高校生の休日
六月最初の日曜日。
午前十時前。
駅前の広場には、休日を過ごす人たちが行き交っていた。
神代が待ち合わせ場所へ着くと、すでに九条と鷹野がいる。
「おはよう」
「おはよ」
九条がスマートフォンを見る。
「怜司にしては時間ぴったりだな」
「集合十分前だけど」
「お前なら三十分前に来るかと思ってた」
「何のために?」
「そういうところだよ」
神代には意味が分からなかった。
今日は野球部の練習がない。
榊原監督が決めた、最初の完全休養日だった。
向かう先は、前日の夜まで八人で話し合った結果、駅から少し離れた大型商業施設に決まっている。
ボウリング場やゲームセンター、飲食店が入り、近くには広い公園もある。
しばらくすると篠宮、千夏、天城がやってきた。
「おはよう」
「おはよ」
普段とは違う私服姿だったが、神代は特に気にした様子もない。
その少し後。
「怜司くん!」
桜庭が駆け寄ってきた。
「おはよう」
「おはよう」
桜庭は神代の前で止まる。
今日は白を基調にした服に、薄い色のカーディガンを合わせていた。
髪も学校にいる時とは少し違う。
「どう?」
「何が?」
予想していたらしく、桜庭はすぐに続けた。
「今日の服」
神代は桜庭を一度見る。
「似合ってると思う」
桜庭が固まった。
「……本当?」
「ああ」
「ちゃんと見て言った?」
「見ないと分からないだろ」
「そっか」
桜庭の口元が緩む。
少し離れたところで九条がその様子を見ていた。
「怜司」
「何?」
「いや。何でもない」
「最近それ多くない?」
「気のせい」
最後に黒崎が現れたのは、集合時間の二分前だった。
「間に合った!」
九条が時計を見る。
「本当にギリギリだな」
「遅刻してへんからええやろ!」
「十時集合だぞ。別に朝早くないだろ」
「休みの日の十時は早いねん!」
「意味分からない」
神代が言う。
「お前には一生分からんわ!」
これでようやく八人が揃った。
最初に向かったのはボウリング場だった。
レーンを二つ借り、四人ずつに分かれる。
神代は貸し出されたボールを持ち上げ、
穴へ指を入れた。
桜庭が隣から聞く。
「怜司くん、ボウリングしたことある?」
「数回くらいかな」
「上手い?」
「普通だと思う」
九条が後ろから口を挟む。
「その『普通』は信用しない方がいいぞ」
「何で?」
「怜司の場合、普通の基準がおかしいから」
「ボウリングはそんなにやったことないよ」
最初の一投。
神代のボールは真っすぐ進んだが、少し右へ逸れた。
倒れたピンは八本。
「本当に普通じゃん」
天城が言う。
「だから言っただろ」
二投目は一本だけ倒し、合計九本で終わった。
黒崎が笑う。
「なんや怜司。大したことないやんけ」
「まだ一フレームだろ」
「野球以外なら勝てそうやな」
「勝負する?」
「ええで」
九条が額に手を当てた。
「結局こうなるのか」
二フレーム目。
神代は立つ位置を少し変えた。
今度は九本を倒す。
三フレーム目では初めてストライクが出た。
黒崎が神代を見る。
「お前、もう慣れてきとるやろ」
「最初よりは」
神代は踏み出す位置や腕の振りを少しずつ変えていた。
ただ、すぐに完璧になるわけではない。
ストライクの次にスペアを取り、その次は再び八本。
投げるたびに安定していくものの、序盤の差は最後まで残った。
結果、黒崎が神代のスコアを僅かに上回った。
スコアを見た黒崎が両手を上げる。
「よっしゃ!」
九条が呆れた顔をする。
「そんな喜ぶ?」
「怜司に勝ったんやぞ!」
「ボウリングで?」
「勝ちは勝ちや!」
神代もスコアを見る。
「最初の二フレームが悪かったな」
黒崎の顔から笑みが少し消える。
「お前、次やったら勝てるみたいな言い方すんなや」
「多分次の方が上手いと思う」
「二度とやらんわ!」
「さっき勝ちは勝ちって言ってただろ」
「うるさいわ!」
周囲から笑いが起こった。
ボウリングを終えた八人は、そのまま同じ施設内のゲームセンターへ移動した。
黒崎は別のゲームでも神代へ勝負を仕掛けようとしたが、九条に止められる。
「お前、今日全部怜司と勝負する気?」
「一個でも多く勝っときたいやろ」
「さっき一回勝ったんだから満足しろよ」
「次はもっと分かりやすく勝つ!」
「休養日の意味なくなってきてるぞ」
黒崎と九条が言い合いながら奥へ進んでいく。
神代もその後についていこうとした時だった。
「怜司くん」
桜庭に呼び止められる。
「何?」
桜庭は近くのクレーンゲームを指差した。
透明なケースの中に、小さな白いクマのぬいぐるみが並んでいる。
「これ可愛くない?」
「そう?」
「可愛いの!」
神代はぬいぐるみを見る。
丸い頭。
短い手足。
首元には小さな青いリボンが付いていた。
「欲しいのか?」
「うん。ちょっと欲しい」
桜庭は百円玉を入れた。
ボタンを操作し、アームをぬいぐるみの真上まで運ぶ。
下降。
アームが閉じる。
白いクマが少しだけ持ち上がり、そのまま落ちた。
「難しい……」
もう一度。
今度は位置を変える。
アームは胴体を挟んだが、やはり途中で抜けた。
桜庭がケースを覗き込む。
「全然取れない」
神代は隣からアームを見る。
「アームが弱いな」
「そうなの?」
「持ち上げるには弱いと思う」
「じゃあどうやって取るの?」
「分からない」
「分からないんだ」
「やったことないから」
桜庭が少し考えたあと、神代を見る。
「怜司くん、取って」
「俺が?」
「うん」
「今、分からないって言ったけど」
「でも怜司くんなら途中で分かりそう」
神代は少しだけ桜庭を見る。
「どういう評価?」
「信用してるってこと」
神代はケースへ視線を戻した。
「じゃあやってみるか」
百円玉を入れる。
一回目。
神代はぬいぐるみの胴体中央へアームを合わせた。
位置そのものは悪くない。
アームが閉じる。
少し持ち上がった。
だが、すぐに落ちる。
「惜しい!」
桜庭が言う。
神代は反応せず、落ちたぬいぐるみを見る。
最初より僅かに右へ動いていた。
落とし口は、その先。
もう一度百円玉を入れる。
「また同じの狙うの?」
「ああ」
二回目。
今度は中央ではなく、少し左へずらした。
アームの片側がぬいぐるみの脇へ入る。
持ち上がらない。
代わりに、ぬいぐるみが横へ転がった。
落とし口へ近づく。
神代の目が僅かに変わった。
「なるほど」
その時後ろから声がした。
「でたよ」
振り返ると九条だった。
いつの間にか黒崎と一緒に戻ってきている。
桜庭が振り返る。
「何が?」
九条は神代を見る。
「怜司の『なるほど』」
黒崎もケースを覗く。
「まだ取れてへんやん」
「多分、次でかなり動く」
神代が言う。
黒崎が眉を上げた。
「なんで分かんねん」
「これ、持ち上げる必要ないみたいだ」
神代はケースの中を見る。
最初は景品を掴んで持ち上げるものだと思っていた。
だがアームの力は弱い。
それなら、持ち上げることを前提にする必要はない。
今の位置。
ぬいぐるみの向き。
落とし口までの距離。
アームが閉じる方向。
神代は三回目の位置を決めた。
「また始まったな」
九条が笑う。
アームが降りる。
今度はぬいぐるみを掴みにいかない。
片側の爪を身体の横へ当てる。
閉じる力で、白いクマが大きく傾いた。
そのまま落とし口の縁まで移動する。
「いけそう!」
桜庭が声を上げた。
あと少し。
黒崎もいつの間にか真剣に見ている。
「これ次いけるんちゃう?」
「多分」
四回目。
神代はほとんど迷わなかった。
アームを僅かにずらす。
下降。
爪がぬいぐるみの背中側へ当たる。
押される。
白いクマがゆっくり傾いた。
そして。
落とし口へ消えた。
「あっ!」
桜庭がすぐに取り出し口を見る。
ぬいぐるみが落ちている。
「取れた!」
神代がしゃがみ、取り出した。
「はい」
そのまま桜庭へ差し出す。
桜庭が一瞬止まった。
「……くれるの?」
神代の眉が僅かに動く。
「桜庭が欲しいって言ったんだろ?」
「そうだけど」
桜庭は両手でぬいぐるみを受け取った。
白いクマを見る。
それから神代を見る。
「ありがとう」
「ああ」
神代にとっては、それだけだった。
頼まれたから取った。
景品を欲しがっていたのは桜庭なのだから、渡すのも当然だと思っている。
その横で九条が小さく笑っていた。
「何?」
神代が聞く。
「いや、別に」
「またそれ?」
「今日はもう説明するの諦めた」
「何の話だよ」
桜庭は二人の会話を聞きながら、ぬいぐるみを少しだけ強く抱えた。
黒崎はケースの中を見ていた。
「怜司」
「何?」
「俺もやるで」
「何で?」
「今の見たら簡単そうやんけ」
十分後。
黒崎はまだ一つも取れていなかった。
「なんでや!」
九条が笑う。
「人がやってるの見るのと、自分でやるのは違うってことだな」
「怜司! どこ狙えばええ!?」
「自分で考えろよ」
「休みの日までそれ言うんか!」
また笑い声が上がった。
昼食のあと、八人は近くの公園へ向かった。
六月に入ったばかりの空は明るく、日差しも五月より強くなっている。
それでも真夏ほどの暑さではなく、木陰に入れば風が心地よかった。
桜庭の手には、先ほどの白いクマがある。
篠宮がそれに気づいた。
「それ取ったの?」
「うん」
桜庭が答える。
少し間を置いてから付け加えた。
「怜司くんが」
篠宮が桜庭を見る。
「よかったね」
「うん」
桜庭はすぐに笑った。
芝生の広場では、天城が鷹野へ声をかけていた。
「鷹野」
「何?」
「ここなら測れそう」
「走るやつ?」
「うん」
鷹野は広場を見る。
誘われた時は測るつもりでいた。
だが、榊原監督の言葉を思い出す。
そして首を振った。
「今日はやめとく」
「なんで?」
「休養日だから」
天城が一瞬黙った。
「……真面目」
「監督に休めって言われてるからな」
「じゃあ今度ね」
「分かった」
それで話は終わった。
少し離れたベンチでは、篠宮と千夏が並んで座っていた。
視線の先では、黒崎と九条がクレーンゲームの話をまだ続けている。
「絶対あの台がおかしかったんや!」
「怜司は同じ台で取っただろ」
「怜司がおかしい可能性もあるやろ!」
「それは否定しない」
その横で神代が何か言い、黒崎がすぐに反応する。
篠宮が少し笑った。
「神代くんって、学校にいる時と結構違うよね」
千夏が聞く。
「そう?」
「教室だともう少し静か」
「寮だと結構あんな感じだよ」
「そうなんだ」
「黒崎くんとか九条くんがいると特にね」
神代がまた何かを言う。
黒崎が言い返す。
九条が笑う。
その様子だけ見れば、特別な選手には見えなかった。
普通の高校一年生が、友人たちと休日を過ごしている。
篠宮は少しだけ目を細める。
「知らないところ、まだ結構あるんだね」
「神代くんの?」
「うん」
千夏も三人を見る。
「みんなそうかも」
午後も八人で施設を回った。
店を見たり、ゲームをしたり、途中で休憩したり。
桜庭は何度か神代の隣へ行こうとしたが、
そのたびに黒崎が神代へ話しかけたり、
九条が会話に入ったりして、思ったほど二人だけにはならなかった。
それでも不満ではなかった。
学校の教室でも、野球のグラウンドでもない。
休日の神代を初めて見られた。
そして腕の中には、朝には持っていなかったぬいぐるみがある。
夕方。
八人は最初に集合した駅まで戻った。
「じゃあ今日はここで解散ね」
桜庭が言う。
「楽しかった」
千夏が笑う。
篠宮も頷いた。
「私も」
「次はタイム測るからね」
天城が鷹野を見る。
「覚えてるよ」
「ならいい」
黒崎は大きく伸びをした。
「疲れたわ」
九条が呆れる。
「休養日に一番疲れてるのお前じゃん」
「誰のせいや!」
「大雅自身だろ」
神代が答える。
「お前は黙っとれ!」
何人かが笑った。
それぞれ帰る方向が違うため、ここから少しずつ別れる。
神代も野球部のみんなと帰ろうとしたところで、桜庭に呼び止められた。
「怜司くん」
神代が振り返る。
「何?」
桜庭は白いクマを大事そうに抱えたまま聞いた。
「今日は楽しかった?」
昼間なら、神代は少し考えたかもしれない。
だが今度は、それほど時間を使わなかった。
「楽しかったよ」
桜庭が少し驚く。
「本当?」
「ああ」
ボウリング。
ゲームセンター。
昼食。
公園。
普段なら使わない時間の過ごし方だった。
野球が上手くなるわけではない。
身体能力が上がるわけでもない。
試合に勝てるようになるわけでもない。
それでも、無駄だったとは思わなかった。
「また行ってもいいと思うくらいにわ」
桜庭の表情が明るくなる。
「じゃあまた誘っていい?」
「予定が合えば」
「絶対誘うからね」
「分かった」
神代は一度、桜庭が持つぬいぐるみを見る。
「それ、持って帰るの大変じゃない?」
「全然」
「そう?」
「大事にするから」
神代には、そこまで大事にする理由は分からなかった。
「分かった」
それだけ答え、九条のところへ戻る。
九条が待っていた。
「何話してたの?」
「今日楽しかったかって聞かれた」
「何て答えた?」
「楽しかったって」
九条が少しだけ驚いた。
「へえ」
「何?」
「いや。ちょっと成長したなと思って」
「何が?」
「そこはまだ分かんないか」
「意味分からない」
駅へ向かって二人で歩く。
今日は野球をしていない。
投球もしていない。
バットも振っていない。
試合映像も見ていない。
それでも一日が無駄だったとは感じなかった。
神代がスマートフォンを見る。
八人のグループには、すでに今日撮った写真が何枚も送られている。
黒崎がボウリングで勝って大げさに喜んでいる写真。
クレーンゲームの前で頭を抱えている黒崎。
公園で話す天城と鷹野。
篠宮と千夏。
そして。
白いクマのぬいぐるみを抱え、笑っている桜庭。
その隣には、自分も写っていた。
神代は少しだけ画面を見たあと、スマートフォンをしまう。
明日からまた練習が始まる。
それは楽しみだった。
それと同じように、次の休養日が来ることも、以前ほど悪くないように思えていた。




