通用する武器
二回表。
先頭の轟は、初回から聞こえていた狛谷ベンチの声が気に入らなかった。
「剛士」
一塁側ベンチから神代が呼ぶ。
「何だよ」
「力みすぎるなよ」
「分かってる!」
九条が笑う。
「返事からもう力んでるじゃん」
轟は無視して右打席へ入った。
狛谷の先発右腕は丁寧にコースを突いたが、轟は甘く入ったストレートを逃さない。
強く振り抜いた打球がサードの横を抜け、
レフト線を転がっていった。
轟は二塁まで到達する。
「よっしゃ!」
無死二塁。
続く朝倉は右方向へのゴロで轟を三塁へ進めた。
一死三塁となり、鷹野が十分な距離のライトフライを打ち上げる。
捕球と同時に轟がスタートし、返球より先に本塁を駆け抜けた。
1対1。
蒼凛学園野球部、対外試合での初得点だった。
「蒼凛の初得点!」
戻ってきた轟に橘が手を出す。
「俺が取った!」
「打点は隼人だけどね」
「細けえこと言うな!」
鷹野も戻ってくる。
「俺が打たなきゃ帰れねえだろ」
「俺が出なきゃ入ってねえだろ!」
「二人とも正しいですから、もういいでしょう」
藤堂がそう言って右打席へ向かった。
藤堂は粘ったものの内野ゴロに倒れ、スリーアウト。
それでも試合は振り出しに戻った。
二回裏、黒崎はストレート主体の投球へ切り替えた。
一本のヒットこそ許したものの、狛谷の下位打線は球威を完全には捉えられず、無失点で終える。
ベンチへ戻った黒崎が神代を見る。
「どうや」
「良かったと思う」
「それだけ?」
「他に何かある?」
朝倉が笑った。
「大雅、褒めてほしいならそう言えば?」
「誰が怜司に褒められたいねん!」
三回表。
先頭の黒崎が内野ゴロに倒れて一アウト。
打順は一番の九条へ戻った。
九条は2ストライクと追い込まれた後も簡単には終わらず、外角球をレフト前へ運ぶ。
一死一塁。
続く白石も甘い球をセンター前へと弾き返した。
一死一、二塁。
三番、神代。
「ここで切れ!」
「この三番気をつけろよ!」
三塁側から声が飛ぶ。
二塁上の九条が笑った。
「怜司、もう警戒されてるよ」
神代は左打席へ入った。
初回にライト前へ運ばれているため、狛谷バッテリーも簡単には甘い球を投げてこない。
神代も打つ必要のない球には手を出さず、僅かに真ん中寄りへ入った球を捉えた。
鋭い打球が右中間を破る。
九条が生還。
白石も一塁から一気に本塁まで返った。
3対1。
神代は二塁へ到達していた。
「……あいつ、本当に一年か?」
三塁側からそんな声が漏れる。
続く御堂は低めの変化球を打たされてセカンドゴロ。神代は三塁へと進み、二アウトとなった。
五番の轟は外角球を引っかけ、打球はショートの正面。
スリーアウト。
三回裏。
黒崎は再び狛谷の上位打線と対峙した。
二巡目になると、狛谷の打者はストレートを無理に打ち返さず、ファウルで粘って黒崎に変化球を使わせるようになった。
先頭を打ち取った後、二番打者にセンター前へ運ばれ、一死一塁。
三番打者もストレートには差し込まれながら粘り続ける。
「しつこいな……」
「それが高校生なんだろ」
朝倉が返球する。
黒崎が投じたスライダーは僅かに浮いた。
狛谷の三番打者がそれを逃さない。
打球は左中間を破り、一塁走者が一気に生還した。
3対2。
なおも一死二塁。
「いけるぞ!」
「変化球狙ってけ!」
三塁側から声が上がる。
朝倉がタイムを取ってマウンドへ向かった。
「大雅。今、腹立ってる?」
「……立ってる」
「じゃあ腹立ったままでいいよ。ただ、そのまま投球に持ち込むな」
黒崎が眉を寄せる。
「簡単に言うなや」
「簡単とは言ってない。打たれたことに腹立ってるなら、次の打者を抑えるのに使えばいい」
黒崎は少し笑った。
「怜司みたいなこと言うな」
「俺の方が言い方は上手いだろ」
「それはそうやな」
「聞こえてるけど」
ファーストから神代の声が飛んできた。
黒崎はそこから崩れなかった。
四番を詰まらせ、五番もセンターフライに打ち取って追加点を許さない。
三回終了。
蒼凛3対2狛谷。
榊原監督が告げる。
「黒崎、今日はここまで」
「まだいけます」
「知ってる。だが最初から三回の予定だ」
黒崎は不満そうにしながらも頷いた。
3回2失点。
ストレートは高校生にも通用した。
しかし、それだけでは抑え切れなかった。
ベンチで黒崎が先に言う。
「変化球やろ」
「まだ何も言ってないけど?」
「ええねん。俺が一番分かっとる」
神代は少し考えた。
「でもストレートは良かったよ」
「それは慰めか?」
「違う。普通に良かったから」
「ほな何で二点も取られたんや」
「それは大雅が一番よく分かってるんだろ?」
黒崎は答えなかった。
四回表。
狛谷はエースをマウンドへ送ってきた。
「エース出してきたな」
九条が言う。
一年生十一人だけの新設校を相手に、狛谷は予定より早くエースを投入した。
「やっと本気になったってことか」
轟が笑う。
六番の朝倉から始まった蒼凛打線は、その違いをすぐに感じた。
突出した球速ではないが、ストレートも変化球も低く集まり、簡単に打てる球が来ない。
朝倉、鷹野、藤堂が三者凡退で簡単に終わってしまった。
四回裏。
マウンドへ上がったのは水城だった。
黒崎に代わって九番に入り、そのままピッチャーを務める。
狛谷の打者たちは投球練習を見ていた。
「今度はサウスポーか」
「遅くなったな」
一塁側で黒崎が笑う。
「あいつらアホやな」
橘が聞く。
「何が?」
「湊の球、初見やったらただ遅いだけや思うやろ。俺も最初そうやったからな」
水城の投球が始まると、狛谷の打者たちはすぐに違和感を覚えた。
遅いはずなのに、振り遅れる。
左腕が身体の後ろに隠れ、ボールが見える時間が短い。
さらに水城は投球に入るまでの間を微妙に変え、同じタイミングを与えない。
六番から始まった狛谷打線は芯で捉えられず、三者凡退に終わった。
「遅いのに合わせづらいな」
「ああ、しかも球が急に来る感じするな」
狛谷ベンチの声は、試合前とは明らかに違っていた。
五回表。
先頭の水城が内野ゴロ、九条も凡退。
白石は平凡なフライをあげてしまった。
そして神代まで回る前に後続を断たれた。
五回裏。
水城は一本のヒットを許したものの、後続を打たせて取り無失点。
ベンチへ戻ると黒崎が言う。
「調子乗んなよ」
「乗ってないよ」
「俺より抑えとるやんけ」
「まだ二回だけど」
「次一点取られろ」
「それ応援する気あるの?」
神代が見る。
「大雅。どう考えても水城が抑えた方がチームとしてはいいだろ」
「分かっとるわ! 言葉の綾やぼけ!」
六回表。
先頭は神代。
狛谷のエースとの初対戦だった。
神代は低めの変化球には手を出さず、ストライクゾーンへ入ったストレートをセンター前へと弾き返した。
無死一塁。
御堂は内野フライ。轟も強く振り抜いたがレフトの正面へ飛び、朝倉も続けなかった。
狛谷のエースが登板してから、蒼凛はまだ得点できていない。
六回裏。
水城の特徴はすでに狛谷ベンチでも共有されていた。
腕の出どころが見づらい。
投球間隔が一定ではない。
実際の球速より速く感じる。
「投手に合わせすぎるな!」
「自分のタイミングで待て!」
狛谷側も修正してくる。
先頭打者がストレートをセンター前へ運び、続く打者が送りバント。
一死二塁。
三番打者は、水城が投球間隔やカーブを使っても簡単には崩れなかった。
甘く入ったストレートをライト前へ弾き返され、二塁走者が生還する。
3対3の同点。
朝倉がマウンドへ向かう。
「うまく対応されたな」
「うん」
「この後どうする?」
水城は少し考えた。
「もっとずらす」
「それでも合ったら?」
「さらに違うことする」
朝倉が笑う。
「いいねそれ」
なおも一死一塁。
四番打者に対し、水城は朝倉のサインに二度首を振った。
選んだのは、それまでよりさらに緩いカーブ。
打者の身体が前へ出る。
打球は白石の正面。
白石から九条、九条から神代へとボールが渡った。
ダブルプレー。
三アウト。
水城はそれ以上の失点を許さなかった。
「よくやった。水城もここまでだ」
榊原監督が告げる。
「はい」
3回1失点。
水城は黒崎の隣へ座った。
「一点か」
「一点だね」
「俺より少ない」
「本当に気にしてるんだ」
水城は笑った後、マウンドを見る。
「でも最後は合わせられた。これからもっと色々できるようになりたい」
黒崎も同じ場所を見る。
「俺もや」
二人とも、自分の武器だけではまだ高校生を完全には抑え切れなかった。
七回表。
狛谷のエースは続投。
鷹野、藤堂、水城が攻めたものの得点には至らない。
3対3。
そのまま七回裏を迎える。
榊原監督が立ち上がった。
「橘」
「はい!」
「水城に代わってレフト」
橘が外野手用のグラブを持つ。
「藤堂」
「はい」
「ファーストへ」
「分かりました」
藤堂は外野手用のグラブを置き、ファーストミットを手に取る。
「神代」
「はい」
「行ってこい」
神代はファーストミットを置き、投手用のグラブを手に取った。
ピッチャー神代。ファースト藤堂。
レフト橘。
水城がベンチへ下がる。
黒崎が立ち上がった。
「やっときたか」
神代はマウンドへ向かう前に、黒崎の前で足を止める。
「大雅」
「なんや」
「今日、自分のストレートが通用しなかったと思ってる?」
「思ってへん」
即答だった。
「ストレートは通用した。打たれたんは変化球や」
「俺もそう思う」
「それが何や」
神代は計測用のタブレットを見る。
「次の三回、俺も大雅とほぼ同じストレートを投げる」
黒崎が止まる。
「……何?」
「球速も回転数も合わせる」
「なんでそんなことすんねん」
「大雅のストレートが足りないわけじゃないって、証明してくる」
黒崎は黙る。
「今の大雅に足りないのは、そのストレートをもっと強く見せる球だから」
水城も聞いていた。
「神代くん、それって……」
「ああ」
神代はマウンドを見る。
「同じくらいのストレートでも、組み合わせる球が違えば結果は変わる」
神代が歩き出す。
「だから見といて」
「怜司」
黒崎が呼び止める。
「もし俺と同じ球で抑えたら……次は絶対その変化球、覚えたるからな」
神代は少しだけ口元を緩めた。
「そのつもりで見せるさ」
神代怜司がマウンドへ向かう。
黒崎とほぼ同じ球速。ほぼ同じ回転数。
それでも、同じ投球にはならない。
鋭く横へ切れるスライダー。
そして、打者の手元から消えたと錯覚するほど落ちるスプリット。
それらを組み合わせた時、黒崎のストレートがどこまで武器になるのか。
神代はこれから、自分の投球で示そうとしていた。




