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選ばれた理由

水城はすぐには答えなかった。

神代の言葉を確かめるように、わずかに目を細める。

球速なら何度も測った。

数字なら自分が一番よく知っている。

だが――そんなことを言われたのは初めてだった。

神代は水城の反応を見たまま、続ける。

「言われたことないか?」

「……ない」

「お前は打者から見て腕が見えづらいんだ」

神代は自分の身体を使って説明する。

「テイクバックで左腕が身体の後ろに隠れる。打者からボールが見える時間が短い」

朝倉も言う。

「俺はキャッチャーなんだけど、スタンドから見ても怜司と同じことを感じたよ」

水城が朝倉を見る。

「本当に?」

「ああ」

神代が続ける。

「それと投球間隔だな」

「え、投球間隔?」

「セットしてから投げるまで、毎回違う」

「……俺そんなことしてる?」

「無意識なのか?」

「たぶん」

神代の目がわずかに変わる。

「ならもっといい」

「なんで?」

「感覚でできてるからだ」

神代は水城の資料を取り出した。

「お前、体重64キロか?」

「なんで知ってるの!?……でもたぶんそのくらい」

「まだ軽いな」

「同じことよく言われる」

「なら高校で増やすか」

「ちょっと待って、勝手に決めないでよ」

「ちなみに体重を75キロくらいにするつもりだ」

「11キロも増やすの!?」

「三年間でな」

「いや、そういう問題じゃなくて」

九条が笑っている。

朝倉はもう慣れていた。

神代は構わず続ける。

「下半身を強くする。股関節も硬い。フォームは大きく変えない方がいい」

水城が思わず聞く。

「なんで?」

「今のフォーム自体が武器だから」

その一言で水城が黙った。

これまで水城は何度か高校野球関係者から声をかけられたことがある。

しかし評価はどれも似ていた。

左投手で身長がある。

それに将来性もある。

だからもっと球速が欲しい。

身体を作った方がいい。

フォームも改善した方がいい。

でも目の前の少年だけが違う観点で見ている。

今の自分に、すでに武器があると言ってくれた。

水城が聞く。

「神代って投手なのかな?」

「ああ」

「どのくらい投げるの?」

「150キロくらい」

水城が固まる。

「……それほんとに中学生なの?」

「ああ」

「嘘でしょ」

九条が言う。

「残念ながら本当」

水城は神代を見る。

「じゃあ俺、いらなくない?」

神代が眉をひそめる。

「なんでそうなる?」

「だって、神代が投げればいいじゃん」

「俺一人で三年間全部投げろと言うのか?」

「いやそれは……」

「それに」

神代は言った。

「俺が投げなくても勝てる試合で、俺が投げる意味がない」

何を言っているのか水城には理解できなかった。

「……変な考え方するんだね」

「そうか?」

「普通、エースなら投げたいんじゃない?」

神代は少し考えた。

「別に、俺はそう思わない」

「じゃあ投げるの好きじゃないの?」

「どちらかといえば好きだよ」

「じゃあなんで?」

神代は当然のように答えた。

「俺が投げるより、お前が投げた方がお前が成長するからだ」

水城は黙った。

しかし神代にとっては、ただそれだけの話だった。

「一回だけでいい」

神代が言った。

「お前の球を受けさせてくれないか」

水城が首を傾げる。

「今?」

「ああ」

神代が朝倉を見る。

朝倉はため息をついた。

「やっぱり俺の出番あるんじゃん」

「そのために連れてきたからな」

「幼馴染をブルペン捕手みたいに言うな」


球場近くのブルペン。

日が傾いて、土の色が濃くなっていた。

朝倉が防具をつける。

水城はマウンドへ。

試合後なので全力投球はさせない。

軽く数球だけ。

神代は朝倉の真後ろから水城の投球を観察する。

一球目。腕がどこから出てきたのか、朝倉には見えなかった。

パンッ。革の鳴る音が、ブルペンの壁に一度跳ね返る。

ミットの中で、手のひらが痺れていた。

水城が聞く。

「どうかな?」

朝倉は答えない。

指を一度、握って開いた。

二球目。パンッ。三球目。少し高め。パンッ。

音が、三球とも同じ場所で鳴っている。

朝倉が立ち上がった。

防具の下で、背中に汗が伝っていた。

神代を見る。

「怜司」

「何?」

「お前の言ってた通りだ」

「何が?」

朝倉は水城を見る。そして言った。

「これ、打席だと130キロ台後半に感じるぞ」

水城が目を丸くする。

「そんなに?」

神代は満足そうに頷いた。

「やっぱり」

水城が聞く。

「やっぱりって?」

「俺の予想が合ってたってこと」

「俺じゃなくて自分の心配?」

「まあ両方かもな」

「ほんとに変な人だなあ」

一部始終を見ていた九条が壁にもたれながら言う。

「それ、今日何回目だよ?」


ブルペンを出た神代が蒼凛学園の資料を水城に渡した。

「とりあえず考えてみてくれ」

「今決めなくてもいいの?」

「ああ」

「強く勧誘しないんだね」

「俺が決めることじゃないからな」

水城は資料を見る。

「一個だけ聞いてもいい?」

「何だ?」

「本当に俺が全国トップクラスの投手になると思ってる?」

「もちろんだ」

「どのくらい?」

神代は水城を見る。

「三年で最速148キロから151キロを目指す」

水城が笑う。

「言ってること無茶苦茶だね」

「そうか?」

「今全力で投げても128キロだよ」

「知ってる」

「20キロ以上も違うじゃん」

「だから?」

水城は神代を見つめる。

冗談ではない。本気でそう思っている。

「もしならなかったら?」

神代は少し考えた。

「俺の予測が間違ってたことになるな」

「それだけ?」

「ああ」

水城がまた笑う。

「相当自信あるんだね」

「かなりな」

神代は背を向ける。そして数歩歩いてから止まった。

「水城」

「何?」

神代は振り返る。

「普通の高校野球がしたいなら、蒼凛には来ない方がいい」

「……?」

「でも」

神代は水城を見る。

「自分がどこまで行けるのか知りたいなら、来い」

それだけ言って歩き出した。

朝倉と九条も続く。

水城はその場に残った。

手には、聞いたこともない新設高校のパンフレットが残った。


その夜。水城は自宅で自分の投球動画を見ていた。

何度も巻き戻す。再生。停止。再生。停止を繰り返す。

神代に言われたところを見る。

確かに左腕が身体の後ろに隠れている。

次。セットポジション。投げる。

次の球。少し長い。次。短い。

「……本当だ」

自分では意識したこともなかった。

机の上には蒼凛学園の資料。

その間に一枚の紙が挟まっている。神代が作ったものだった。


『水城湊 育成予測:現在最高球速128km/h 体格 179cm/64kg左腕の視認性 A+タイミング操作 A制球力 B身体完成度 C 将来性――S』


その下にも続きが書かれていた。


『高校一年夏:球速137〜140km/h。高校二年夏:球速143〜146km/h。

高校三年夏:球速148〜151km/h』


そして最後に、一行だけ書かれている。


『完成時、全国最高クラスの左腕になり得る。』


水城はしばらく紙を見ていた。

誰にも言われたことがない。

自分がそんな投手になるなんて。全国。

甲子園。150キロ。

どれも自分とは関係のない世界だと思っていた。

けれど、今日会ったあの少年だけは本気だった。

水城はベッドに寝転がった。天井を見る。

しばらくして小さく笑った。

「……行ってみようかな」


その瞬間。神代怜司の計画に――二人目の投手が加わろうとしていた。


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