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浮かれる黒崎

第二戦の翌日。


昼休み。

神代たちのいる教室へ戻ってきた九条は、

スマートフォンの画面を見て足を止めた。

「大雅」

少し離れた席で黒崎が振り返る。

「なんや?」

「記事になってるぞ」

「何が?」

「俺たちだよ」

その言葉に、黒崎がすぐ近くまで来た。


九条が見せたのは、高校野球を専門に扱うネットメディアの記事だった。

見出しには、こう書かれている。


『創部1年目の蒼凛学園が2戦連続コールド勝ち。 

背番号1の1年生右腕・黒崎大雅が8奪三振』


黒崎の目が止まった。

「……俺の名前あるやん」

「そこ?」

「そこやろ!」

黒崎が九条からスマートフォンを受け取る。


記事には、蒼凛学園が今年創部されたばかりで、部員十一人が全員一年生であること。

初戦を8対1、第二戦を9対2と、いずれも七回コールドで勝ち上がったことが書かれていた。

初戦では左腕の水城が7回1失点で完投。

そして第二戦では、背番号1の黒崎が7回2失点、8奪三振。


記事の中でも特に触れられていたのは、

黒崎のストレートだった。

球場表示で140キロ台を何度も記録し、

一年生離れした球威で武蔵陵打線を押し込んだ、

とある。


黒崎がその部分をもう一度読む。

「『一年生離れした球威』か」

水城が横から画面を覗いた。

「さっきもそこ読んでなかった?」

「まだ二回目や」

「数えてるんだ」

「ええやろべつに!」


黒崎は記事を少し下へ送る。

「しかも見ろ。『背番号1の右腕』やって」

九条が笑った。

「8奪三振より背番号1の方が嬉しそうだな」

「どっちも嬉しいわ!」

「大雅、昨日は僕より一点多く取られてたけどね」

「まだ言うんかそれ!」

水城が笑う。

朝倉も記事を読みながら口を開いた。

「でも、ストレートが一番書かれてるのは大雅らしいね」

その言葉には、黒崎もすぐには返さなかった。

入学してからずっと、自分の一番の武器だと思ってきた球だった。

だがまだ神代には届かない。

それは分かっている。

それでも、自分がエースになるなら最後まで武器にしたいと思っている。


黒崎がもう一度記事を見る。

「見る目あるやん、この記者」

「急に評価高いな」

九条が呆れた。


少し離れた自席で、神代も同じ記事を開いていた。

しかしそこに自分の名前はない。

それも当然だった。

初戦には出場していない。

第二戦は七番ファーストで出場し、1安打。

投手としては一球も投げていない。


外から見れば、今の蒼凛で注目するべきなのは水城と黒崎の二人だ。

神代は記事を上から読み直した。

黒崎の球速。水城が左投手であること。

二人とも完投したこと。

蒼凛が十一人しかいないこと。

そして二試合の得点。

これまでなら実際に球場へ来なければ分からなかった情報が、記事を開くだけで手に入るようになっていた。


「怜司くんたち、記事になってるね」


顔を上げると、いつのまにか1組に来ている桜庭が机の横に立っていた。

隣には篠宮もいる。

「そうみたいだな」

「読んだ?」

「今読んでた」

桜庭が少し不満そうに画面を見る。

「怜司くんのこと全然書いてないよね」

「書くことないだろ」

「あるでしょ」

「例えば?」

桜庭が少し考える。

「……昨日ヒット打ったとか?」

「一本だけだろ」

「でも公式戦初ヒットだよ!」

「記事を書いた人には関係ない」

「関係あるよ」

「何に?」

「私には」

神代が首を傾げる。

篠宮が横から口を挟んだ。

「記事を書いた人は桜庭さんじゃないから」

「分かってるけど」

桜庭は納得していない様子だった。


神代はもう一度記事へ視線を戻す。

「名前が載るかどうかより、こっちの方が問題だと思う」

九条が反応する。

「何?」

「情報が増えてる」

黒崎も振り返った。

「記事の?」

「ああ」

神代は画面を見せる。

「昨日までなら、大雅がどれくらいの球速を出すか知りたければ、実際に試合を見る必要があった。でも今はこれを読むだけで分かる」

九条が記事を見る。

「水城が左ってことも書いてあるな」

「二人とも完投してることもな」

水城が聞く。

「次の柏木も読むと思う?」

「読む可能性は高い」

「昨日見に来てたんやろ?」

黒崎が言った。

「なら別に記事なくても分かっとるんちゃう?」

「柏木だけならな」

神代が答える。

「勝ち続ければ、次の相手。その次の相手も俺たちを見るようになる」

黒崎が少し考える。

「有名になるほど隠せんようになるってことか」

「ああ」

九条が神代を見る。

「普通は記事になったら喜ぶところじゃない?」

「大雅は喜んでる」

「怜司の話だよ」

「別に記事になること自体に意味はないだろ」

「相変わらずだな」

九条が苦笑した。

神代はそう言ったが、学校の中では意味があった。


午後になる頃には、野球部がネット記事に取り上げられたことを知る生徒が増えていた。

廊下を歩いていた黒崎も、これまで話したことのない生徒から声をかけられる。


「黒崎って野球部のピッチャーだよな?」

「せやけど」

「記事見た。速いんだな」

黒崎の表情がすぐに明るくなる。

「まあな」

「次も投げるの?」

「それは監督次第や」


少し離れたところで九条が聞いていた。

「嬉しそうだな」

「そらストレート褒められて嫌なやつおらんやろ」


橘も別のクラスの生徒から次の試合の日程を聞かれ、鷹野には陸上部の生徒が声をかけていた。

二試合前まで、ほとんど誰にも知られていなかった野球部だった。

それが学校の中でも少しずつ知られ始めている。

神代には、その変化がまだ自分たちの野球に影響するほど大きなものには見えなかった。ただ、確実に見ている人間は増えていた。


放課後。

部室の机には、『都立柏木高校』の資料が置かれていた。


榊原監督が十一人を見る。

「昨日も言ったが、柏木はここまで二試合とも接戦を勝ってきた。派手なチームじゃない」

神代が資料へ目を落とす。

一回戦は3対2。二回戦は4対2。

大量点はない一方で、二試合とも大きく崩れた回もなかった。


「守備がいいですね」

白石が言った。

「失策が少ない」

「そうだ」

榊原監督が頷く。

「投手も球速で押すタイプじゃない。四球が少なく、低めに集めて打たせるタイプだ」

御堂が資料をめくる。

「長打も少ないですね」

「その代わり、バントと進塁打は多い」

朝倉が言った。

神代も同じ数字を見ていた。

一つずつなら突出したものはない。

だが、相手のミスを待ち、自分たちは大きなミスをしない。

そういうチームだった。


黒崎が腕を組む。

「でも昨日俺らのこと見に来とったんですよね」

「そうだ」

「何見てたんですか?」

榊原監督が黒崎を見る。

「それを明日確かめるんだろ」

黒崎が少し笑った。

「ええですね」


榊原監督は次に水城を見る。

「明日の先発は水城」

「はい」

「神代はファースト。打順は昨日と同じ七番に置く」

神代が頷く。

「分かりました」

黒崎が聞く。

「俺は?」

「ベンチだ」

「やっぱりですか」

「昨日七回投げただろ」

「投げましたけど」

「必要なら途中から行ってもらう」

その言葉で黒崎の表情が変わる。

「分かりました」


初戦は水城が完投し、第二戦は黒崎が完投した。

だが、この先も全ての試合を一人で投げ切るとは限らない。

必要なら途中で代える。

必要なら途中から投げる。


十一人しかいない以上、それも大会の中で経験しておく必要がある。




そして迎えた西東京大会、三回戦。

蒼凛側のスタンドには、また制服姿が増えていた。

しかしまだ応援団と呼べる規模ではない。

それでも、ネット記事を見て初めて試合へ来た生徒がいることは分かった。

桜庭、篠宮、千夏も同じ場所にいる。


「また増えたね」

篠宮が周囲を見る。

桜庭はすでにグラウンドを見ていた。

「今日も怜司くん出るみたい」

「そこは二回戦と一緒だね」

「確認大事だから」

千夏が笑った。

グラウンドでは、水城が朝倉とキャッチボールをしている。

神代は反対側のベンチを見た。


都立柏木。

一昨日の武蔵陵戦を見ていた選手たちもいる。

ただ見に来ただけではない。

何を見て、何を持ち帰ったのか。

それが今日分かる。

試合前の攻守決めで、蒼凛は先攻になった。

初戦も二回戦も後攻だったため、公式戦で先に攻めるのは、今日が初めてになる。


一回表。

蒼凛の一番、九条。

柏木の先発は右投手で、球速はそれほど速くない。

九条は初球の外角低めを見送りストライク。

続く同じ高さから外へ逃げる変化球を見極めたが、三球目の内角球に詰まらされてショートゴロに倒れた。


ベンチへ戻った九条が言う。

「低いな」

二番の白石にも低め中心の投球が続く。

三球目を引っ張ったが、打球はセカンド正面だった。

二アウト。

三番、御堂。

その打席で柏木の外野が僅かに左へ動いた。


神代の目が止まる。

御堂は外角の球を逆方向へ運ぶことが多い。それを知らなければ、あの位置には動きにくい。

柏木バッテリーは内角を続け、御堂をライトフライに打ち取った。

三アウト。

蒼凛は三者凡退。


ベンチへ戻ってきた御堂が言う。

「外、ほとんど来なかった」

九条が見る。

「俺と全然違うな」

白石も頷いた。

「俺は低め中心だった」

三人の言葉を神代が聞いていた。

まだ一回。

偶然の可能性はある。

だが、外野の守備位置も含めれば一つではない。


一回裏。

水城がマウンドへ上がる。


柏木の一番打者は初球のストレートを見送りストライク。

水城が少し間を変えた二球目も手を出さず、

三球目をセカンドへ転がした。

白石が処理して一アウト。

続く二番打者は初球をファウルした後、二球目を一塁側へ転がす。

神代が前に出て捕球し、自分でベースを踏んだ。

三番打者もセンターフライに倒れ、

三者凡退。


水城がベンチへ戻る。

黒崎が言う。

「普通やん」

「今のところはね」

水城も同じ感想だった。


二回表。

四番、轟。

柏木の外野は僅かに深く守っていた。

轟は外角低めを続けて見送った後、甘く入った球を強く振り抜いた。

鋭い打球がセンターへ伸びる。

しかしセンターは、打つ前から少し深い位置にいた。

数歩下がって捕球。

一アウト。


轟がベンチへ戻りながら眉をひそめる。

「いつもなら抜けてた気がする」

五番の朝倉に対しては、今度は内野が通常より僅かに前へ出ていた。

朝倉の打球はセカンドゴロ。

二アウト。

六番、鷹野。


一塁側の柏木ベンチから声が飛んだ。

「塁に出したら注意!」

まだ鷹野は打席に入っただけだった。

黒崎がその声を聞く。

「まだ塁出てへんぞ」

九条も相手ベンチを見る。

「完全に見られてるな」

鷹野は外角の球をセンター前へ弾き返した。

二アウト一塁。


その瞬間、柏木の投手がすぐに一塁へ視線を向けた。

鷹野が大きなリードを取る前から一度プレートを外し、セットへ入り直した後には牽制も入れる。

鷹野が一塁へ戻った。


スタンドで桜庭が首を傾げる。

「すごい一塁見てない?」

千夏が頷く。

「鷹野くんが速いって分かってるんだと思う」

七番、神代。

左打席へ入る。


柏木の捕手が一度だけベンチを確認してから構えた。

神代は初球の外角低めを見送り、同じコースから僅かに外れた二球目にも手を出さない。三球目の内角球をファウルにすると、打席を外さず投手を見た。

自分に対しては特別な守備位置の変化はない。鷹野への警戒ほど明確でもなかった。

二回戦では七番ファースト。

1安打。

それだけ。

まだ自分についての情報は少ない。


次の外角の変化球を神代が振った。

打球は一、二塁間へ転がったが、セカンドが追いついて一塁へ送球する。

アウト。

三アウト。


0対0。


ベンチへ戻った神代に九条が聞く。

「どう?」

「見られてる」

「やっぱり?」

「ああ」

神代はグラウンドを見る。

九条への攻め方。御堂の外野守備。轟の長打への守備位置。鷹野への警戒。

偶然と考えるには多すぎる。

「でも、まだ全部じゃない」

九条が神代を見る。

「何が?」

「二回戦で見せたもの全部に対策してるわけじゃない」

黒崎も聞いていた。

「そら全部は無理やろ」

「だから、どこを選んだのかを見る」

神代が答える。

「相手も情報を絞ってる」

横浜星央戦の後、自分たちが覚えたこと。

情報は多ければいいわけではない。

使うものを選び、必要なものだけ共有する。

柏木も同じだった。

蒼凛が相手を見る。

相手も蒼凛を見ている。

そして、見た全てを使うわけではない。


二回裏。

マウンドへ向かう水城が、その手前で一度だけ振り返った。

朝倉と目が合う。

二人が短く頷く。


水城は先頭の四番打者にセンター前ヒットを許した。

無死一塁。

五番打者がすぐにバントの構えを見せる。

朝倉がサードの轟へ声を飛ばした。


「剛士、来るよ!」

初球、五番打者はバントする動きを見せながら最後の瞬間にバットを引いた。

ボール。

轟が守備位置へ戻る。

次の球では打者が普通に構えた。

水城が投げた瞬間、一塁走者がスタートする。

朝倉が二塁へ送ったが、僅かに遅い。

セーフ。

無死二塁。


黒崎がベンチから身を乗り出した。

「走ってきた」

神代は一塁から柏木ベンチを見る。

二回戦で、相手は黒崎の投球だけを見ていたわけではない。

蒼凛の打線、守備、走塁。何を見て、何を持ち帰ったのか。

少なくとも、何も考えずに今日の試合へ来たわけではなかった。


五番打者が今度こそ三塁側へ送りバントを決め、一アウト三塁。

六番打者は水城の球をセンターへ打ち上げた。鷹野が捕球すると同時に三塁走者がスタートし、返球より早くホームを踏む。


0対1。


都立柏木が先制した。

ヒット。盗塁。送りバント。犠牲フライ。

大きな当たりは一つもない。

それでも一つずつ積み重ねて一点を取った。

水城は後続を打ち取り、一失点で二回裏を終える。


ベンチへ戻った水城がタオルを取った。

「今までの二校と違うね」

朝倉が隣に座る。

「うん」

黒崎が言う。

「一個ずつやってきよるな」


スタンドでは、桜庭がスコアボードを見上げていた。

上の段に並んだ蒼凛の0が二つ。その下に、柏木の0と1。

「負けてる」

篠宮が同じ場所を見る。

「まだ二回だよ」

「分かってる」

桜庭はそれきりグラウンドから目を離さなかった。

神代も柏木のベンチを見ていた。

まだ一点。

問題はない。

だが、試合の進め方は明らかに違う。


三回表。

先頭は八番の橘。

バットを持ってベンチを出ていく背中を、

神代は端から見ていた。


今度の相手は、知らない相手ではない。

蒼凛学園を知ったうえで、勝ちに来ている。


西東京大会三回戦。

初めて、研究された状態での戦いが始まっていた。


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