同じ球を使わない。

外角へストレート。

神代は逆らわず振り抜いた。


鋭い打球が三遊間を抜ける。


レフト前ヒット。

一アウト一塁。


蒼凛側のスタンドが大きく沸いた。

桜庭もすぐに立ち上がる。

「怜司くん打った!」

篠宮が笑う。

「さっきまで静かだったのに」

「打ったんだから喜ぶでしょ!」

千夏は神代ではなく秋月を見ていた。

打たれても表情がほとんど変わっていない。


一塁に神代を置き、打席には四番の轟。

前日の練習と同じ形。

神代が出た後を、自分が打つ。

轟は最初の打席で縦スライダーに三振している。

今度こそ打つ。

そう思っていた。

だが秋月も同じ攻めはしなかった。

スライダーを意識している轟へストレートを使い、最後に低めへ落とす。

轟は何とかバットへ当てたが、打球はサード正面へ転がった。

サードが捕球して二塁へ送る。

神代はフォースアウト。

二アウト一塁。

轟だけが一塁に残った。


「くそ」

小さく呟く。

一打席目よりは見えた。

それでも打ててはいない。

五番の御堂も打席へ入ったが、今度は秋月が縦スライダーを多く使った。

御堂は一打席目のヒットと同じストレートを待ったものの、最後まで甘い球は来ず、センターフライに倒れた。

三アウト。

神代がヒットを打っても、点にはならない。

四回終了。

0対0。


五回表。

黒崎は先頭の五番打者をライトフライに打ち取り、一アウトを取った。

だが続く六番が外角のストレートをセンター前へ運ぶ。

一アウト一塁。

七番にもスライダーを拾われ、打球はライト前へ落ちた。

御堂が素早く返球し、走者は二塁で止まる。

一アウト一、二塁。

四回に続いて、また得点圏へ走者を背負った。

三笠側の声が大きくなる。


朝倉がタイムを取った。

ゆっくりマウンドへ向かう。

黒崎は朝倉が来る前からボールを手の中で回していた。

「大雅」

「なんや?」

「どう?」

黒崎はすぐに答えた。

「めっちゃええ」

朝倉が少し笑う。

「じゃあ変えなくていいね」

「当たり前や」

「力入れすぎないでね」

「分かっとる」


朝倉はそれだけ確認してホームへ戻った。

黒崎は二塁走者を見る。

一打出れば、先制される可能性がある。

それでも投球を変える理由はなかった。


八番打者には、ストライクになるスライダーと高めのストレートを組み合わせ、最後は外角へ逃がした球で空振り三振。

二アウト。

九番打者にはストレートを押し込み、打球をセンターへ上げさせた。

鷹野が数歩前へ出て捕球。

三アウト。

また無失点。


黒崎がマウンドから戻る途中、神代が一塁から合流した。

「大雅」

「なんや?」

「調子いいな」

黒崎が笑う。

「見たら分かるやろ」

「分かるから言った」

「今日くらいちゃんと見とけ。お前よりええピッチングしたるから」

神代は少し考えた。

「今のところ、かなりいいと思う」

「なんやその採点するみたいな言い方」

「褒めてるけど」

「分かりにくいねん!」

黒崎は文句を言いながらも、表情は悪くなかった。


五回裏。

先頭の朝倉は秋月の縦スライダーに空振り三振。

鷹野は低めの球を打たされてファーストゴロに倒れた。

橘も粘ったが、最後はストライクゾーンから沈むスライダーへバットが出る。

空振り三振。

三者凡退。

秋月も崩れない。

五回終了。

スコアボードには、両校ともに0が並んでいた。


三笠高校 0 0 0 0 0

蒼凛学園 0 0 0 0 0


黒崎は5回無失点。

秋月も5回無失点。

投手戦は完全に両者のものになっていた。


六回表。

打順は三笠の一番へ戻る。

三巡目。

普通なら、打者の目も投手に慣れてくる頃だった。

だが黒崎の球威は落ちない。

一番打者を外角のストレートで空振り三振に取ると、二番にはスライダーを打たせてセカンドゴロ。

最後の三番も高めのストレートで押し込み、ライトフライに打ち取った。

三者凡退。

黒崎は六回まで三笠に得点を許していない。

被安打3。

四球1。

準決勝という舞台でも、背番号1は今大会で一番の投球を続けていた。


ベンチへ戻ってきた黒崎を榊原監督が見る。

「黒崎」

「はい」

「どうだ?」

「まだ全然いけます」

即答だった。

榊原監督は朝倉にも目を向ける。

朝倉も頷いた。

「球威は落ちてません。スライダーも今日が一番いいと思います」

「分かった」

榊原監督はそれ以上言わなかった。

当初は七回まで。

その後は水城。

だが、その予定をそのまま実行する必要があるのか。

判断するのは、もう少し先でもいい。


六回裏。

先頭は九番の黒崎。

黒崎は打席でも何とか出塁しようとしたが、秋月の縦スライダーを打たされてファーストゴロに倒れた。

一アウト。

九条が三打席目へ入る。

ここまで秋月に二度抑えられている。

縦スライダーには慣れてきた。

だが、慣れたことを秋月も分かっている。

九条は低めの球を見極め、粘った末にこの試合初めて四球を選んだ。

一アウト一塁。

蒼凛に久しぶりの走者が出る。

二番、白石。

秋月は九条の足も警戒している。

それでも投球を崩さない。

白石は外角のストレートを逆方向へ打ち返したが、打球はレフト正面へ上がった。

二アウト一塁。

三番、神代。

一打席目はセンターフライ。

二打席目はレフト前ヒット。


秋月からヒットを打っている打者が、三度目の打席へ入る。

九条が一塁にいる。

長打なら、一気に先制の可能性もある。


三笠側の内野手の動きが少し変わった。

秋月も神代を警戒している。

低めの縦スライダーには簡単に手を出さない。

神代はストレートをファウルにしながら、秋月の球を見続けた。

最後に来たのは、少し高めのストレートだった。


神代が振り抜く。


金属音が響く。


打球はセンター方向へ鋭く飛んだ。


蒼凛側のスタンドが立ち上がりかける。


だが、センターが前へ出た。

数歩移動して、正面で捕球する。

三アウト。

九条は一塁に残った。

また点が入らない。

神代は打席から秋月を見る。

秋月も一瞬だけ神代を見た。

六回終了。

0対0。

黒崎は三笠を抑えている。

秋月も蒼凛を抑えている。

神代がヒットを打っても。

御堂がヒットを打っても。

走者を出しても、ホームまでは届かない。

スコアボードには十二個の0が並んでいた。


七回表。

打順は三笠の四番へ戻る。

当初の予定なら、黒崎はこの回で終わりだった。

ベンチの端で水城が腰を上げる。

だが榊原監督は何も言わなかった。

水城はそのまま座り直す。


マウンドの黒崎は一度だけ三笠のベンチを見た。

相手も、ここが継投の入り口だと分かっている。

朝倉がサインを出す。

四番打者は初球から振ってきた。

だが振り遅れた打球は、セカンド後方への小さなフライになる。

白石が下がって捕球した。

一アウト。

五番にはスライダーを続けた。

外角低め。

バットが空を切る。

空振り三振。

二アウト。

六番打者だけは粘った。

ストレートをファウルにし、スライダーにも食らいついてくる。

黒崎は最後に、この日で一番強いストレートを内角へ投げ込んだ。

打者のバットが遅れる。

朝倉のミットが鳴った。

三アウト。

七回無失点。

被安打3、四球1のまま、黒崎は七回を投げ切った。


ベンチへ戻る黒崎を、榊原監督が見る。

だが、まだ何も言わなかった。

黒崎も何も聞かない。

まだまだ行ける気がしていた。


七回裏。

次に打席へ入るのは、四番からだった。

ベンチで轟がバットを手に取る。

ここまで二打席。

空振り三振。

サードゴロ。

どちらも、最後に意識させられたのは秋月の縦のスライダーだった。

轟はグラウンドへ視線を向ける。

前日に考えていたこと。

今日、二度打席に立って見えたこと。

その二つを頭の中で重ねる。

落ちてから打つのでは遅い。


なら――。


轟はバットを握り直した。


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