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それぞれの課題

昼休み。

一年一組の教室では、いくつかの机が自然と寄せられていた。

入学してまだ数日。それでも、昨日まではほとんど知らなかった生徒同士の間に、少しずつ集まりができ始めている。

神代怜司は自分の席で弁当を開いた。

その前の席には水城湊。斜め後ろから黒崎大雅が椅子を持ってくる。

「今日、魚か」

黒崎が神代の弁当を見る。

「見れば分かるだろ」

「そういう返ししかできへんのか」

「何て答えればいいんだ?」

「知らんわ、自分で考えろ」

水城が笑った。

「大雅から聞いたのに」

「会話いうのは内容だけちゃうねん」

神代が黒崎を見る。

「じゃあ何?」

「もうええわ」

黒崎が自分の弁当を開く。

その時だった。

「ここ、座っていい?」

神代が顔を上げる。

篠宮澪が立っていた。その隣には、昨日からよく一緒にいる女子生徒もいる。

「いいよ」

水城が先に答えた。

「ありがとう」

二人が近くの席を寄せる。

黒崎が水城を見る。

「お前の席ちゃうけどな」

「神代くんも別に嫌じゃないでしょ?」

水城が神代を見る。

「別に」

「ほら」

篠宮が座りながら笑った。

「水城くん、すごいね」

「何が?」

「神代くんの扱いに慣れてる」

黒崎がすぐ反応する。

「それは俺もホンマ思うわ」

「どういう意味だ?」

神代だけが分かっていない。

篠宮の隣に座った女子生徒が、三人を見比べた。

「三人とも野球部なんだよね?」

「うん」

水城が答える。

「それで、三人ともピッチャー?」

「そうだよ」

「試合の時どうするの?」

水城が少し考える。

「それはまだ決まってないかな」

黒崎が箸を止めた。

「もちろん俺がエースや」

「まだ決まってないだろ」

神代が即座に返すと黒崎が睨む。

「お前は黙っとれ」

「聞かれたから答えただけだけど」

「俺に聞いてたんやと思うで」

篠宮が二人を見る。

「仲悪いの二人?」

「いや普通」

神代が答えた。

黒崎もほぼ同時に、

「別に悪ない」

と言った。

篠宮が少し笑う。

「じゃあ仲いいんだ」

「なんでそうなる?」

今度は黒崎が聞いた。

水城が弁当を食べながら言う。

「僕はこの二人仲いいと思うよ」

「湊、お前は黙っとけ」

「なんで?」

少し離れた席からも笑い声が聞こえた。

入学式で新入生代表を務めた神代。

大阪から来た大柄な黒崎。

静岡から来た穏やかな水城。

昨日までは目立つ三人という程度だったが、クラスの中では少しずつ別の見られ方をされ始めていた。

篠宮が神代を見る。

「野球部って十一人なんだっけ?」

「ああ」

「全員寮?」

「うん」

「毎日ずっと一緒じゃない?」

神代は少し考える。

「学校ではクラス違うけど」

「そうじゃなくて」

また言われた。神代が僅かに眉を寄せる。

篠宮は気づかず続けた。

「朝も夜も一緒で、放課後も野球でしょ?」

「そうだな」

「疲れない?」

「何に?」

篠宮が止まった。

黒崎が笑いを堪える。

「篠宮、こいつにそういう質問しても無駄やで」

「なんで?」

「多分、質問の意味から分かってへん」

「分かってるよ」

神代が言う。

「一緒にいることに疲れるかって話だろ」

「そう」

「別に疲れない」

少し間を置いてから続けた。

「春休みからずっとそうだし」

水城が神代を見る。

「最初よりは慣れたよね」

「ああ」

「最初の神代くん、誰かが部屋に来たら『何の用?』って毎回聞いてたし」

「用があるから来ると思うだろ普通」

黒崎が笑った。

「今でも聞くやろ」

「最近は聞かない時もある」

「成長したなあ」

「何が?」

また笑いが起きた。

篠宮はそのやり取りを見ながら、昨日より少しだけ神代という人間を理解した気がした。

入学式の壇上にいた神代と、今目の前で黒崎にからかわれている神代。

どちらも同じ人物なのだろう。

ただ、まだその繋がり方がよく分からない。

篠宮にとっては、それが少し面白かった。


放課後。

十一人がグラウンドへ集まると、榊原監督はホワイトボードを用意して待っていた。

全員の視線が向く。

そこには、昨日測定した項目が並んでいる。

50m走。遠投。打球速度。投球。守備。身体組成。

その他、選手によって細かく項目が分けられている。

「昨日の数字はそれぞれで確認したな?」

「はい」

藤堂岳が答えた。他の選手たちも頷く。

榊原監督は十一人を見回した。

「今日から、その数字を基準に練習を組み直す」

黒崎が聞く。

「全員別メニューですか?」

「全部じゃない。チーム練習は当然やる。ただ、十一人しかいないからこそ、一人一人の弱点を放置できない」

ホワイトボードに線を一本引く。

「今のところ、次の測定は三か月後を予定している」

神代が顔を上げた。

榊原監督が続ける。

「その時までに全員、一つははっきり変化を出せ」

轟剛士が聞く。

「数字で?」

「数字でもいい。技術でもいい。ただし、自分で説明できるくらいには変えろ」

鷹野隼人が腕を組む。

「一個だけですか?」

「最低一個だ」

「じゃあ俺、50mもっと縮めます」

鷹野がすぐ答えた。

神代が横を見る。

「そこ?」

「何?」

「隼人は走力より守備の一歩目を優先した方がいい」

鷹野が少し止まる。

「一歩目?」

「ああ」

神代は昨日の測定と、春休み中の練習を思い返していた。

「純粋な走力はチームで一番速い。でも打球が飛んでから動き出すまでに少し時間がかかる」

九条が頷く。

「それは俺も思ってた」

神代は続けた。

「そこを改善した方が、50mを0.05秒縮めるより守備では効果が大きい」

鷹野は少し考える。

「まあ、それは分かるけど」

「ならそっちやれば?」

「……やるけどさ」

鷹野はそう答えた。

神代はそれ以上気にしなかった。

次に轟を見る。

「剛士は変化球対応」

「俺?」

「昨日の打撃測定でも真っすぐ系の球はかなり強い。でも練習では変化球にまだ身体が前へ出る」

轟が少し眉を寄せる。

「それは分かってる」

「なら優先して直した方がいい」

「分かってるって」

「じゃあ問題ないな」

轟は何も言わなかった。

神代にとっては、それで話は終わっていた。

黒崎は横からそのやり取りを見ていた。

「俺は?」

神代が黒崎を見る。

「大雅?」

「ああ。どうせ何か言いたいんやろ」

「いっぱいある」

「一個にせえ!」

何人かが笑った。

神代は少し考える。

「変化球だな」

「やっぱそこか」

「ストレートは今でも通用する。ただ、高校ではストレートだけじゃ抑えられない打者が増える」

「分かっとる」

「スライダーの抜け球もまだあるだろ?」

「分かっとる言うとるやろ」

黒崎の声が少し強くなる。

神代は不思議そうに見る。

「じゃあ直せばいいだろ」

「簡単に言うな」

「簡単とは言ってない」

「そう聞こえんねん」

神代が少し黙った。

そこで榊原監督が手を叩いた。

「はい、そこまで」

全員が見る。

「課題があるのは全員同じだ。神代、もちろんお前もな」

「分かってます」

「本当に?」

「はい」

榊原監督は何か言いかけたが、やめた。

「まあいい。始めるぞ」

一斉に十一人が動き出す。

この日の練習は、昨日の測定を踏まえた個別練習が多く組まれた。

鷹野は外野で九条と打球判断。

轟は御堂と一緒に変化球対応。

黒崎、水城、神代はそれぞれブルペンへ。

藤堂は複数の守備位置を回り、白石は打撃練習。

朝倉は捕手として三投手を順番に受けることになった。

榊原監督は全体を見ながら必要なところだけ声をかけていた。


外野に打球が上がる。

鷹野が動く。

速いが、わずかに最初の反応が遅れた。

最後は足で追いついて捕球する。

「アウト!」

九条が声を出した。

鷹野がボールを返す。

神代はブルペンへ向かう途中でそのプレーを見ていた。

「今も一歩目遅かった」

鷹野が振り返る。

「ああ」

「最初に右へ体重が乗ってる」

「分かってる」

「だったら――」

九条が神代を見る。

「怜司」

「何?」

「今、隼人やってるから」

神代が鷹野を見る。

鷹野はすでに次の打球へ構えている。

「見れば分かるけど」

「だから今はいいだろ」

神代は少し考えた。

「そう?」

「ああ」

神代には、九条がなぜ止めたのかよく分からなかった。

だが練習を止めるほどのことでもないのでそのままブルペンへ向かった。


少し離れた打撃練習場。

轟が打席へ入っている。

御堂が投げた変化球に、身体が前へ出てしまい空振り。

「もう一球!」

轟が言う。

次はカーブ。

今度は我慢しが最後にバットが出る。

「惜しい」

御堂が言った。

「もうちょい待てたな」

「もう一球頼む」

そこへ神代が通りかかる。

「今もまだ早い」

轟が振り返った。

「分かってる」

「軸足に残す時間をもう少し――」

「怜司」

轟が言葉を遮った。

「何?」

「今、自分でやってるから」

「でも」

「ちょっと黙って見ててくれ」

「分かった」

轟はもう一度構えた。

神代は数歩進んでから、一度だけ振り返る。

カーブ。

今度は止まった。バットは出ない。

「そう!」

御堂の声が響く。

轟が小さく頷いた。

神代はその様子を見る。

できているなら問題ない。

そう判断して、ブルペンへ向かった。

だが、なぜ轟が先ほど少し苛立っていたのかは、分からなかった。


練習終了後。

十一人はグラウンド整備をしていた。

神代と九条が三塁側の土を均している。

九条が言った。

「怜司」

「何だ?」

「さっきの隼人のことだけど」

「ああ」

「別に言ってることは間違ってないよ」

「じゃあ何?」

九条がトンボを動かしながら考える。

「言うタイミングかな」

「タイミング?」

「あいつ、自分で直そうとしてただろ」

「だから、間違ってるところを言っただけだけど」

「それが毎回必要とは限らない」

神代が九条を見る。

「間違ってるなら早く直した方がいいだろ」

「まあ、お前はそう考えるよな」

九条は苦笑した。

「何だよ?」

「いや」

少し離れたところでは、轟と鷹野が話している。

黒崎もそこへ混ざった。

笑っている。特に怒っているようには見えない。

神代はそれを確認すると、再びグラウンドへ視線を戻した。

「別に問題なくない?」

九条は一度、神代を見る。

「今はな」

「どういう意味?」

「そのうち分かる」

「最近それ多くない?」

「説明しても今のお前じゃ多分分かんないから」

神代は納得していなかった。それでも九条はもう何も言わなかった。

グラウンド整備を終える。

十一人は用具を片付け、寮へ戻る準備を始めた。

神代は今日の練習を頭の中で整理する。

鷹野の一歩目。轟の変化球対応。黒崎の変化球精度。水城のフォーム。

白石の打撃。

改善すべき点はいくつもある。

その認識に間違いはないはず。

神代が見つけた課題も、ほとんどが正しかった。

ただ一つ、神代自身がまだ課題だと認識していないものがあった。

何を伝えるか。いつ伝えるか。どう伝えるか。

正しいことを言うだけでは、人間は必ずしもその通りには動かない。


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