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起死回生

八回表。

先頭は九番、藤堂。

残された攻撃はあと二回。

スコアは0対2。


帝明の二年生右腕、真壁駿がマウンド上でボールを握っている。


藤堂は高めのストレートを見送り、外へ外れる球にも手を出さなかった。

途中で一球ファウルにしたものの、最後まで際どいところを追わずに四球を選ぶ。

無死一塁。


蒼凛側のスタンドから声が上がった。

一塁に立った藤堂が、ベンチへ向かって声を出す。

「まず一人、出ました」

黒崎がすぐに立ち上がる。

「岳、ナイス!」


そして一番、九条。

真壁は一塁を確認しながらも、武器のストレートで押してきた。

九条は速球に振り遅れず、変化球には手を出さない。

三打席目で宗方からヒットを打った時と同じだった。

全てを待たない。

代わりに自分が打てる場所を絞る。


内角寄りへ入ってきたストレートを九条が振り抜くと、打球は一、二塁間を破った。


ライト前ヒット。


藤堂が二塁へ進み、無死一、二塁。

三塁側の声がさらに大きくなる。

黒崎が身を乗り出した。

「一気に来たで!」

水城もグラウンドを見る。

「まだ点は入ってないけどね」

「なにゆうとんねん、こっからや!」


続くのは二番、白石。

帝明の内野から声が飛び、真壁も一度マウンドを外した。

無死一、二塁。


ベンチの榊原監督は動かなかった。

バントのサインは出ない。

白石の後ろには神代がいる。

一点を返すためではなく、この回で試合ごと引き寄せるための形だった。


真壁は簡単にはストライクを取りに来なかった。

白石も粘ったが、最後は高めのストレートに僅かに差し込まれる。

打球が一塁側へ高く上がった。

ファーストが前へ出て、そのまま捕球。

一アウト一、二塁。

走者は動けない。

白石がベンチへ戻りながら息を吐いた。

「ごめん」


そして神代が左打席へ向かった。

この試合は一打席目がセンターフライ。

二打席目にライト前ヒット。

三打席目はファーストゴロ。

投手としては、六回に自己最速となる152km/hを記録している。

だが今は、一点も取れていない打線の三番だった。


一アウト一、二塁。


スタンドでは桜庭が両手を握っている。

「怜司くん……」

篠宮も何も言わずに打席を見ていた。

千夏は帝明の選手へ視線を移す。


捕手がマウンドへ向かっていた。

真壁と短く話し、内野手も集まる。

二点差。

八回。


前年代表が、創部一年目の一年生相手に明確な警戒を見せている。


やがて守備陣が散った。

神代が構える。

真壁は外角の速球から入った。

しかし神代は動かない。

低めへ落とした変化球も見送り、

続く149km/hの高めだけをファウルにした。

真壁は捕手のサインを見て、一度首を振る。

もう一度。

三つ目で頷いた。


神代はそのやり取りを見ていた。


そして真壁が投げる。


内角寄りのストレート。


神代の右足が踏み込んだ。


バットが強く振り抜かれる。


金属音が球場全体に響き渡った。


「キンッ!」


打球は右中間へ高く伸びる。


ライトが下がる。


同じくセンターも走る。


二人が打球を追っていく。


だが、フェンスの手前で足を止めた。



白球はそのままスタンドへ飛び込んだ。


一瞬遅れて、三塁側が爆発したように沸いた。


神代は打球を確認してから走り出す。

そして藤堂がホームを踏む。

九条も続く。

最後に神代が帰ってくる。

3対2。

逆転3ラン。

七回まで一度も宗方と真壁から得点できなかった蒼凛が、八回に試合をひっくり返した。


黒崎がベンチの前まで飛び出す。

「ほんまに打ちよったで!」

水城も珍しく大きく笑っている。

「これで逆転したね」

「ようやくや!」


ホームへ戻った神代を九条が迎えた。

「投げて打って忙しいな」

「打席は普通に回ってくるだろ」

「そういう意味じゃない」

朝倉も神代の肩を叩く。

「ナイス」

「ああ」

黒崎が割って入る。

「怜司、もっと喜べや!」

「ちゃんと嬉しいけど?」

「全然見えへん!」

「じゃあどうすればいい?」

「もうええわ!」

ベンチに笑いが起きる。

それでも、まだ試合は終わっていない。


その後を真壁は轟をショートゴロ、朝倉を外野フライに打ち取った。

三アウト。

八回表終了。

3対2。

蒼凛が初めてリードした。


八回裏。

神代がマウンドへ向かう。

今度は一点を守る立場だった。


先頭は帝明の九番。

神代は大きなカーブを打たせ、セカンドゴロ。

白石が処理して一アウト。

一番打者は三回に先制の適時打を放っている。


六回に152km/hを見せて以降、帝明打線の待ち方も変わっていた。

速い球だけに合わせればチェンジアップに崩される。

変化球を意識しすぎればストレートに差し込まれる。


それでも一番打者は粘った。

神代の球を何球もファウルにし、最後は内角のストレートにバットが遅れる。

空振り三振。

この試合10個目。

二アウト。


二番打者は外角の球をセンター前へ運んだ。

二アウト一塁。


帝明側の応援が再び大きくなる。

迎えるわ三番打者。

そして同点の走者が一塁にいる。


神代は一塁を一度確認した。

打者にはカーブを外角へ見せ、チェンジアップでタイミングを外す。

何とかバットを合わせたが、打球はショート正面へ転がった。

九条が捕球し、一塁へ送球。

藤堂が受ける。

三アウト。

神代は逆転した直後の回を無失点で切り抜けた。


ベンチへ戻ると黒崎が待っている。

「あと一回やで!抑えきれ!」

「わかった」

「絶対抑えろよ?」

「そのつもり」

黒崎が頷いた。

「それでええねん」


九回表。

打順は六番の御堂から。

真壁も続投している。

御堂は速いストレートをセンター方向へ打ち返したが、センター正面。

鷹野も高めの速球を捉え切れずライトフライに倒れる。

二アウト。


八番、橘。

粘って何球か投げさせたものの、最後は外角の変化球をショートへ転がした。

三アウト。

追加点は入らない。


3対2のまま。

最後の守備へ向かう。

九人がそれぞれの守備位置へ散っていく。


初戦では数えるほどしかいなかった蒼凛の応援席。

今は多くの生徒が立ち上がっていた。

桜庭も。

篠宮も。

千夏も。

全員が同じマウンドを見ている。


九回裏。

打順は四番、香坂から。


ここで球場の空気が変わった。

二打席目には神代からホームラン。

六回の第三打席では、150km/h、152km/hのストレートを続けて見せられ、最後は突然落ちるスプリットで三振。

今日の神代を最も打った打者であり、神代の変化を最も間近で見てきた打者でもある。


香坂が打席へ入った。

朝倉がサインを出す。

神代は大きなカーブから入った。

香坂は見送る。


続く149km/hのストレートには遅れない。

鋭いファウルが三塁側へ飛んだ。

六回とは違う。

香坂も対応している。

チェンジアップにはバットを止め、低く落ちたスプリットも見送った。

朝倉がボールを返す。

やはり簡単には終わらない。


神代は僅かに間を取った。

次のストレートは外角。

香坂が振り抜く。


金属音が響いた。


打球がセンター後方へ伸びる。


鷹野が背走した。


蒼凛側の声が一瞬止まる。


鷹野はそのままフェンス方向へ向かい、数歩手前で足を止めた。


そしてグラブを上げる。


白球が収まった。


一アウト。

香坂は一塁へ向かいかけたところで止まり、僅かに空を見上げた。


あと少しだった。

打球の質だけなら、四回にレフトへ運んだ時と大きく変わらなかったはず。

だが今度は届かなかった。


続く五番打者。

神代はストレートを意識させながら、大きなカーブとチェンジアップで速度差を作った。

最後は低めのチェンジアップ。

バットが空を切る。

三振。

11個目。

二アウト。

あと一人。


帝明側の応援席から大きな声が飛ぶ。

三年生にとっては、負ければ最後の夏。

蒼凛側の声もさらに大きくなる。


六番打者が打席へ入った。

朝倉が構える。

神代は速球だけで押さなかった。

ストレートをファウルにさせ、大きなカーブを見せる。

チェンジアップを一球外しても、打者は食らいついてくる。

帝明の六番は何度もファウルにした。

終わらせない。

一本出れば、まだ終わらない。


神代は朝倉から返されたボールを握る。

二アウト。

一点差。

九回裏。

ここまで来ても、必要のないものまで使う理由はなかった。


朝倉のサインを見る。

頷く。

神代が投げた。


速球を意識していた打者の身体が先に動く。


ボールはそれより遅れてホームへ届いた。


チェンジアップ。


バットが空を切る。


朝倉のミットが鳴った。

空振り三振。

12個目。



「ゲームセット!」



球審の声が響いた。

一瞬だけ球場が静かになる。

次の瞬間、三塁側スタンドから大歓声が上がった。

神代はマウンド上で朝倉を見る。

朝倉が立ち上がる。

九条、白石、轟たちも集まってきた。


黒崎はベンチから勢いよく出ようとして、

榊原監督の声で止まる。

「黒崎。整列が先だ」

黒崎が止まった。

「……またや」

水城が笑う。

「初戦もやってたよね」

「今はええやろ!」


しばらくして神代もベンチへ戻ってくる。

黒崎が近づいた。

「怜司」

「何?」

「ナイスピッチや!」

神代が黒崎を見る。

「ありがとう」

黒崎が一瞬黙った。

「なんや普通に言えるやん」

「何が?」

「っ!なんでもないわ!」


両校の選手がグラウンドへ並ぶ。

蒼凛の先頭に立ったのは神代だった。

スコアボードには数字が残っていた。


蒼凛学園 0 0 0 0 0 0 0 3 0|3

帝明学園 0 0 1 1 0 0 0 0 0|2


選手たちが声を出す。


「ありがとうございました!」


一斉に声が重なり頭を下げる。


顔を上げると、帝明の選手たちはすぐには動かなかった。

宗方が帽子を深く被る。

六回まで蒼凛打線を無失点に抑えた三年生左腕。

その口元は強く結ばれていたが、頬には涙が流れていた。

一人は俯いたまま動かない。

一人は、隣の選手の肩へ顔を伏せている。


真壁はマウンド方向を見たまま立ち尽くしていた。

二年生、まだ来年がある。

それでも、今の三年生と戦える夏はもう戻ってこない。

七回に宗方を下げたのは、準決勝から先を見た判断だった。

その準決勝が、帝明にはもう来ない。


香坂は前を向いていた。

だが目は赤い。

去年、西東京を勝ち抜いて甲子園へ出た。

今年もそこへ行くつもりだった。

しかしここでその夏が終わった。


蒼凛の選手たちがベンチへ戻ろうとする。

神代も歩き出した。

「神代」

後ろから声がした。

振り返る。

香坂だった。

汗と涙が混じった顔のまま、神代の前まで来る。

少し離れたところでは、宗方たち三年生がまだグラウンドを見ていた。

香坂が言う。

「俺たちを倒したんだから」

一度言葉を止める。

「絶対、甲子園に行けよ」

神代は香坂を見る。

負けた直後だからこそ出た言葉なのだろう。

慰めでも、社交辞令でもない。

「もちろんです」

神代は答えた。

香坂が僅かに笑う。

「そこは『頑張る』とかじゃないんだな」

「行くつもりでここまで来ましたから」

「そうか」

香坂が右手を出す。

神代も握った。

「じゃあ、行ってこい!」

「はい」

手を離す。



香坂は帝明の選手たちのところへ戻っていった。

神代はその背中を少しだけ見ていた。

これまで、負けた相手のことを長く考えることはなかった。

勝者と敗者。

結果が残る。

ただそれだけだった。


だが今日は違った。

帝明の三年生は泣いている。

もう同じ仲間と、この夏を戦うことはできない。

神代はそれを目の前で見た。


朝倉が隣に来る。

「怜司」

「何?」

「どうしたの?」

神代は帝明のベンチを見る。

「負けたら終わりなんだなって思っただけ」

朝倉が少し笑った。

「今さら?」

「知ってはいた」

神代は少し間を置く。

「でも、実際に見るのとは違うな」

朝倉は何も言わなかった。

神代もそれ以上続けない。

スコアボードへ視線を戻す。


高校公式戦初登板。

9回2失点。

12奪三振。

自己最速152km/h。

そして打っては、八回に逆転3ラン。


数字だけなら、神代一人が試合を決めたようにも見える。


だが三点の前には藤堂が四球で出た。

九条が繋いだ。

守備では九人がアウトを積み重ねた。

そして帝明も、最後の一球まで試合を諦めなかった。


公式戦4勝。

甲子園まで、あと2勝。

創部一年目。

一年生十一人。


前年の西東京代表を倒し、蒼凛学園は準決勝へと駒を進めた。


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