次に繋ぐため
横浜星央戦の翌日。
放課後、蒼凛の十一人はグラウンドへ出る前に部室へ集められていた。
モニターには昨日の試合映像が映っている。
「今日は最初に昨日の試合を見る」
榊原監督が再生を始める。
映ったのは一回裏だった。
水城が先頭打者を四球で出し、盗塁、進塁打、犠牲フライ。
横浜星央は一本のヒットも打たずに一点を奪っている。
「昨日も言ったが、特別なことはしていない」
榊原監督が映像を止める。
「出た。走った。進めた。返した。それだけだ」
「分かってても一点取られとるから腹立つわ」
黒崎が腕を組んだまま言う。
映像が再び動く。
今度は水城が二巡目の打者と対戦している場面だった。
一巡目では投球までの間に翻弄されていた打者たちが、明らかに待ち方を変えている。
水城が画面を見る。
「ここだね」
「何が?」
鷹野が聞く。
「一巡目と違う。僕の間に合わせようとしなくなってる」
九条も映像を見ながら頷いた。
「前に突っ込まなくなってるな」
「うん。多分、一人ずつ対応したんじゃない」
映像の中では、打席を終えた横浜星央の選手がベンチへ戻り、次の打者へ何かを話していた。
白石がそこに気づく。
「これ、何度もやってる」
神代が映像を少し戻す。
一人が戻る。次の打者と話す。
その後ろで別の選手も聞いている。
「昨日も思ったけど、情報を共有してる」
神代が言った。
さらに映像を進める。
六回裏、黒崎のストレートを二番打者が何度もファウルにして粘る。
その後の三番打者はスライダーを見送った直後、横浜星央のベンチへ視線を送っていた。
「この辺りから大雅のスライダーにも気づかれてる」
「腕の振りやろ」
黒崎が答える。
「ああ。でも三番だけが見つけたとは限らない」
黒崎は黙って画面を見る。
一人が気づく。
そして一人で終わらせない。
次へ渡し、その情報を使ってさらに相手を見る。
昨日、蒼凛には足りなかったものだった。
神代が立ち上がる。
「俺たちもやろうと思う」
九条が振り返る。
「情報共有?」
「ああ。打席が終わった選手が、次の打者に気づいたことを伝える」
神代はホワイトボードへ向かい、球種、配球、投手の癖と書いた。
「とりあえず、この辺りを――」
「ちょっと待って」
白石が止めた。
神代が振り返る。
「何?」
「打席が終わっても、毎回戻ってくるわけじゃないよ」
神代の手が止まる。
「出塁したら一塁にいるから」
数秒の沈黙。
九条が笑った。
「いきなり欠陥見つかってるじゃん」
「今考えてるところだ」
「強がるなよ」
神代はホワイトボードへ視線を戻した。
確かにそうだった。
アウトになった打者ならベンチへ戻る途中で次打者へ伝えられる。
しかしヒットや四球なら、その選手は塁上に残る。
横浜星央も、全ての情報を前の打者から直接受け取っていたわけではない。
朝倉が口を開いた。
「そもそも、前の打者から教えてもらうことを前提にしない方がいいんじゃない?」
「どういうこと?」
「次の打者もベンチから見てるでしょ」
朝倉はモニターを指した。
「自分でも投手を見る。その上で、前の打者がアウトになって戻ってきたなら、本人にしか分からない感覚を聞く」
白石が頷く。
「それがいいと思う」
「本人にしか分からない感覚?」
轟が聞く。
白石が答える。
「例えば、見た目よりストレートが伸びるとか、フォークが思ったより手前から落ちるとか。画面やベンチから見てるだけじゃ分からないこと」
「なるほどな」
神代はホワイトボードに書いた三項目を消した。
九条がそれを見る。
「消すんだ」
「奏太と蓮の方がいいから」
「そこは素直なんだな」
さらに白石が言う。
「あと、情報を三つとかに固定しない方がいい」
「多いと迷わない?」
「だから数だけ決めればいいと思う。一番使えそうなことを一つか二つ」
御堂も口を開く。
「投手だけじゃなくて守備もあるよ」
全員が御堂を見る。
「昨日、俺がセンター前打った時、横浜星央のセンターはかなり前に出てきた。次に同じくらいの打球が飛んだら、二塁走者が帰れるとは限らない」
神代が頷く。
「守備位置も情報か」
「走者なら牽制やクイックもあるしね」
白石が続けた。
「投手だけ見てたら足りないね」
朝倉も言う。
「構え方に癖があるキャッチャーもいる」
黒崎が朝倉を見る。
「もしかして蓮もあるん?」
「それを投手の大雅に教える意味ある?」
「せめてあるかないかだけ教えろや」
「秘密」
「あるんやろ!」
何人かが笑った。
それまで黙っていた藤堂が手を挙げる。
「一つよろしいでしょうか」
「何?」
神代が聞く。
「出塁した選手からすぐ情報を聞けないのであれば、ベンチで簡単に記録しておくのはいかがでしょう」
「記録?」
「はい。気づいた選手が共有して、それを簡単に残しておけば、次の打者だけでなく後の打者も確認できます」
白石がすぐに反応した。
「それいいね」
九条も頷く。
「口だけだと忘れるしな」
神代は新しく書いた。
『自分で見る』
『投手以外も見る』
『戻った打者から感覚を聞く』
『一つか二つに絞る』
『ベンチで共有する』
少しずつ形が変わっていく。
最初に神代が考えていた方法とは、もうかなり違っていた。
神代が十一人を見る。
「これでやってみる?」
「ええんちゃう」
黒崎が答える。
「僕もいいと思う」
水城も続く。
他の選手からも反対は出なかった。
神代が榊原監督を見る。
「監督、これで試してみます」
榊原監督は短く頷いた。
「やってみろ。合わなければまた変えればいい」
その日の実戦形式の打撃練習から、早速試すことになった。
最初の投手は水城。
捕手は藤堂が入る。
朝倉はブルペンで黒崎の球を受けていた。
一番の九条が左打席へ入り、白石がネクストバッターズサークルで待つ。
九条は打ちながらも、水城の間の取り方を見ていた。
何球か粘ったあと、外角のストレートを打ってショートゴロになる。
一塁まで全力で走り、アウト。
九条は一塁側からベンチへ戻る途中、そのまま白石へ近づいた。
「長く持った次、早く来ることが多い」
「毎回?」
「いや。でも二回続けて長くはまだない」
「分かった」
白石が左打席へ向かう。
水城がセットに入る。
少し長く持ってから投げた。
白石はファウルにする。
次の投球。
今度は水城がすぐに動いた。
白石も準備していた。
外角のストレートを逆らわずに打ち返し、
打球は三遊間を抜ける。
レフト前ヒット。
白石は一塁で止まった。
「颯真の情報かな?」
水城がマウンドから聞く。
白石が笑う。
「半分くらいはね」
次は御堂。
だが、白石は一塁にいる。
当然、御堂のところへ戻って情報を渡すことはできない。
御堂はベンチで試合を見ていた時と同じように、自分で水城を観察してから左打席へ入った。
水城も考える。
九条が見つけた傾向はすでに白石に使われた。
同じことを続ければ、御堂にも読まれる可能性がある。
セットに入り、今度は長く持ったあと、もう一度長く持つ。
御堂のタイミングが僅かに早くなった。
打球はファーストへのゴロ。
水城が笑う。
「変えて正解だった」
御堂は一塁まで走ってアウトになると、ベンチへ戻った。
「颯真から聞いた通りには来なかった」
次に打つ轟へ伝える。
「多分、向こうもこっちが共有してることを考えて変えてる」
轟が笑う。
「面白い」
水城もマウンドでその会話を聞いている。
「僕にも全部聞こえてるけどね」
「試合なら聞こえへんからええねん!」
黒崎がブルペンから言った。
打者だけではない。
情報を共有されることを前提に、投手側も考え始めていた。
少し離れたブルペンでは、その黒崎が朝倉を座らせてスライダーを投げている。
後ろには橘と鷹野が打者目線に近い位置から立っていた。
黒崎が一球投げる。
橘が首を傾げた。
「今の、ちょっと分かったかも」
黒崎がすぐに振り返る。
「何が?」
「スライダー。ストレートより腕が少し遅かった」
朝倉も頷く。
「今のは俺もそう見えた」
黒崎がボールを受け取る。
「もう一球や」
次は意識して腕を振る。
朝倉のミットへスライダーが収まった。
橘が今度はすぐには答えない。
「さっきより分かりにくい」
「ほんまか?」
「でも、まだちょっと違う気もする」
「もう一回」
黒崎は神代を見なかった。
自分で投げ、朝倉に聞き、打者側からも確認して修正する。
神代は少し離れた場所からその様子を見ていたが、口を挟まなかった。
「怜司」
九条が隣へ来る。
「何?」
「あれ、昨日までならお前が真ん中にいたよな」
神代も黒崎たちを見る。
「多分」
「多分じゃなくて絶対だろ」
再び黒崎が投げる。
今度は橘だけでなく鷹野も何かを伝え、
朝倉がそれを聞いている。
神代はそこにいない。
それでも練習は進んでいる。
むしろ、自分が答えを言わないことで黒崎自身が考え、その周囲まで一緒に考えていた。
「……悪くないな」
「何が?」
「俺がいなくても進んでる」
九条が少し笑った。
「それがチームなんじゃない?」
神代はすぐには答えなかった。
グラウンドを見る。
九条が得た情報を白石が使う。
白石が塁に残れば、御堂は自分で見る。
御堂が戻れば、次の轟へ伝える。
投手側もそれを予測して変える。
完璧な仕組みではない。
出塁すれば伝えられないこともある。
見間違えることもある。
情報を信じすぎれば、逆に相手に利用されるかもしれない。
だから全員が考える必要がある。
神代はノートを開いた。
これまで選手ごとの課題を書いていたページとは別に、新しいページを作る。
上に一つだけ書いた。
『チーム』
その下へ、今日決めた情報共有の方法を書き始める。
だが途中でペンを止めた。
全てを自分で完成させる必要はない。
今日だけでも、白石が変え、朝倉が足し、
御堂が広げ、藤堂が補った。
神代はノートを閉じてグラウンドへ視線を戻す。
昨日までの十一人と、人数は何も変わっていない。
能力も一日で急に伸びたわけではない。
それでも。
少しだけ、チームになり始めていた。




