練習開始?
入学式を終えた日の午後。
蒼凛学園野球部の十一人は制服から練習着へ着替え、グラウンドへと集まっていた。
春休み中も毎日のように使っていた場所だが、今日からは蒼凛学園の生徒として、
正式な高校野球部員としてここに立っている。
黒崎大雅がマウンドの方を見ながら聞いた。
「で、今日は何やるん?」
御堂悠真もすでにバットを持っている。
「俺、打っていい?」
「俺も打つぞ」
轟剛士が素振りを始めたところで、榊原監督の声が飛んだ。
「待てお前ら。今日は普通の練習はしない」
黒崎が露骨に嫌そうな顔をする。
「入学式やったから休みとか言わんすよね?」
「それはない、今日はお前らの能力を測定することにした」
「測定?」
水城湊が聞くと、榊原監督はグラウンド脇へ視線を向けた。そこにはストップウォッチや距離測定器、スピードガン、高速度カメラ、おまけに投球と打球を解析する測定機器まで用意されている。
「春休み中にお前たちの特徴はある程度見た。ただ、今日から正式に高校野球部として始まる。だから同じ条件で現在地を記録する。身体測定、走力、瞬発力、遠投、送球、打撃、投球。測れるものは一通り測る」
藤堂岳が頷いた。
「今後と比較するための基準値を作るということですね」
「そうだ。3か月後、半年後、一年後。同じ測定をすれば何がどれだけ伸びたか分かる」
神代怜司も測定機器を見る。
「俺もそれがいいと思います」
黒崎がすぐに神代を見る。
「またお前か。どうせその機械もお前が用意させたんやろ」
「用意させてない。ただ、学校に何があるか確認しただけだ」
九条颯真が横から言った。
「普通、入学前に学校の測定機器まで確認しないけどな」
「そうなのか?」
「きっとな」
榊原監督が十一人を見る。
「先に言っておくが、これは順位を決めるためじゃない。自分の現在地を見るための測定だ。それを忘れるなよ」
黒崎が僅かに目を逸らした。
「……分かってますって」
「お前に一番言ってるんだぞ黒崎」
「なんで俺なんすか!」
橘陽斗が笑った。
「もう怜司に勝つ気だったでしょ」
「そんなんちゃうわ!」
神代が言う。
「それなら、俺の数字は気にしなくていいな」
「それとこれとは別や!」
「ほらな」
榊原監督の一言で笑いが起きた。
最初は身体測定から始まった。
身長、体重、体脂肪率、左右の握力、前屈による柔軟性、肩と股関節の可動域まで順番に記録していく。
神代の番になった。
「身長184.2センチ。体重78.4キロ」
榊原監督が記録する。
「体脂肪率、9.8パーセント」
次に握力。
『右:61.8kg』
『左:60.9kg』
長座体前屈は61cm。肩と股関節の可動域にも大きな左右差はなく、全て基準を十分に上回っていた。
「思ってたより握力普通やな」
黒崎が言った。
「大雅より強いけど」
「そこは言わんでええねん」
単純な筋力なら、さらに上がいた。
轟が握力計を握り込む。
「右65.2」
九条が数字を見る。
「左は?」
持ち替える。
「62.8」
鷹野隼人が覗き込んだ。
「強っ」
轟は満足していない。
「もっといけると思ったんだけどな」
「いや十分だろ」
御堂が笑った。
神代は轟の数字を見ても特に驚かない。純粋な筋力で轟が自分を上回ることは、最初から想定していたことだからだ。
水城の体重測定では、神代がすぐに数字へ反応した。
「67.1キロ」
「やった、増えてる!」
水城が体重計から降りる。
「夏に見た時は64キロくらいだったからな」
「そんなことまで覚えてるの?」
「当然だろ、重要なことだ」
「3キロも増えたよ」
「まだまだ増やせるさ。ただし急ぐ必要はない。今の投げ方を崩さずに増やした方がいいからな」
「うん、分かった」
黒崎が横から言う。
「湊、お前もっと食えよ」
「大雅に言われたくないな」
「俺は十分食っとるやろ」
橘がすぐに口を挟んだ。
「人参は残すけどね」
「まだそれ言うんか!はよ忘れてくれ」
次に行われたのは走力と瞬発力の測定だった。
10メートル、30メートル、50メートル。立ち幅跳び、垂直跳び、さらに左右への切り返し能力を見るアジリティテストまで行う。
ここで一気に存在感を示したのが鷹野だった。
50メートル『5秒86』
30メートルでもチーム最速。立ち幅跳び『291cm』、垂直跳び『78cm』と高い数字が並ぶ。
「どう?」
走り終えた鷹野が聞く。
九条が答える。
「すげえ速い」
「それだけ?」
「なんだよ、じゃあもう一本走るか?」
「褒めろって意味だよ」
黒崎も鷹野の記録を見る。
「お前、ほんま身体能力だけはおかしいな」
「だけって何だよ」
九条が言う。
「これを全部野球に使えればもっといいんだけどな」
「また守備の話?」
「そう、一歩目の話」
「今日くらい忘れてくれ!」
そして神代の番。
10メートル『1秒67』
30メートル『3秒86』
50メートル『5秒90』
立ち幅跳び『294cm』
垂直跳び『75cm』
アジリティテストは『4秒16』
ほとんど全てが十一人の上位だったが、純粋な走力と跳躍力の一部では鷹野が神代を上回った。
鷹野が嬉しそうに言う。
「50メートルは俺の勝ちだな」
「そうだな」
「え、それだけ?」
「何が?」
「悔しくないのか?」
神代は少し考えた。
「隼人の方が速かったんだから仕方ないだろ」
「そうじゃないんだけどな」
黒崎が言う。
「こいつにそういうの聞いても無駄やろ」
だが榊原監督は、神代の順位ではなく走り方を見ていた。
「神代、もう一本走ってみてくれ」
「分かりました」
「ただし、今度は6秒20で走れ」
何人かが榊原監督を見る。
神代だけは普通に聞き返した。
「6秒20ですね?」
「そうだ」
神代は再びスタート位置へ立つ。
合図と同時に走り出し、先ほどより明らかに出力を落としてゴールする。
表示『6秒21』
朝倉が少し笑った。
九条も何かに気づいたような顔をする。
黒崎が二人を見る。
「何なんやこれは?」
榊原監督は答えなかった。
「よし、次行くぞ」
遠投では鷹野が112m。黒崎が109m。藤堂も100mを超えた。
そして神代の一投目『118m』
送球速度は最高『146.8km/h』
30メートル先に設置した標的への10球の送球では10球全てが規定範囲内に入り、
中心からの平均誤差は僅か8.6cmだった。
白石奏太が標的を見る。
「最後だけ少し右にそれた」
神代も頷く。
「9球目も左にずれたな」
御堂が二人を見る。
「そんなこと分かるもんか?」
白石。
「見ればね」
神代。
「分かるだろ」
「二人とも基準がおかしいんだよ」
捕手の測定では朝倉が存在感を見せた。
捕球から二塁への送球到達まで『1.89秒』藤堂も『1.96秒』を記録する。
黒崎が藤堂を見る。
「岳、お前ほんま何が苦手なんや?」
藤堂は少し考えた。
「それは僕も探しているところです」
「その答えなんか腹立つな」
「すみません」
「丁寧に謝られると余計腹立つわちくしょう」
神代が言う。
「だから岳は必要なんだろ」
藤堂が神代を見る。
「まあ、僕は誘われてなかったので自分から来たんですけどね」
神代が止まる。
「あ」
橘が吹き出した。
「忘れてるじゃん怜司」
「忘れてない。言い方を間違えただけだ」
白石は送球速度や遠投では上位ではなかったが、送球精度でほとんど誤差を出さなかった。みんなそれぞれ違う。
数字にすればするほど、十一人の特徴がはっきりと分かれていった。
室内練習場へ移ると、打撃測定が始まった。スイング速度、打球速度、打球角度、飛距離、一定数打った時の再現性まで記録していく。
轟の打球速度は最高『166km/h』
「怖っ」
橘が言う。
「守りたくないなこれは」
鷹野も笑う。
轟は画面を見る。
「まだ出るけど」
御堂が言った。
「飛ばすだけならすごいよね」
「なんだと?」
「変化球でもそれができればねって」
「できるようにする」
御堂自身の最大打球速度は轟には及ばなかった。しかし、『148、151、150、149、152』と数字がほとんど崩れない。最大出力の轟と再現性の御堂。ここでも二人の特徴がそのまま結果に表れた。
「次、神代だ準備しろ」
榊原監督が呼ぶ。
神代が打席へ入った。
まずスイング速度。
最高『153.4km/h』
続いて全力で打った時の最大打球速度。
『174.6km/h』
十球の平均打球速度は『168.9km/h』最長飛距離は『131m』
十球中九球が設定された強い打球の基準を満たした。
黒崎が表示を見る。
「打つ方もおかしいやんけお前」
「それは前から知ってるだろ」
「知っとるけど数字にされるとやっぱり腹立つな」
榊原監督が言った。
「神代。今度は150km/hくらいの打球を打て」
「分かりました」
一球目『149.8km/h』、二球目『150.1km/h』、三球目『150.0km/h』
黒崎の表情が変わった。
「……待て待て」
榊原監督は続ける。
「次は160km/hだ」
「はい」
『159.9km/h』次。『160.2km/h』
鷹野が神代を見る。
「何してんのこれ?」
「球を打ってるんだ」
「それは見れば分かるよ」
九条が小さく笑った。
「始まったな」
朝倉も頷く。
「監督、気づいたようだね」
「何に?」
黒崎が聞いたが、二人は答えなかった。
黒崎にはまだ意味が分かっていない。
それが分かるのは、この後のマウンドでの測定のことだった。




