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ギアチェンジ

四回表。

先頭は二番の白石。

0対1。

蒼凛はこの試合、まだ三塁を踏んでいない。


白石は宗方の初球を見送った。

続く内角のストレートを引っ張る。

だが打球はセカンド正面へ転がった。

一アウト。


三番、神代。

一打席目はセンターフライだった。

宗方は同じ攻め方を繰り返さない。

外角へ変化球を見せた後、内角へストレート。

神代はファウルにする。

続く低めの球には手を出さず、カウントが進んだ。

宗方が投げる。


神代が振り抜いた。


打球は一、二塁間を抜ける。


ライト前ヒット。


一アウト一塁。


蒼凛側のスタンドから声が上がった。

黒崎がベンチから身を乗り出す。

「よし、怜司走れ!」

神代が一塁から黒崎を見る。

「必要なら走る」

「積極的に次の塁狙わんかい!」

九条が笑う。

「返事してくれるだけいいだろ」


四番、轟。

宗方は一塁の神代を一度確認しただけで、

打者へ集中した。


轟は甘く入った球を強く叩く。

だが打球はセンターの正面へ飛んだ。

二アウト一塁。


五番の朝倉も低めの変化球を打ったが、セカンドゴロに終わった。

神代は二塁で封殺された。

三アウト。

蒼凛はまた得点できない。


神代がベンチへ戻る。

九条が聞いた。

「二打席目は見えた?」

「少し」

「攻略できそう?」

神代はマウンドの宗方を見る。

「同じ球を待つより、打つ場所を先に決めた方がいいかもな」

九条の表情が変わる。

「なるほど」

神代はそれ以上説明しなかった。


宗方は球種だけで打者を外しているわけではない。

内外、高低、速度差。

それらを組み合わせて打者の狙いそのものをずらしている。

なら、全てを追う必要はない。

九条はそれだけ受け取り、自分で考え始めた。


四回裏。

帝明は三番から。

神代は先頭をサードゴロに打ち取った。

一アウト。


そして四番、香坂。

二回の打席では神代の球に早い段階から対応していた打者だった。

朝倉がホームから香坂を見る。

さっきより構えに迷いがない。


初球のカーブは見送った。

ストライク。

二球目は外へ逃げるチェンジアップ。

香坂は途中まで追ったが、バットを止める。

ボール。

朝倉が返球する。


香坂は何かを待っている。

神代もそれを見ていた。

次のストレートは内角。

香坂が振った。

ファウル。

追い込んだ。


帝明側のスタンドから大きな応援が続く。

朝倉はもう一度サインを出した。

神代が投げる。

外角へ来たストレート。


香坂の踏み込みに迷いはなかった。


金属音が響いた。


打球が高く上がる。


レフトの橘がすぐに下がった。

一度、二度。

そのままフェンス際まで追う。


だが止まった。


そして打球は、その頭上を越えた。


ホームラン。


帝明側のスタンドが一気に沸いた。

0対2。

香坂がダイヤモンドを回る。


蒼凛の応援席では、さっきまで続いていた声が小さくなった。

桜庭が呆然とグラウンドを見る。

「ホームラン……」

篠宮も驚いたようにスコアボードを見る。

「二点差になっちゃった」

千夏は神代を見る。


マウンド上の神代は、打球がスタンドへ入ったところまで確認すると、朝倉から新しいボールを受け取った。

ただそれだけだった。

朝倉もすぐにホームへ戻る。

まだ四回。

二点差。


そして今の一球は失投ではない。

外角へ投げ切っていた。

それを香坂が運んだ。

前年代表校の四番。

帝明の打線が西東京でもトップクラスと言われる理由が、この一打で分かる。


黒崎がベンチで唇を噛んだ。

「ええ打者やな」

水城が横を見る。

「素直に認めるんだ」

「打ったもんはしゃあないやろ」

それでも黒崎の視線は、香坂ではなく神代へ向いていた。

マウンド上の神代に変化はない。


続く五番をチェンジアップで空振り三振。

六番はライトフライに打ち取り、四回裏を終えた。


神代はベンチへ戻ると、水を飲んだ。

黒崎が聞く。

「変えへんの?」

神代が見る。

「何を?」

「投げ方や」

「少しは変えてる」

「そういう意味ちゃうねんけどな」

黒崎はそれ以上言わなかった。

自分でも、何を聞きたいのか完全には言葉にできていない。


五回表。

先頭の御堂が左打席へ入る。

宗方の投球は四回までと変わらなかった。

変化球を多く見せた後でストレートを使う。

御堂はライトフライに打ち取られた。

一アウト。


鷹野は外角の球をセンター前へ弾き返した。

鷹野はこの日二本目。

一アウト一塁。

橘の打席で鷹野がスタートを切るそぶりを見せる。

だが帝明バッテリーも警戒していた。

牽制を挟み、橘には低めを集める。

橘の打球はショートゴロ。

二塁へ送球。

アウト。

一塁への転送は間に合わず、二アウト一塁となった。


九番、藤堂。

宗方は藤堂にも丁寧だった。

外角を使い、最後は緩い変化球でタイミングを外す。

セカンドゴロ。

三アウト。

五回まで、蒼凛は無得点。


ベンチへ戻った鷹野がヘルメットを外す。

「打てない感じはしないんだけどな」

御堂が頷く。

「でも続かないよな」

九条も宗方を見る。

「一人出ても、その次で変えてくる感じだな」

神代は三人の会話を聞いていた。

そこに答えを加える必要はなかった。

皆、もう分かっている。

問題は分かった上で、実際に打てるかどうかだった。


五回裏。

先頭は帝明の七番。

神代は初球からカーブを使わなかった。

内角のストレートで詰まらせる。

ファーストゴロ。

藤堂が自らベースを踏んで一アウト。


八番にはチェンジアップを二球続けた。

二球目にバットが出るが、打球は浅いセンターフライ。

二アウト。


九番打者は粘った。

ストレートをファウルにし、カーブにも食らいつく。

神代は最後に低めへ球を集めた。

打者が振る。

空振り三振。

三アウト。


五回終了。

神代はここまで6奪三振、2失点。

スコアは0対2。

帝明がリードしたまま、試合は後半へ入った。


六回表。

打順は一番の九条から。

九条は最初の二打席で宗方にタイミングを外されている。

だから今度は広く待たなかった。

内角。

そこだけを意識する。


宗方の球が入ってくる。


九条が振り抜いた打球は二遊間を破る。


センター前ヒット。


無死一塁。


九条が一塁上で小さく拳を握る。

「よし」

二番、白石。

宗方は一塁を気にしながら投げる。

白石は外角へ来た球を逆らわず三塁側へ転がした。

サードが前へ出て処理する。

二塁へ送球。

九条はアウト。

そのまま一塁へ転送されたが、白石はギリギリで駆け抜けた。

一アウト一塁。

三番、神代。


帝明の内野が僅かに動く。

神代は一打席目がセンターフライ、

二打席目がライト前ヒット。


宗方は簡単には勝負してこなかった。

外角へ二球。

神代はどちらも見送る。


続く内角の球を神代が振る。

強い打球。

だがファースト正面だった。

ファーストが捕球してベースを踏む。

その間に白石は二塁へ進んだ。

二アウト二塁。


四番、轟。

一本出れば一点差。


轟は初球から振った。


大きな打球が左中間へ伸びる。


蒼凛側のスタンドが立ち上がる。



だがセンターが追いついた。

三アウト。

また一点が遠い。


六回裏。

打順は帝明の一番へ戻る。

ここから三巡目。


朝倉はマスク越しに打者を見る。

ここまでの二巡で、帝明は神代のカーブとチェンジアップをかなり見ている。

初回ほど簡単にはタイミングを外せない。


先頭打者は外角の球をセンター前へ弾き返した。

無死一塁。


続く二番も、ストレートを右方向へ運ぶ。

ライト前ヒット。

無死一、二塁。


帝明側の応援席が一気に大きくなる。

黒崎が立ち上がった。

「まずいやんけ」

水城も無言でグラウンドを見る。


続く三番打者。

朝倉が一度マウンドを見る。

神代はいつもと同じ表情だった。


三番には低めを打たせた。

セカンド方向への弱いゴロ。

白石が捕球し、一塁へ送る。

アウト。

その間に走者はそれぞれ進んだ。

一アウト二、三塁。

一点入れば0対3。

長打なら試合が大きく動く。


そして打席には四番、香坂。

前の打席でホームランを打っている。


スタンドから、この日一番大きな歓声が上がった。


朝倉が立ち上がり、マウンドへ向かう。

「怜司」

「何?」

「どうする?」


神代は二、三塁の走者を一度だけ見る。

その後、香坂へ視線を戻した。

「ここは取る」

朝倉が少しだけ笑った。

「分かった」

それだけ確認してホームへ戻る。


黒崎がベンチの前まで出ていた。

「今なんて言うた?」

水城が答える。

「さすがに聞こえないよ」

「なんか変わるんちゃうか?」

朝倉が座る。

香坂が構える。


その初球。


神代が投げた。


香坂のバットが遅れてファウルになる。


その瞬間、球場がざわめく。

スコアボードの球速表示が切り替わった。


150km/h。


黒崎の目が変わる。

「やっぱりや」

香坂も一度だけ表示を見る。


二球目。

朝倉は外角高めへミットを構えた。

神代の右腕が振られる。

白球が一直線にミットへ向かった。


香坂が振る。

だが、今度も僅かに遅れた。

ファウル。


表示された数字を見て、球場のざわめきがさらに大きくなる。


152km/h。


黒崎が思わず立ち上がった。

「は?」

水城も目を見開く。

入学時に神代が記録した151.3km/h。

それを公式戦のマウンドで上回った。


桜庭は表示とマウンドを交互に見る。

「152キロ?」

篠宮も驚いている。

「高校一年生で?」

千夏は何も答えなかった。


香坂は打席の中で神代を見る。

たった二球で追い込まれた。

さっきまでとは明らかに違う。

同じ投手。

同じフォーム。

それなのに、ボールが来るまでの時間が明らかに短い。


朝倉がサインを出した。

神代が頷く。

三球目。

香坂は速い球に合わせて始動した。


神代の腕から放たれた球は、途中までストレートとほとんど同じ軌道を通る。


それに合わせて香坂が振る。


その直前。


ボールが消えた。


急激に落ちた球を、バットが空振りする。


朝倉のミットが低い位置で鳴った。


空振り三振。

二アウト二、三塁。


香坂は打席から動かなかった。

一瞬だけ朝倉のミットを見る。


「……今の何だ?」


神代はすでに次の打者を見ていた。

ベンチでは水城が小さく言った。

「スプリット、使ったね」

「使う気なかったやろ、あれ」

黒崎が答える。

二人とも、その球があること自体は知っている。

知らなかったのは帝明だった。


打席を外した香坂がベンチへ戻る。

帝明の捕手が横に来た。

「どうだった?」

「ストレートと同じところから来た」

「スプリットだろ?」

「ああ、途中まで区別がつかない」

香坂が首を振る。

「あれと152キロのストレートを両方持ってるなら、待ち方を全部変えないと届かない」


帝明ベンチの空気が変わった。

記事にも、映像にも、その球はなかった。

二巡目まで一度も投げていない。

一年生の初先発で、ここまで出さずに置いていた球だった。


続く五番打者が打席へ向かう。

帝明の三年生たちが、初めて短く言葉を交わしている。

だが神代は、続く打者に152km/hを投げなかった。


初球は大きなカーブ。

打者の身体が前へ出る。

次に内角を突き、最後はチェンジアップを打たせた。

打球はショートへ転がる。

九条が捕球し、一塁の藤堂へ送った。

三アウト。

追加点は与えなかった。


神代がベンチへ戻る。

黒崎がすぐに近づく。

「怜司」

「何?」

「152キロ出たぞ」

「ああ」

「『ああ』ちゃうやろ! 自己ベストやんけ!」

「そうだな」

「もっと喜べや!」

神代はタオルを取った。

「まだ負けてるけど?」

黒崎が止まる。

スコアボードを見る。

0対2。

確かに、その通りだった。


七回表。

帝明のベンチが動いた。

六回まで蒼凛打線を無失点に抑えていた宗方が、マウンドへ向かわない。

代わって出てきたのは右投手。


二年生の『真壁駿』


投球練習の一球目から、これまでとは明らかに音が違った。


球速表示は146km/h。


次が148km/h。


黒崎がマウンドを見る。

「次もおるんか」

榊原監督が腕を組む。

「それが帝明だ」

一度言葉を切る。

「ここでエースを下ろすってことは、準決勝、決勝まで見て動いてるってことだろうな」

三年生左腕の宗方が六回無失点。

そして今度は、球速を武器にする二年生右腕。

まるで違うタイプが出てきた。


先頭は五番、朝倉。

速いストレートをファウルにした後、外角の変化球を打たされてライトフライ。

一アウト。

六番、御堂。

高めのストレートを見送り、次の球をセンター前へ弾き返した。

一アウト一塁。

鷹野が打席へ入る。

真壁は走者を気にせず、強いストレートを続けた。

鷹野も食らいついたが、最後は高めを打ち上げてセンターフライ。

二アウト一塁。


八番、橘。

初球から速い球で押してきた。

橘はファウルで粘ったものの、最後は低めの変化球を打ってショートゴロ。

三アウト。

蒼凛は七回も無得点。

0対2。


七回裏。

神代は再びマウンドへ上がった。

先ほどの152km/hで、球場の見方は変わっている。

それは帝明の打者も同じだった。


先頭の六番打者はストレートを警戒していた。

神代が投げたのは初球からチェンジアップ。

タイミングを外され、ファーストゴロ。

一アウト。

七番にはカーブを続けた後、内角のストレートで空振り三振。

八番打者も粘ったが、最後は外角低めへ沈む球にバットが空を切った。

三振。

三アウト。


七回終了。

神代は2失点のまま。

ここまで奪三振は9。

だが蒼凛もまだ一点も取れていない。

スコアボードには、0対2の数字が残っている。


八回表。

先頭は九番、藤堂。

その後ろには九条、白石。

そして三番には神代がいる。


残された攻撃は、あと二回。

前年代表の背中は、まだ二点先にあった。


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